「じつは、見たのですよ」
おそらくサナダムシではないのだ。なぜなら、サナダムシは喋ったりコーヒーをいやがったりしないからだ。それでも篠田医師が「寄生虫」の存在を一発で看破したのは、慧眼と言わざるを得ない。
ぼくはここを訪ねた一番の目的を口にした。
「バイモという薬があると聞いたのですが」
どんな顔をするか観察していたが、驚いたり、いぶかったりする様子もない。
「咽でも痛みますか? よろしかったら、分けてさしあげますよ」
「あるんですか?」
「漢方薬としては、ありふれたものですからね。それくらいは常備しておりますよ。ところで作家先生はどう思われます?」
「どう、と、仰いますと?」
医師は白衣のポケットから、くしゃくしゃになった煙草の箱を取り出した。一本抜いたが火をつけず、指の中でくるくると弄ぶ。
「八百屋の若旦那の一件です。ウェイトレスさんは、ずいぶん興味がおありのようだったが。彼女はたしか、ミステリーファンでしたな。前に毒物に関する簡単な本を、お貸しした覚えがある」
ぼくはゾッと肩をすくめた。牧村美由紀が深夜、「毒物に関する簡単な本」を読み耽っている姿を想像して。医師は語を継いだ。
「伊丹さんの話では、すぐにでも退院できそうな勢いだったが、わたしには、とてもそうは見えませんでした。おそらく三、四日は足腰が立たんでしょう」
「そんなにひどいんですか」
「一歩まちがえれば、命はなかったでしょう。東洋医学で言うところの『精』と『気』が、ゼロに近いところまで減少していたのです。二つ合わせて、精気と申します」
なぜかふと、レムリアン星姫の姿が浮かんだ。眉間にちょっと皺を寄せて、半分閉じた眼差し。彼女は「気」を読むと言われ、ぼくのお腹のあたりから、すさまじいそれが発生していると断言した。
「篠田先生も、気が読めるのですか」
「も? ああ、いえ。占いの先生みたいにはいきませんよ。脈や肌の色、目つきなどから総合的に判断します。西洋医学にのっとって、どれほど細密検査をほどこしたところで、精や気は検出されませんからね。作家先生なら、『怪談牡丹燈籠』をもちろんご存知でしょう」
正直、ぎょっとした。
篠田医師の言う「牡丹燈籠」は、三遊亭圓朝のバージョンを指すのだろう。有名な「お露さん」の幽霊が、駒下駄をからん、ころんと鳴らしながら、新三郎に逢いに来る話だ。枝葉の多い複雑なストーリーに翻案されているが、大筋はぼくのリュックにコピーが入っている、『伽婢子』のバージョンと変わらない。
そう。またしても、『伽婢子』である。医師は言う。
「お露さんは、新三郎との逢瀬をくりかえすたびに、かれの精気を吸いとってしまうわけですが、もしこれが西洋の怪談噺なら、こうはならない。精気ではなく血を吸いとるでしょう。いわゆる、吸血鬼ですな」
医師は急に口をつぐんだ。沈黙の中で、待合室の古めかしい振子時計の音が、心なしか、からん、ころんと響くように思えた。声をひそめて、医師は続けた。
「じつは、見たのですよ」
「見た?」
「ええ。幸吉くんの首筋にね。右側の、ちょうど頚動脈の上でしたよ。ごく小さな、針でつついたほどの痕でしたから、総合病院では問題にしとらんでしょうが、わたしは気になってしょうがなかったのです。それはちょうど、にゅっと長く伸びた犬歯で噛んだほどの傷でした」
診察室を出ると、受付で二つの小さな紙袋を手わたされた。ひとつは検便用の封筒で、もうひとつにはバイモが入っていた。




