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 せっせと縫いものをしながら、牧村美由紀が尋ねた。

「イコちゃんは、どこから来たの?」

「生まれは楚の苦県ですねえ」

「ソノコケン?」

 もの問いたげな視線を受けて、ぼくは埃をかぶった記憶の引き出しを掻きまわす。

「えーと、古代中国の地名だよ。今でいうところの、河南省あたりかな……って、ちょっと待て!」

 どんとカウンターを叩くと、イコの体が数センチ浮いた。それが意味するところに、美由紀も気づいたようだ。

「あいやー、やっぱり犯人は胡さんでしたか」

「龍蝨だっけか。中国産のゲンゴロウを、ヤミナベに入れたという話だったな。おい、イコ。おまえはゲンゴロウの中に紛れこんでいたのか」

 しかし、いくら小さいとはいえ、イコは身の丈十センチは超えている。どんなに体を丸めても、柿の種ほどだったロンサツの中に入れるとは考えられない。といった疑問符を読みとったように、小妖怪は答えるのだ。

「はい、種になって紛れこんでいたのですよ。わたしたちは、メシをたくさん頂きますからねえ。腹ペコになるのが一番つらいのです。そこで食いっぱぐれたときは、種に変化して、新しい宿主を探すわけですよ」

 イコは変化を「ヘンゲ」と発音した。なるほど、妖怪変化とはよく言ったものである。

 寄生虫の場合、卵の状態で宿主に呑まれ、体内で孵化して成虫となる。もっと複雑でおぞましい過程をとる種類もあるが、基本はそうだ。いわばイコは、卵と成虫という二つの形態の間を、自在に行き来できるということだろう。

 ここでぼくは、あることにハタと思い当たった。もっと複雑でおぞましい……寄生生物の中には、宿主の精神までも支配するものがいると聞く。宿主を操り、自身の生存にとって有利な条件を満たすよう、行動させるのだ。ある種のキノコはアリの体を乗っ取り、「発芽」するのに好条件な場所へ移動させてから殺すという。

 冷や汗をかいているぼくの前で、ユキトが涼しい顔で訊いた。

「つまりイコさんは『種』になったまま、中国から、はるばる海をわたってきたのですね」

「そういうわけですねえ」

「ヨコマチセンセイのお腹に入ったのは、偶然ですか」

「いいえ、ご青年。偶然というものは、わたしたちにはありませんのです。縁とは不思議なものですが、決して偶然ではありませんのです」

 と、なんだかわからない、哲学的な口をきいて、タオルの中で腕組みしている。美由紀は縫いものをする手を止め、唇に指を当てていた。

「ちょっと、イコちゃん。さっきから『わたし』じゃなくて、『わたしたち』と言ってるのはなぜ?」

「言いましたかねえ」

「たしかに。それはあなた以外にも、イコちゃんみたいなタイプの仲間がいる、ということかしら」

「仲間と申しますか、妹がおりますよ」

 このイコの一言はぼくの頭の中で、例えば三対ゼロ、贔屓の球団のリードで迎えた九回裏の二死満塁で、さよならホームランを打たれたときの、バットの音のように鳴り響いた。

「まさか、とは思うが」

 かすれた声が出た。小動物をおもわせる瞳で、イコはぼくを見上げた。その無心な眼差しが、今はむしろ恐ろしかった。

「まさかその妹とやらの種までも、ヤミナベに紛れこんでいたとは言わないだろうな」

「紛れこんでいましたねえ」

 満員の東京ドームに鳴り響く大歓声のように、その一言は、ぼくの頭の中で絶望的なコダマを返した。十二月一日の夜、ヤミナベの中には、イコを含めて、二つの寄生生物の「種」が紛れこんでいたというのだ!

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