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パラサイト・イコ

 そいつは「現実」という形をまとい、目の前にぶら下がっていた。あり得ないこと。あってはならないこと。存在する筈のない生きもの。

 けれど、南アフリカのコモロ諸島付近で、シーラカンスが発見されたという事実を、我々は受け入れたではないか。三億年前から棲息し、数千万年前に絶滅したと考えられていた古代魚である。そんなものが、現代の海に忽然とあらわれるほうが不思議なのだけれど。

 噂ではなく、伝説でもなく、現実として捕獲された魚を面前に突きつけられれば、受け入れざるを得なかった。

 例えば捕獲されたのがシーラカンスではなく、プレシオサウルスだったとしても、我々は受け入れざるを得ないだろう。ネッシーのように、せいぜい怪しげな写真があるばかりなら、UMAだ怪物だと好事家に騒がれるだけだが。実体をともなって目の前にあらわれた以上は……

「ときに、ご主人。申し上げにくいんですが、じつは今朝から何も食べておりませんで、腹ペコなんですねえ」

 しかしこいつは古代魚や恐龍ではない。明らかに、妖怪変化のタグイではないか。

「メシにしましょう、ご主人」

 ぼくは今すぐ恐山へ走ってイタコに頼み、ダーウィンの霊を呼び出してもらいたい衝動に駆られた。そしてかれの霊に問いたい、かれの霊を問い詰めたい。いったいこいつは、進化の系列のどのあたりに位置するのか。もしもこいつの存在が世に知れわたれば、進化論は根底からくつがえされるのではないか。

 喫茶店は閉めきられていた。

 ドアに「準備中」の札をぶら下げ、もちろん鍵もかけられた。窓はステンドグラスなので、外からは覗けない。小妖怪はタオルにくるまったまま、カウンターにちょこんと座っていた。

「はいはい、お腹が空いたのね。すぐに何か作りますからね」

 美由紀が厨房に立ち、目にもとまらぬハヤワザでキノコスパゲティを作ってきた。ほくほくと湯気のたつ皿と、林檎が三つ並ぶさまは、なんとなく「お供えもの」をおもわせた。

 しかし、いったいどうやって食うのだろう。寄生されている間は、ぼくが噛んでいたわけだから、こいつは流動食をすするだけでよかったろう。けれど、今や、めいっぱい口を開けたとしても、茹でたパスタの直径にも満たないのではないか……小妖怪は皿に前にひざまずき、うんと体をそらして、そのままパスタに齧りついた。

 山盛りのスパゲティと三つの林檎が、三分で消えた。

 スポーツにしても芸にしても、磨き上げられた技には、だれもが見入ってしまうものだが、ちょうどそんなふうな食べっぷりだった。最後の林檎が、ヘタだけを残して奇麗に平らげられたとき、美由紀が思わず拍手した。オリンピックの選手のように、小妖怪は片手をあげて賞賛にこたえた。

「じつにうまいメシでしたねえ」

 皿を片付けると、美由紀は裁縫箱と端切れを持ってきて、ぼくの隣に陣どった。その間にユキトが三人ぶんのコーヒーを淹れ、小妖怪には林檎ジュースを「お供え」した。コップの口は少女の背よりだいぶ高いが、ストローの蛇腹が顔に届くよう、器用に折り曲げられていた。ユキトはカウンターの後ろに突っ立ったまま、

「少しお尋ねしてもよろしいでしょうか。ええと……」

「そうそう、わたしたち、まだあなたの名前を知らなかったわね」

 美由紀があとを継いだ。そうだ、シーラカンスと小妖怪が決定的に違う点がひとつある。それはこいつが喋れることだ。しかも少々間のびしているものの、なかなか弁の立つ日本語を。

 ストローから顔を離して、心なしか小妖怪は頬を染めた。

「夷、と申します」

「イ?」

「征夷大将軍の夷ですねえ」

 ぼくたちは顔を見合わせた。三人ともリアクションに迷う中、ずずず、と、林檎ジュースを飲みほす音が響いた。

「夷ちゃんか。可愛いらしい名前ね。でもちょっとわたしたちには呼びづらいかしら……」

 美由紀が人さし指を唇にあてた。

「そうだ。子をつけて、イコちゃんというのはどうかしら」

「わたしは一向に構いませんですよ」

 なんという安直なネーミングだと思ったが、小妖怪……イコはまんざらでもなさそうに、ぺろりと唇を舐めた。

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