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独裁者

 無意識に指を動かしていた。何がしたいのか、自身に疑問符を投げかけてみると、どうやら煙草を探しているらしい。やめて何年もたつというのに、こんなときはむしょうに吸いたくなる。

 煙のかわりに、ぼくは溜め息をついた。

「表向き、荻原氏には子供がいないことになっているね」

「私生児も含めて、ぼく以外にはいないようです。ただ、いかに意思の固そうなプレジデントでも、世襲の誘惑にはほろりと負けてしまうものですが。荻原の場合、そんなセンチメンタリズムとは無縁と考えるべきでしょう」

 絶頂に達したOMEが、おのれの死とともに崩壊する。それが理想なのだと、荻原はたびたび語っていた。会社とは決して飼い慣らせない怪物であって、いずれは人をも食らい尽くす。そいつをどれだけ兇暴に、醜く、巨大に育てるかを競うゲーム、それが経営なのだと。

 かれはあえて役員会を骨抜きにし、独裁に徹していた。自身をよく、秦の始皇帝と比較していた。始皇帝は不老不死を望み、徐福に霊薬を求める船出を許したが、ばかなやつだと笑い飛ばした。自身が唯一心残りなのは、死後、無残に崩壊してゆくOMEが見られないことだと豪語した。

 そんな男である。たとえ唯一の血統だからといって、ユキトを次期社長に指名した事実は、不可解としか言いようがない。ぼくの疑問を察したように、かれは言う。

「ひょっとすると荻原には、母への執着が強かったのかもしれません。ぼくは母とよく似ています。荻原はずっとぼくたち母子をマークしていましたから、学校の成績をはじめ、ぼくに関する様々なデータもライトタイムで得ていたようです。なぜそこまでこだわるのか、ぼくにはわかりませんが」

 愛していたのではないのか。

 咽元まで出かかった言葉を呑みこんだ。

 ユキトは「わからない」と言うが、聡明なかれのことだ。愛という一言に行き当たらなかったわけがない。それをあえて「執着」と言い換えているのは、認めたくないからではないか。二階堂弥生が懸命に拒否しつづけた荻原を。かれが唯一人、弥生を愛していたことを。

 それとも、ぼくがセンチメンタルな甘ちゃんの見本に過ぎないのか。

 ユキトは当然、荻原の申し出を断った。母親そっくりだな。そう言って笑っただけで、かれは名刺と香典をわたし、意外なほどあっさりと帰っていった。香典の袋には五千万円の小切手が入っていた。二日後の夜、二人はC駅前の喫茶店で落ち合った。ユキトは小切手を持参していた。

(連絡をもらえてうれしいよ。きみにあげた名刺は特別でね。秘書を通さず、わたしの卓上へ直接繋がる番号が刷られている。都知事にはわたしてあるが、港区長は持っておらん)

(小切手を直接お返ししたくて。連絡せざるを得なくなることを、見越したのでしょうけど)

(ふん。頭がいいな。おまえの母親も、頭のいい女だった)

 二人ともコーヒーに手をつけなかった。入社の申し出を、あらためてユキトが断る間、荻原はしきりに煙草をふかした。葉巻ではなかった。

(受けてくれるとは、わたしもハナから思っておらん。ある意味、きみのことはよく知っているからな。そこで提案なのだが)

 奇怪な条件が出された。都内のしかるべき病院で、一度だけ人間ドックに入ってくれと言うのだ。条件を呑めば、以降、二度とユキトの前に姿をあらわさないであろう、と。洗脳するつもりではないか。ユキトはすぐにそう考え、疑惑を口にした。ソファから転げ落ちるのではないかと疑ったほど、荻原は笑い転げた。

(いや、失敬した。やはり、わたしが見込んだだけの男だ。きみにはごまかさず、正直に言わせてもらうよ。わたしが欲しているのは、きみの遺伝子なのだよ。ついでに、その他もろもろの、きみの身体的なデータをいただきたい)

 何のために? と、ぼくは思わず尋ねた。華奢な指をひるがえしながら、「ぼくにもわかりません」とユキトは言う。

「尋ねたところで、答えるつもりはないようでした。クローンでも作るつもりか。あるいは精液を採取して、人工授精による孫を得るためか。そこまでして、母の血を受けた人間が手元に欲しいのか……いろいろな考えが、頭をぐるぐる回りましたが、どれもばかげています。後継者という部分と結びつかないのです」

「なるほど、そのままきみをコピー機にかけるようにはいかないからね。クローンにしたところで、同じ遺伝子をもつ子供が、代理母から生まれてくるわけだから、あと二十年近く待たなければならない。荻原氏の健康状態からして、とても待てない時間だろう」

 数年前から、かれが「致命的な病」に蝕まれていることが噂されていた。ここ一年の間に病状が進行したのか、めっきり骨と皮ばかりになってしまった。それでも気力は旺盛で、表に裏に、シバ神のごとき立ち回りを演じていた。けっきょくユキトは、条件を呑んだ。

「単なる酔狂と判断したのです。目の前の荻原に、不覚にも一抹の魅力を感じ始めていたからかもしれません。ぼくが世間知らずの若僧に過ぎなかったことを、あとで思い知らされるのですが」

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