アリス・イン・テラーショップ
「これはこれは……」
美由紀は目をしばたたかせた。もし真夜中に知らずに入り込んだら、卒倒していたかもしれない。絵に描いたような悪趣味、とはこのことか。
もともと星姫は耽美的かつ怪奇趣味的な、いわゆる「血と薔薇」の文学を好んだが、ショップの内装は、ある程度抑えられたものだった。それが今では趣味まる出し。怪奇よりファンタジーを好む一般客なら、まず「引く」こと請け合いである。
グロテスクな猫の人形が、至る所に飾られている。ある猫はぎざぎざの牙を剥き、舌をだらりと垂らして笑っている。多くの猫が悪意をこめて擬人化され、不気味な道化師や気の触れた貴婦人や殺人鬼の大工などに扮している。ある猫は眼玉が飛び出し、ある猫は首がちぎれかけ、多くの猫が血まみれだった。
人形のほかにも、中世の拷問具のレプリカだとか、頭蓋骨のレプリカだとか、様々な仮面、暗い銅版画、使い込まれたクロッケーの木槌、呪詛セットなどが目に入った。美由紀は洋書の一冊を何気なく手にとって開き、眉をひそめて棚に戻した。皮を剥がされる聖者の殉教が描かれていた。
昨日の昼ごろ、ヨコマチが訪れているが、その時点ではまだ、模様替えされていなかったはずだ。ゆえに、たった一日、もしくは一晩で、ここまで変わったことになる。従業員も同居人もいない星姫が、一人でものを動かすのは、さぞかし骨が折れたろう。
現に、彼女はずいぶんやつれており、目の下が黒く縁どられたさまは、鋭い美貌と相まって、一種のスゴみをかもしていた。そのまま耽美的な怪奇映画に吸血鬼役で登場しても、まったく問題ないだろう。
「ぼんやり立ってないで、とりあえず座ってちょうだい。お茶をいただきに来たのでしょう、アリス」
中央に置かれた横長のテーブルを指さした。胡桃材のアンティークらしく、マッドなお茶会が開けそうなほどの大きさ。美由紀が掛けるのを見届けて、星姫は事務室の方へ身をひるがえした。有線のスイッチが入れられたのか、チェンバロの演奏が小さく流れ始めた。
ユキトがグレン・グールドのファンなので、そちらのピアノ演奏で美由紀は知っていたのだが、バッハの『フランス組曲』であるらしい。テーブルの上に商品は陳列されておらず、ただひとつだけ、驚くべきものが載っていた。時間を忘れてそれを眺めるうちに、紅茶の香りで我に返った。
盆を手に、レムリアン星姫は慈愛に満ちた笑みを浮べていた。美由紀は戦慄した。
「さあ、お茶をいただきましょう。わたしもちょうど飲みたいと思っていたところなの。ふふ。だいじょうぶよ、アリス。あなたが飲む直前に、席を替わったりしないから」
星姫は二人ぶんの茶器を並べると、テーブルを挟んで、美由紀の正面に腰をおろした。ヨコマチに出されたカップと違い、青い無地でソーサーは二重ではなかった。砂糖を入れぬまま、美由紀はひと口飲んでテーブルに置いた。あまり行儀のよくない音を鳴らしてしまった。星姫の腕には似つかわしくない、少し変な味がした。
「これが気になる?」
目の前のチェス盤を、星姫は指さした。ヨコマチが持ち帰ったのと、そっくり同じものだ。駒が並べられ、あまつさえ動かされた跡がある。美由紀はその局面を読むことができた。ヨコマチに教わったルールにのっとって。
ヨコマチの話によれば、このゲームのルールは、とうの昔に忘れられたのではなかったか。ただ、イコの記憶の中にだけ、それが残っていたのでは?
「見せてもらいましたよ。昨日、ヨコマチさんに」
「かれならきっと気に入ると思って。変わってるでしょう?」
「ヨコマチさんが? それとも、チェスがですか」
星姫は答えず、赤い「庭師」の駒を手にとり、しばらくもてあそんだあと、一マス飛ばして横に置いた。横方向へなら、庭師はいくつ飛ばしても、何マスでも移動できる。それから目を上げて美由紀を見つめた。獲物を狙う猫をおもわせる、挑発的な目つき。美由紀は白の「理髪師」の駒をもちあげ、もう片方の指を唇に当てた。
駒が置かれたとき、レムリアン星姫の顔に瞬時、驚きが走るのを見逃さなかった。カップについた口紅を、ティッシュで神経質にぬぐった。口を閉ざしたまま、別の駒を動かした。美由紀が尋ねた。
「わたしが来た理由がわかりますか」
「さあ。よもや、ただお茶を飲みにきたわけじゃないでしょうけど。ウェイトレスさんはミステリーマニアで、幸吉くんの事件を調べているのよね」
はい。と答えて、美由紀は駒を摘んだ。しばらく無言のやりとりが続いたあと、女王の駒を手に取り、星姫がつぶやいた。
「わたしが犯人だと考えて?」




