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セキニン

 牧村美由紀はそのまま、ぼくの顔から視線を外そうとしなかった。みょうな妄想をした直後なので、居たたまれない思い。意味もなく肘を掻きむしったりするうちに、ようやく彼女が口を開いた。

「責任はとっていただけますよね、ヨコマチさん」

「せ、責任とは?」

「わたしを脱がせた責任ですよ」

「ちょっと待て。たぶん、ぼくは何も……」

 何もしていない、はずだ。さっきのは妄想だし、イコが発芽したあの夜だって、彼女はしっかり服を着ていたではないか。また、過去に何らかの不埒な行為に及んだ記憶もまったくない。あたふたしているぼくを、彼女は「とろん」とした瞳で眺め、両手を背中へ回しながら、赤い三日月の形に唇をゆがめた。

 するすると、エプロンの結び目が解かれた。次の瞬間、それは白い抜け殻となって、床にふわりと降り積もる。どうなっている? 何が起ころうとしている? 花火のようにショートする脳内で地獄のゾンビ音頭を踊り狂う三賢者は、とっくに愚者と区別がつかない。見事なジャクソン・ターンをキメながら、エルキュール・ポアロが叫んだ。

(まさに、寄生されているのは彼女ではありますまいか、ポウっ!)

 ヴァンパイアの瞳に呪縛されたように、ぼくはその場を動くことができなかった。ゆるやかで風変わりなダンスをおもわせて、美由紀は高く手を持ち上げ、背中へ回した。

「好きですよね、こういうの」

 たしかに大好きなポーズだ。体の線が最も美しく出ると思う。そんな自分は変態ではないかと悩んだが、谷崎潤一郎が似たような意見を述べていた。しかし考えてみれば、谷崎潤一郎は日本文学屈指の変態作家なのであった。などと思いを巡らせるうちに、ジーッという、何かがずらされる不穏な音が響いた。

 ジッパーだ。あんなところにジッパーがあるなんて、ついぞ知らなかった。と、ばかみたいなトリビアに感心している間にも、それは腰のあたりまで引きおろされた。

「ヘッドドレスとソックスは、つけたままにしておきますね」

 言葉の意味は呑みこめないまま、ビブラートの効いた声が、脳下垂体をじんと痺れさせた。視界がぼんやりとかすんだ。大きく開いた服の背中から、両肩が剥き出しにされ、腕が一本ずつ袖から外された。あとはこの厚手の黒いワンピースを、彼女の体に留めておく要素は何もない。

 軽い衣ずれの音とともに、体の線をなぞりながら、匂やかな影の堆積と化して、それがするりと足もとに落ちるのを、ぼんやりと眺めていた。目を上げると、彼女は片方の腕で胸を、もう一方の拳を股間にあてがい、身を縮めるようにして立っていた。ボッティチェルリのビーナスのように。

 あんぐりと開けた口から、ぼくはようやく声が出せた。

「しかし、きみ。これで責任をとれというのは、明らかにサギ行為ではあるまいか」

 ワンピースの下に、彼女はあらかじめ体操服を身につけていたというわけだ。厚手のシャツにはエンジ色の縁取りがあり、胸に縫いつけられたゼッケンに「3-A 牧村」と油性マジックで大書されていた。下は惜しむらくも絶滅した往年のブルマー。これもまた臙脂色であった。

「スクール水着にすべきか、迷ったんですけどね」

「そんなことで迷わなくていいから」

 それでも「調べる」に及んでは、かなり照れくさい思いをさせられた。ともすれば反応しそうになる股間を統御するために、荒ぶる鬼神を鎮める陰陽師なみの苦労を要した。

「M字がお好みですか。それとも四つん這い?」

「余計なことばかり言ってると、カゼをひくぞ」

 しかしそれは彼女なりの照れ隠しだったのかもしれない。日頃の奇抜な恰好ゆえにぶっ飛んだ娘と思いがちだが、いつも長いスカートを履いているし、昨今の若い娘にしては肌をあらわさない。ああ見えても、じつはものすごくシャイなのではないか。高校生の頃は一人だけ膝丈で通したクチではないか、等々、勘ぐってしまう。

 再び彼女がエプロンを身につけたとき、シチューはほどよく煮えていた。置き去りにされていたイコを見れば、空腹のあまり漫画チックに目を回していた。くすりと笑って、彼女はつぶやく。

「体操服の上から、エプロンをつけたほうがよかったかしら」

「もうそのネタはいいって」

 星の形をしたアザは、けっきょくどこにも見つからなかった。残るは、あと四人。

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