ネコ耳のヒト影
牧村美由紀が話しかけている間、ユキトはさりげなく表に出た。閉店の札をかけるつもりであろう。ぼくも外の空気を吸うふりをして、かれを追った。
「美由紀ちゃんは、シロだ」
「やはりそうですか。次はユキさんですね。どう料理しましょう」
「酔いつぶすのがベストだろう。美由紀ちゃんもそう言っていたよ。ひひひ」
「決まりですね。ひひひ」
すごみのある笑顔を見せて戻ろうとしたユキトを、ぼくは引きとめた。
「待ってくれ。仮に佐々木ユキに星型のアザがあったとして、それからどうする? バイモは効かないし、キイを引きずり出す方法は、今のところ皆無なんだぞ」
「一人に絞れれば、あとは何とでもなりますよ。要は第三者を襲わせなければよいのです。ユキさんの場合、現在冬休み中ですし、佐々木さんもある程度事情がわかっている。しばらくこちらで身柄を預かることも可能です」
地下室の壁に鎖で繋がれて、ぐったりしている佐々木ユキ。乗馬鞭をしならせつつ、ユキトが冷酷な視線で半裸の彼女を観察している。というイメージを、ぼくは慌てて追い払った。
店内に戻ると、二人の娘がまったりと和んでいる情景。カウンターに両手で頬づえをついている美由紀を相手に、佐々木ユキが何やら熱心に話していた。
「……地面が揺れたような気がして、思わず足を止めたんですよ。外にいると、なかなか気づかないものですけどね。なんだかこう、びりびりっと、電気的な震動を感じたといいますか」
「ほおほお。びりびりっとキタのですね」
「ええ。それで何気なく右を向くと、黒猫亭の前でした。両隣のカメラ屋さんと電気店が真っ暗だから、そこだけ周囲から切り取られたような印象を受けました。ショウウインドウの中だけ、弱い灯りがともり、入り口にはクローズの札が下がっていたようです」
理由のわからない違和感を覚えた、と彼女は言う。いつもだいたい九時ごろまで開いているが、店主の気まぐれは有名なので、早く閉まっていても珍しくはない。上総屋のベイクドチーズケーキが急に食べたくなったと言っては、平気で店を閉めるレムリアン星姫だ。ユキは続けた。
「見上げると、猫の眼のような窓の両方から、灯りがもれていました。左眼が星姫さんの寝室、右眼は倉庫代わりだと聞いた覚えがあります。その右眼の窓に、ほんの数秒でしたけど、人影が映りました」
人間ではなかった。と彼女は言うのだ。すかさず美由紀が突っ込んだ。
「人でないのに人影とは、これいかに?」
「ほぼ、ヒトだったのです。最初は星姫さんかと思いました。ゆったりとした服を着た、女性のようでしたから。ただ、星姫さんと違って、髪はショートに見えましたし、何といっても、頭の上にピンと突き出た猫の耳のようなものが、奇妙でした。そうして驚いている間に、人影はあり得ない角度に揺れて、ふっつりと消えてしまいました」
「あり得ない角度に?」
「古いブラウン管のテレビを消すと、最後に映像が圧縮されたように、ぐにゃりと歪みますよね。ちょうどあんなふうでした。影だけが、ぐにゃりと歪んで消えたのです」
猫の耳をかたどった、いわゆるネコ耳のカチューシャなら市販されている。新たにそれを仕入れたかして、星姫が試みに着用していた可能性もなくはない。けれども、電灯はついたまま、影だけが歪んで消えてしまう現象はあり得ない、と佐々木ユキは主張するのだ。
「牧村さん……どうなさいました?」
美由紀は唇に指をあてたまま、あらぬ方角を見つめていた。ユキが話しかけても上の空で、瞬きすら止まっていた。これでは埒が明かないので、代わってユキトがカウンターの後ろに回りこんだ。カップが空になっているのを目ざとく見つけて言う。
「コーヒーのおかわりはいかがですか。もちろん、ぼくからの奢りということで」
「ほんとですか。もちろん、喜んでいただきます!」
「クリスマスも近いことですし、ついでに、カフェ・ロワイヤルとシャレてみましょうか。ひひひ」
ぼくはユキトの魂胆が瞬時に読めた。カフェ・ロワイヤルとは周知のとおり、ブランデーにひたした角砂糖を匙の上で燃やし、そのまま投入する遊びだ。これをやれば、コーヒーにブランデーの味が混じっている違和感を、ある程度ごまかせる。もちろん、あらかじめたっぷりと混入させておくつもりだろう。




