美少年でサディスト?
話をヤミナベの日にもどそう。
「どうぞ。ヨコマチ先生」
ちょうどコーヒーも出てきたし。
「だからさ」
「ごめんなさーい。先生とお呼びしちゃいけないのよね。でも、ヨコマチサンなんて、言いにくいんですもの。語呂がいまいち」
どうせぼくはいまいちさ。
栃木県から消えた地名呼ばわりされながら、コーヒーを口へ運ぶ。フリーズしていた脳細胞が、次々と再起動してゆくのがわかる。ポアロ氏が狂喜し、クイーンとヴァンスも、満足げに笑う。牧村美由紀はカウンターに肘をつき、人さし指をかるく唇にあて、何やら考えにふけっている。
おそらく何も考えていないと思うが、このポーズは、なかなかサマになっている。
ちなみに今日の衣装はいわゆる「メイドさん」である。某電気街で目にするのならともかくも、こんな江戸を斬るような商店街の片隅から、頭に変なものをつけて出て来られた日には、あの夜のぼく同様、イチゲンさんを仰天させずにはいられまい。
このいつ見てもマニアックな服装は、あくまで牧村美由紀の個人的な趣味であって、マスター兼オーナーである二階堂ユキトは、一切関与していない。らしい。が、当然、事情を知らない客に変態とみなされるのは、この男であろう。
いやがるウェイトレスに、むりやり恥ずかしい恰好をさせて喜ぶ変態マスターの図。
いやイチゲンさんのみならず、数少ない常連でさえ、そう認識しているフシがある。ユキトファンの女性客は、なぜか皆、スカートをひらひらさせて来店する。やつは、けれど言い訳のひとつも口にしないどころか、
「とても奇麗デス」
などと、カタコトした言い回しで女性客を狂喜させている。ぼくも含めて、ここへ集まる連中は、皆、どこかおかしい。
からん。
と、カウベルが鳴り、客かと思えば、モーニングサービスの小黒板を片手に、ユキトが表からもどってきたところ。時計を見れば十時すぎ。ぼくにとっては、アラウンド・アバウト・ミッドナイト。深夜に等しい。
「ときにセンセイ、ヤミナベの件なのですが。よもやお忘れではないでしょう」
こやつは、どんなにたしなめても「センセイ」と呼ぶので、もうあきらめた。だいいち、音声をお聞かせできないのが残念だが、こやつは決して「先生」と発音していない。わかるだろうか。この、ヒトを小ばかにしたような、カタカナのニュアンスが……ぼくは首を横にふる。
「自分にとって不都合なことは覚えない主義でね」
「ルールくらい、ご存知でしょう」
「概要だけなら」
「桜吹雪商店街に元禄五十七年から伝わるヤミナベも、概要はほぼ同じです。カレー味ですけど」
元禄時代にヤミナベがあったのか、カレーもあったのか、五十七年も続いたのか。と、満載の突っ込みどころに、いちいち付き合っていられない。
「つまりきみはこう言いたいのだろう。鍋にぶちこむための秘密の具を、夕方までに各自調達しておけ、と」
「名推理です」
「さすが、推理作家!」
カウンターのうしろから、メイドの合いの手が飛んだ。
彼女は探偵の助手になるのが夢だという。
探偵事務所なら実在するのだから、そこに勤めればよい話だが、金田一耕助や明智小五郎や榎木津礼二郎みたいな探偵の助手でなければ、いやだという。それでしきりにユキトに探偵として開業するよう口説いている。
「だってもったいないですよ。二階堂ユキトという名前からして、ほかの職業はあり得ません。そのうえ、お金持ちで美少年でサディストとくれば、絵にかいて額縁に入れて幻影城の壁にかけたような名探偵ですよ」
などと、わけのわからないことをよく口走っている。
ちなみにぼくは推理作家ではない。いったいなぜ、純ブンガクの作家、ヨコマチ亨のたった一冊の単行本が、彼女に「推理小説」として認識されたのか、むしろそれが最大のミステリーである。おかげで命拾いしたのは確かだが、とにかくここは、声を大にして主張しておきたい。
「ぼくは無印の作家だ!」
無名の作家と大差なかった。




