鍵
「イコちゃんの妹さんの名前は?」
コトの重大さがわかっているのかいないのか、美由紀はまた呑気に名前なんか尋ねている。
「希、と申します。希望の希と書きますねえ」
「二人とも一文字なのね。やっぱりちょっと呼びづらいから、キイちゃんでいいかしら」
たしかにキコではイコと紛らわしい。「夷」と「希」の組み合わせといえば、何となく聞いた覚えがあるが……美由紀はインタビューを続けた。
「キイちゃんもあなたと似ているの?」
「少し背が高いのですよ。わたしがうんと背伸びをして、やっと同じくらいですよ」
ドングリの何とかとはよく言ったものだ。妹について話すのが嬉しいのか、うきうきとイコは続けた。
「ほかにわたしと違うところはですねえ、妹には二本のツノがありますよ。わたしよりずっと気が強くて、ウンドウシンケイが発達しておりますから、カッパライなんかもお手のものです。肌の色は黒いほうで、それに……」
イコはぼくの目を覗きこんだ。さっきから気づいていたが、たとえば「運動神経」など、少々込み入った単語を使おうとするときに、よくこうするのだ。思うに、腹の外に出た後も、ぼくを「ご主人」と呼んでいるところからして、イコにとっての宿主はまだぼくであり、一種のリンクが切れていないのではあるまいか。潜在意識を共有しているのではあるまいか。
そう考えると、中国から来たこの小妖怪が、日本語に堪能な理由も説明できる。言葉に詰まったときは、ぼくという辞書の中から探し出してくるのだろう。このたびも、ようやく当て嵌まる単語を見つけたのか、イコの目が輝いた。
「巨乳なんですねえ」
ぼくはいたたまれない気持ちになった。
「そんなことはどうでもいいんだ。イコ、これは重大なことだから、心して答えてくれよ。おまえの妹、キイは今、だれの腹の中にいる?」
「いやはや、それがご主人……」
「わからないのか? 種の状態で、一緒に鍋の中に入っていたんじゃないのか」
「一緒に入ったのは本当なのですが、あの黄色いスープ、いやはやキョーレツなものでありまして。国もとには、あんなぴりぴりしたスープはありませんからねえ。目を回している間に、はぐれてしまったのですよ」
中国とインド。さほど離れていないのに、個性の違いは歴然としている。ラーメン屋とカレー屋がともに繁盛しているのは、日本くらいなものか。いずれにせよ、この寄生生物は強烈な香辛料が苦手らしく、それは吸血鬼がニンニクを忌むのと、一脈通じるものがあるかもしれない。
自身の腹をさすりながら、美由紀が言う。
「わたしじゃないみたいですけど」
「それはぼくが保障するよ。だってあの夜、きみはずっと……」
ぼくと同じ布団で寝ていた。そう言いかけて口をつぐんだ。ツノをぽりぽり掻きながら、イコが口をはさんだ。
「それがご婦人、妹はわたしよりずっとデキのいい子でして、その、ハツガする時間をジザイにチョウセイできるのですよ」
発芽する時間を自在に調整できる? 絶句しているぼくたちを尻目に、イコはさらにおぞましい事実をまくしたてるのだった。
「ハツガした後も、妹はヤドヌシの体をジザイに操れるのですねえ。ジザイに操りながら、ほかの殿がたを襲うのですよ」
「襲うって、どういうことだ」
「はい。妹は殿がたの、その、セイキが好物なんですねえ。ですから、まず妹は若いご婦人の体に入り込みまして、そのご婦人を操って殿がたを油断させたところで、セイキを吸い取るのですよ。しかもヤドヌシになったご婦人は、操られている間の、なんですか、キオクが消されるのですねえ」
異なる漢字を当て嵌めてはえらいことになるが、キイこと「希」が好物とするのは、男性の「精気」にほかなるまい。まず最初に女性の体に入って発芽し、彼女の精神を操って男に近づいては、精気を吸い取る。のみならず、操られている女性は、その間の記憶を消されるという。
ここにおいて、十二月三日の夜から四日の明け方にかけて発生した伊丹幸吉昏倒事件は、十二月一日のヤミナベと結びつけらるに至ったのだ。ひとつの小さな、「key」によって。




