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カフカ的不条理

   「真」章


 夢をみた。

 例のスイカ畑だった。まだ夜らしく、ぽっかりと月が浮かんでいた。

 番小屋には、いくつかのランプが吊るされたり、置かれたりしていた。よく見ると、ランプのガラスの中には水が満たされ、数匹のゲンゴロウが泳いでいるのだった。

 ゲンゴロウたちは全身から蛍火に似た、けれどその何十倍も明るい緑色の光を放ちながら、ゆうらりと上下していた。

 鈴の音に似た、かすかな音が聞こえていた。もしかすると、ランプの中の虫たちが鳴いているのかもしれなかった。

 丸太の上に敷いた絨毯にあぐらをかいて、ぼくは赤い服の少女と、奇妙なチェスの試合を続けていた。ゲンゴロウの火を頼りに、試合を続けていた。とくに白熱するでもなく、とくに面白いわけでもなく。そもそもいまだにルールがよくわかっていないのだが、ゲームは着実に進んでいるようだった。

(次はご主人の番ですねえ)

 例の間のびした調子で、少女がうながした。全身からうっすらと燐光を放ち、とくに額から生えた一本のツノは、メノウのような色合いをおびて美しかった。

(まだきみの番だよ。駒を動かしていないだろう)

(いえいえ。ヒゲ将軍が昼寝してしまったので、一回休みなのですよ)

 わけがわからないまま、ぼくは駒のひとつに手をのばした。ガラスでできているような、ひんやりとした重みがあった。ちなみに少女が赤い駒を、ぼくは白い駒を動かしていた。

(ほおほお、そうきましたか。なかなかやりますねえ)

 そうくるも何も、駒はぼくが置いた所から、勝手に二マス歩いたのだ。このゲームは、いつまで続くのだろう。退屈ではなかったが、やはり心もとない。ぼくは何のためにここにいるのか。ほかに何か、やるべきことがあったのではないか。

 ふうわりと、少女が微笑んだ。

(勝負はおあずけのようですねえ、ご主人)

(どうしてだい)

(ここを出なければいけなくなったようです)

 その一言に、どことなくうしろめたさを覚えた。少女を追い出すように仕向けたのは自分なのだ、と、なぜかそう感じた。まるでぼくの気持ちを察したように、彼女は言う。

(いえいえ。ご主人のせいではありませんよ。あの花の根を食べても、ご主人はご主人のままです。また逢いますよ。滝の下で、きっと逢います)

(滝?)

 どこかで聞いたフレーズだ。そう考えたところで、目が覚めた。

 実際に、滝のように汗をかいていた。


「滝、ですか?」

 フォルスタッフに顔を出すと、早起きだと言って驚かれた。コーヒーを所望したところ、さらに驚愕の目を向けられた。

 ぼくは妙てけれんな夢の話をした。夢から覚めたあと、ここ数日ずっと感じていた腹の中の異物感が、まったく消滅していたことも。

「このあたりで滝といえば、葉隠稲荷の裏にありますよ。まあ滝というより、湧き水と呼んだほうが近いんですけどね」

 コーヒーを運んできて、牧村美由紀がそう言った。朝の八時すぎ。例によって店内には彼女とユキト、そしてぼく以外、だれもいなかった。カウンターの後ろで腕組みをして、ユキトが言う。

「ちょっと整理させてください。つまり、センセイは昨夜、寝る前にバイモの粉末を服用した。妙てけれんな夢から覚めてみると、一匹の虫になっているかわりに、腹の中の虫がいなくなっていた。異様な食欲がなくなり、突発的なコーヒー嫌いも治っていた。これで合ってますか」

「合ってる。つけ加えるならば、腹の虫は去り際に夢の中で、滝の下での再会を予告したんだ」

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