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二階堂ユキトの告白

「あの子、活躍してるんだなあ」

 ようやく我に帰ってつぶやいた。素顔の彼女とのギャップが、かえってよそ行きの顔を際立たせるようだ。

「センセイも有名になったら、CMに出演なさいますか」

「ぼくが? ネスカフェのCMにでも出てみるか。本どころか、コーヒーまで売れなくなるぞ」

 ユキトはくすりと笑って もはや砂嵐しか映らないテレビを切った。かれが背中を向けている間に、言いにくいことを切り出した。

「なあ、ユキト。ここへ来る途中、偶然見ちまったんだよ」

「……」

「口論している声も、ちょっとだけ聞いた。あいつは、荻原新一郎だよな」

 背中がぴくりと震えて、そのまま時が静止した。女性と見紛うほど華奢な後姿に、あらためて驚かされる思いがした。沈黙のあと、かれの背中が答えた。

「そうです。ぼくの父親です」

 次はぼくが言葉をなくす番だった。かれは振り返り、微笑んでみせた。傷つけられた人が強いて笑おうとするような、どこか痛ましい笑顔。言ってしまったことを、ぼくは少々後悔した。

「コーヒーをお淹れしましょう」

 豆が砕かれる、よい香りが漂い始めた。問わず語りに、かれは語る。

「姓が違うのは、もちろん籍に入れられていないからです。母は荻原が手をつけた多くの女性の一人に過ぎませんでした。後にぼくが認知されていると知って、むしろ驚いたくらいです」

「ではずっと、お母さんと二人きり?」

「ええ。ぼくが知る限り、母は荻原と会ってさえいなかったようです。C市にあるT川のほとりの小さな家で、ぼくたちはつつましやかに暮らしていました。母がピアノ教室を開き、それでなんとかやっていけたのです。決して裕福ではありませんでしたが、幸せでした。一年半前に母が亡くなったとき、多額の預金が遺されていることを、初めて知りました」

 フォルスタッフで、常にピアノ曲が流れている理由がわかる気がする。ぼくの前に湯気のたつコーヒーを置きながら、かれは自嘲的に笑ってみせた。

「ご想像のとおり、荻原が母に一方的に押しつけた手切れ金ですね。母はほとんど手をつけず、ぼくのために残しておいたのです。ぼくは入学したばかりの大学を辞めて、思い出の家をたたみ、そのお金を元手に、ここで小さな喫茶店を開業しました」

「きみは、その……荻原氏の息子であることを、いつ頃知ったの?」

「もの心ついた頃には。当時はまだOMEはなく、荻原も一介の不動産屋でしたが。その頃からだいぶアクドイことをやって、儲けていたのでしょうね。言い忘れていましたが、母の名は二階堂弥生です」

 かなりの美人であったろうことは、ユキトを見れば想像できる。ユキトはほとんど荻原の面影を宿していないので、母親似なのだろう。事実、荻原にしては珍しく、かれは二階堂弥生をずいぶん追い回した形跡があるという。逆に弥生のほうは、懐妊後は徹底的に荻原を避け続けた。

 さすがにユキトが小学校に上がる頃には、この性欲の権化も言い寄ってこなくなったようだ。それでも思い出したように金が振り込まれたり、ユキトのために高額なランドセルや自転車が送られてきたりした。弥生はお金をそのまま封印し、物品のほうは全て寄付に回した。

「話を聞く限り、荻原氏には例え一時的にでも、きみのお母さんと正式に結婚する気があったんじゃないかな」

 そう言ってから、何の慰めにもなっていないと気づいた。ユキトはけれど、気にしたふうもなく、例によって淡々と語るのだ。

「なかったと思います。母は何ら後ろ盾を持たない、庶民の娘でしたから。荻原のような怪物が、利用価値のない結婚を行うとは考えられません」

 たしかに荻原は政略結婚を二度繰り返し、どちらとも骨の髄まで利用したあげく、破棄している。かれは続けた。

「荻原がぼくの前に初めて姿をあらわしたのは、母の葬儀の夜でした。これまで母が懸命に防波堤となってくれていたことを、あらためて知らされる思いがしました。荻原はぼくに、OMEへの入社を勧めました」

「まだ学生だったきみに?」

「ええ。次期社長候補として」

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