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滝の下で

 葉隠稲荷の拝殿をまわると、濃い緑の陰につつまれた。

 この空間にだけ、夜がまとわりついているようで、実際、頭上に張り出した常緑樹によって、四六時中陽光がさえぎられるのだろう。日陰に強い潅木が生い茂り、その間を、シダ類がびっしりと覆っていた。朽ちかけた小さな祠が、いくつも見え隠れしていた。

 忘れられた、小さき神々を祭るホコラたち。屋根といわず扉といわず、隙間なく苔に覆われているさまは、モダンアートふうですらある。

 タンポポの綿毛のようなものが、無数に飛び交っていた。浮遊生物をおもわせて、うっすらと輝きながら。美由紀がひとつ、両手で覆うようにそっとつかまえると、やはり綿毛の一種に見えた。タンポポのそれよりずっと大きく、ぼうっと光を増したかと思えば、風もないのに、彼女の掌からふわふわと浮上した。

「ケセラン・パサランですね」

 納得顔でうなずく彼女に、ぼくは尋ねた。

「本当に滝があるのかい。水の音なんか聞こえないみたいだけど」

「この先ですよ。わたしくらい散歩の達人でなければ、見つけられないんです」

 と、自慢にもならないことを自慢している。美由紀が指さしているのは、獣道とさして変わらない小道である。スカートをちょっとつまんで、彼女は慣れた様子で先頭に立った。ぼくたちもズボンの裾を濡らしながら、あとに続いた。行き止まりは崖である。やはり潅木とシダ類に覆われ、苔むした岩肌は常に濡れているようだった。

 滝、のようなものは、たしかに存在した。

 ほぼ垂直な斜面から、シダ類をひっそりと揺らしながら、透明な一筋の水がしたたっていた。真下に池、と呼ぶにはあまりにも小さな水溜りができている様子も、いわば滝のミニチュアである。

 さて、その直後に起こったことを、ぼくはうまく書き表すことができない。実際に体験したというのに、文字にしようとすると、何か違う。どうしても嘘っぽくなってしまう。例えば宮沢賢治の名作童話において、ジョバンニが銀河鉄道に乗り込む瞬間の描写が存在しない理由が、今なら少しわかる気がする。

 賢治もまた、何度も書いては捨て、書いては捨てたのではなかろうか。そうして後世にようやく名作と認められ、未発表原稿が本になるに及んで、こんなふうに記される結果となってしまったのではあるまいか。


 この間、原稿用紙数枚欠如。


「いやはや、まいりましたですよ、ご主人」

 そいつは、たしかに、そこにいた。

「この国は、じつに寒い国ですねえ。おかげで、すっかり腹ペコになってしまったのですよ」

 おおむね夢で見たとおりだった。十二、三歳くらいの少女の姿をしており、額から巻貝をおもわせる、一本のツノが生えていた。

 ただし、夢の中では差し向かいでチェス、のようなものができるほど、少女は一般的なサイズだったが、目の前にいるやつは、その十分の一よりもっと小さい。掌の上で難なく第二ラジオ体操ができるだろう。そうして、赤い不思議な民族衣装を身につけていた夢の中と異なり、丸裸だった。

 波紋を描く水溜りの中。苔むした石の上で、そいつは小さなくしゃみをひとつした。

「そんな所にいたら、カゼを引いてしまいますよ。とりあえず、これで体を拭いてちょうだい」

 さすがに呆然としているぼくとユキトの隣で、牧村美由紀がてきぱきとタオルを広げた。こんなものを、いつの間に用意したのだろうか。

「いやはや、ありがたいことですよ」

 ミニチュアの少女は、古池にカワズが飛び込むほどの音をたてて水溜りに潜り、シダの上に這い上がった。黒い、つやつやした髪が、白い背中に貼りついていた。

 美由紀はタオルで少女をくるみ、両手で支えながら持ち上げた。小さなツノのある頭だけ出した妖怪は、目をぱちぱちさせながらぼくを見上げ、

 いかにも嬉しそうに微笑んだ。

「はじめましてですねえ、ご主人」

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