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桜吹雪商店街

 通りを三分の二ほどさかのぼると、突き当りの八百屋から、威勢のいい売り声が響いてくる。ここまで来れば、同じ商店街といえども、フォルスタッフの周辺と異なり、にわかに活気を帯びてくる。

「ちょっと道草よいですか、マスター」

「ぼくはユキトじゃない」

「いえいえ、今日はこの恰好ですからね、マスター」

 頭上のひらひらを指さして、にんまり笑うと、メイドは八百屋とは反対側へ、とっとっとっと駆けだした。彼女の行く手には、猫の顔をした建物が。黒猫亭である。

 たしか今夜のヤミナベには、黒猫亭の女主人も呼ばれていたはずだ。その名も「レムリアン星姫」という、気が遠くなりそうな源氏名は、本業が占い師であるゆえだ。タロットカードとインド占星術の奥義に通じ、実際によく当たるらしく、占い好きの女子高生たちから、カリスマ視されていた。

 星姫はフォルスタッフへも、よく顔を出していた。徹底した紅茶党で、プロ顔負けの達人である。にもかかわらず、わざわざコーヒーを飲みに来るのだから、ユキトや美由紀に、何らかの共感をおぼえているのだろう。また、美由紀がコレクションしている、ひらひらした服のいくつかは、ここで買ったようである。

 近づくと、美由紀はショウウインドウに、ヤモリのようにへばりついていた。

「トランペットに憧れる黒人少年か」

 店は灯りをともしていたが、人の姿はなかった。まだ暖かい頃なら、店の前に占いのブースが出され、少女たちで賑わっていたが、さすがに最近は見かけなくなっていた。メイドの視線を追うと、トランペットではなく、アリスの衣装をオトナっぽくアレンジしたような、黒いドレスが吊るされていた。

「ぐえええええっ、かわいいいいいいいいいっ! でも高っかああああああああいいいっ!」

 怪奇・ヤモリ女をショウウインドウから引き剥がすのに、ひと汗かいた。

 黒猫亭の左右には、それぞれ電気屋とカメラ屋が並んでいた。いずれも小さな店で、いかにも流行っておらず、おまけに最近、拡張工事を終えた駅ビルに量販店が入ったため、風前のともし火的なわびしさが漂っていた。

 カメラ屋の隣は「薬のハルモトヤスシ」。客の多さも店の規模も、向かいの「伊丹青果店」と張りあっていたが、大企業のチェーン店ということもあり、アーチの内側にありながら、ここだけが振興組合に加盟していなかった。組合を主導する伊丹青果店にとっては、いずれにしても面白くない存在。目の上のタンコブであろう。

「やあ、お揃いとは珍しいですね」

 八百屋の中から、若々しい声に呼びとめられた。

 競り市用のナンバーをかかげた青い帽子をかぶり、腕まくりしている大柄な男が、山と積まれた白菜の中から微笑みかけていた。草食動物をおもわせる小さな瞳が、庇の下で、きらきらと輝いた。メイドが手を振ってこたえた。

「幸吉さーん。もちろん今夜は、いらっしゃるんでしょう」

「いやあ、すんません。おれは留守番です。その代わり、親父と嫁が行きますから」

 飾らない口調でそう言って、帽子の上から頭を掻いた。

 かれは伊丹幸吉。若干二十六歳にして、桜吹雪商店街随一の伊丹青果店の跡を継いだ。しかも新婚ほやほやで、奥さんはとびっきりの美人ときている。けれども性格はあくまで純朴。少々不器用だが、がんばり屋という、誰からも愛される好青年である。

 ぼくは密かに、かれのことを「マンモス西」と呼んでいた。

 しきりに残念がる美由紀を尻目に、ぼくは、なんだか腑に落ちなかった。

 幸吉の父、伊丹さんはまだ六十前だし、気力、体力、ともに少しも衰えていない。にもかかわらず、早々に店を譲ったのは、表向きこそ、

「いつまでも年寄りがしゃしゃり出ていては、若いもののためにならん」

 と喧伝しているが、そのじつ、桜吹雪商店街振興組合の理事長として、業務にわずらわされることなく、存分に政治的手腕を行使するためだといわれている。日本史でいうところの、「院政」みたいなものである。あるいは、家康が将軍職を譲ったあとも、「大御所」として君臨したようなものである。

 そんな大御所が、この師走のくそ忙しい中、フォルスタッフごとき弱小喫茶店の、世にもくだらないヤミナベなんかに、どうしてジキジキに顔を出す気になったのだろう?

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