ミッション・アンビリーバブル
不意に込み上げてきた笑いを、ぼくは抑えることができなかった。いきなりこの状況で笑いだす不気味さというか、変態っぽさは理解していたが、笑わずにはいられなかった。どうしてこんな、ばかみたいな事実を見落としていたのだろう。しかも彼女を「調べる」より、むしろずっと手っ取り早い。
「バイモを飲ませればよいのだよ、二階堂くん。ふは。ふはははははは!」
ユキトはけれど、眉毛ひとつ動かさなかった。この美しい仮面のごときクール・ガイの指にしがみついたまま、イコが事もなさげに口をはさんだ。
「あの花の根は、もう効果がありませんねえ」
「な、なぜだッ?」
「モノガタリなのですよ。ご主人が飲んだのは、モノガタリから摘んできた花の根ですが、ほかの人にはそうではありませんから」
と、さっぱりわからないが、なんとなくわかる気がしないでもない。ぼくは「人面瘡」のエピソードに触発されてバイモを探索し、探しあてた。いわば、ぼくが飲んだバイモは『伽婢子』の中の秘薬であったが、ほかの人にとっては、どうあがいてもせいぜい咳止めに用いられる、ただの粉末に過ぎないのだろう。
ぼくは一連の流れの中で『伽婢子』とリンクしていたため、バイモもというありふれた漢方薬が魔力をもつに至った。けれど、それはたまたまモノガタリにアクセスしてしまった結果であって、ほかの人物は魔術的な連環の外にある。と、自分で解説しながら、やっぱりなんだかわからないが、そんなところではあるまいか。
「じゃあ、そうだ。レントゲンを撮ってもらうとか、胃カメラを呑ませるとか」
「わたしたちは、カメラに映りませんのです。なぜなら、その、ハンブッシツ、ですからねえ」
「反物質だと? 映像にとらえるには、何百億もかけた装置が必要というわけか。いやいや、おまえがさっきから、ああ言えばこう言うのは、妹をかばうためじゃないのか」
「ご主人に嘘はつきませんよ。なぜならわたしは……」
気のいいやつですからねえ。そう言って顔をほころばせた。自分で言ってれば世話はない。が、たしかに巧みな嘘がつけるほど、器用なやつとも思えない。とにもかくにも、ここで問題は振り出しに戻ってしまった。
ならばどうする? 相変わらず涼しい顔で、ユキトが言う。
「キイさんが再び動き出す恐れがあるのは、事件から一週間後でしたか。まだ少し間がありますが、美由紀ちゃんだけは、遅くとも今日じゅうに白黒つけておきたいのです」
「もちろんきみが調べてくれるのだろう。きみなら彼女より年下だし、風貌も女性的だから、まだシャレで済まされるだろう」
アヤシげな地下室でアヤシげな道具を用意しているかれの姿が浮かんだが、強いて頭から追い払った。
「いいえ。この問題は、ヨコマチセンセイに一任させていただきます」
「な、なぜだッ!」
「そのほうが面白いからです。というのは冗談ですが、お任せするのはジョークではありません。ミッション遂行のために特別な道具が必要でしたら、遠慮なくお申しつけください。頼みましたよ」
「特別な道具って何だ。おい待て。人の話を聞け!」
かれはすみやかに食器を重ねると、酷薄な笑みを残して部屋を去った。あとには呆然自失の売れない作家と、何も悩みがなさそうな小妖怪が残された。
昼近くになっても、牧村美由紀は姿を見せなかった。
珍しく忙しいのだろうか。店に客足が絶えないのか。月に二度くらいは、そんな奇跡が起こるとは聞いていたが。考えてみれば雰囲気はいいし、コーヒーは文句なく旨いし、マスターは美青年だし、ウェイトレスも恰好はともかく「気のいいやつ」だし、もうちょっと繁盛してもよさそうなものである。
十一時半を回ったところで、ぼくは逃げ出すことに決めた。今日じゅうに、とユキトは言ったのだ。こんなところで、いつ彼女があらわれるか、びくびく待っているようでは、とても積極的な行動になんか出られやしない。林檎やら本やらを詰めたリュックを背負い、外套のポケットにイコを忍ばせて部屋を出た。
さてどこへ行こう。
アテもないまま駅のほうへ向かう。今日もやはり十二月にしては温かく、商店街のあちこちに陽だまりができていた。暇そうに立ち話をしている店主たち。競馬新聞を広げたまま、うとうとしている者もいれば、客と一緒にテレビに齧りついている者もいる。相変わらず、桜吹雪商店街の連中は暇そうだった。




