篠田医院
駅前。
猫の額ほどの公園のベンチにかけた。コンビニの袋から菓子パンと牛乳を取り出し、林檎と一緒に遅い昼食をとった。いつもなら缶コーヒーにするのだが、飲めそうにないし、飲みたくもなかった。
「なあ、おまえはいったい何者なんだ。ぼくの肉体を滅ぼして、いずれ鬼になるつもりなのか」
腹をさすりながら問いかければ、仔犬が鳴くような、きゅるきゅるという音。何か喋ったのかもしれないが、美由紀がやったように、腹に直接耳を押し当てなければ、まず聞きとれないだろう。ろくろ首ならともかくも、ただでさえ体の硬いぼくに、そんな芸当はとてもできない。
フォルスタッフへ戻る前に、商店街をそれて、とある小さな雑居ビルを訪ねてみた。
エレベーターなどという、気の効いた装置は最初からついていない。目指す場所を示す看板もない。剥き出しのコンクリートを眺めながら狭い階段を上り、三階の踊り場に出た。磨りガラスに「篠田医院」と書かれているので、かろうじてそこが病院と知れるのだ。
ドアを開けた。すぐ左の受付には、いつもどおり、ピンクの白衣を着た看護師の婆さんがいた。ピンクの白衣、というちぐはぐな表現そのままに、婆さんにはまったく似合っていなかった。
「おやまあ。このたびは、お倒れになったそうで」
いかにも嬉しそうに微笑んだ。待合室にはだれもいなかった。空のソファの隣で、達磨型の石油ストーブが淋しげに燃えていた。婆さんが奥へ顔を突っ込んで医師を呼んだ。
「作家先生がお見えですよ」
診察室へ通された。ここにも達磨ストーブが鎮座していた。篠田医師は白衣の前をくつろげ、足を組んでいた。
「まあ、おかけください。こちらへお寄りになったということは、何か異変でも?」
図星を指され、思わず噎せそうになりながら、そうではないと言い訳した。患者用の椅子がギイときしみ、腹がちょっと鳴った。医師は耳ざとく聞きつけて、目をまるくした。
「食欲はおありのようですな」
「おかげさまで。お伺いしたのは、世間話ついでに、二、三、尋ねたいことがありましたもので」
「ならば茶でも淹れましょう」
「い、いえ、どうかお構いなく。お茶やコーヒーは、さすがにまだ受けつけないようです。ときに、先生の見立てでは、ぼくはやはり食あたりでしょうか」
医師は腕組みをして、軽くうなってみせた。人によっては不安をさそうポーズだが、かれがやると、かえって相手をリラックスさせた。
「医者という商売は、最初に病名ありきでしてね。とにかく名前をつけなきゃ治療が始まらない。ですが、病気というやつは、そうわけのわかったやつばかりじゃない。カゼという、最もありふれた病気でさえ、じつのところ原因がわかっていない。作家先生の場合も、ご多分にもれませんよ。治療なんてものは、ある程度当てずっぽうなのです」
「はあ」
「一応、脈をみた限りでは、命に別状はないようでした。寝かせておけばそのうち快復すると、こう踏んだのです。もちろんご心配なら、いくらでも検査に協力しますよ。何か腑に落ちない症状がおありですか」
「なんといいますか、食欲がありすぎるのです」
極めて穏便に、遠まわしに「症状」を語った。むろん、腹の中から声が聞こえるなどという、微妙な話は伏せておいた。佐々木さんも、うかつに言い触らすような人ではないから、篠田医師は知らないはずだ。かれは天井を見上げて、もう一度、うんとうなった。
「サナダムシかもしれませんなあ」
「あの、寄生虫の?」
「ええ。なにしろ大きなやつで十メートル近くになりますからね。むろん、一夜にして忽然とあらわれるわけではないのですが。それまで無自覚だったものが、何かの要因で活性化したのかもしれません」
思わず腹を押さえた。この二日間、何度このポーズをとったか知れない。おそらく蒼くなっているであろうぼくを見て、医師は声を上げて笑った。
「いや失礼。もしサナダムシなら、なにも問題ありませんよ。人体にとってまったくの無害。ダイエット用に一匹いかがと、女性には勧めたいくらいでして。まあ便を調べればわかりますから、帰る時にでも専用の封筒をおわたししましょう」




