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伝尸虫・考

 図書館のカウンターの前で、佐々木ユキと別れた。これから教官の講演会を手伝うのだと言っていた。ぼくはそそくさと、古典文学のコーナーへもぐりこんだ。日曜日ということもあり、家族連れで賑わっているが、この一角ばかりは、がらんとしていた。

 カビのにおい。

 目指す本はすぐに見つかった。江戸時代の文学史において、『伽婢子』は「仮名草子」に分類される。西鶴によって「浮世草子」というジャンルが確立される以前の作品群だ。浅井了意は仮名草子における代表的な作家とみなされている。

 そのへんにあった椅子に腰をおろし、緑色の表紙の本を膝に載せた。住所不定のぼくは図書カードを持たないので、借りることはできない。けれども『伽婢子』は、一話一話が短いので、二、三篇読むだけなら、ここで充分だろう。

 まず、例の『人面瘡』の項を開いた。

 文章はシンプルでわかりやすく、西鶴みたいにひねくれていない。古文の入門書として最適なテキストだろう。ものの三分で読み終えたが、だいたいぼくの記憶どおり。どうしても思い出せなかった薬草の名前も判明した。

 人面瘡を殺した薬草とは、「貝母」と書いてバイモと読む。註によれば、決して空想上の植物ではないらしい。

「お次は伝尸虫か……あった。これだ」

『伝尸禳去』という、小難しいタイトルがついていた。伝尸という妖怪を退散させる、といったところか。それはだいたい、こんなふうに始まる。


 あるお姫さまが出家して尼になっていた。彼女はロウガイという病をわずらい、日に日に痩せ衰えていった。

 じつはこの病の正体は腹の中に生じた虫で、あらゆる治療を受けつけず、十中八九、宿主を死に至らしめた。虫の名をデンシチュウという。

 家の中でだれかがこの病気にかかれば、必ず一族に感染する。三人まで乗り移ったところで、この虫に手足が生え、目鼻がそなわり、立って歩くようになる。その姿は人のようでもあり、鬼のようでもある。

 あるとき、いよいよ危篤状態におちいった尼を、妹が看病していた。すると、尼の体の中から白いハエのようなものが飛び出して、糸を引くように白い気を吐きながら、妹の袖の中に飛びこんだ。振っても叩いても虫は出てこないまま、間もなく姉の尼が死に、今度は妹が同じ病気をわずらい、寝こんでしまった。

 

 あとは、夢のお告げによって、偉い坊さんに頼んで祈ってもらうと、また妹の夢の中に、一体の仏像と十二体の神があらわれる。神たちが彼女の体を上から下まで、代わる代わる撫でると、虫が再び飛び出して、白い糸を吐きながら空へ昇って去ってしまう。目覚めたときは気分爽快で、食欲もあり、病はすっかり癒えていたという。

 きっと薬師如来のご加護だろうとか、偉い坊さんは牛頭天王だったろうとか、そういったことが長々と書いてあるが、現代人にはなじみが薄い。ご存知のとおり、ロウガイは肺結核の古名だが、面白いのは、結核菌が発見されるはるか以前に、それが「虫」のしわざであることを言い当てている点である。

 それにしても……

 三尸と伝尸。これらはまったく別種でありながら、なんと多くの共通点を有しているのだろう。

 まず、三尸虫も伝尸虫も、最終的には鬼になる。むしろ鬼になるのが目的で人に寄生し、害をなしている。三尸は宿主の寿命が尽きた時点で。伝尸のほうは三人に感染し、死に至らしめたところで、晴れて鬼と化す願望が成就される。

 ここでハタと気づくのが、伝尸もまた「三」という数字に因縁をもつ点である。三匹がワンセットになって一人の人間に寄生している三尸と。一匹で三人の宿主を取りかえる伝尸と。まるでお互いの姿を、鏡に映したようではないか。

 さらにこの話の中で注目されるのは、妹ぎみの体を追い出された伝尸が、空へ昇っているところ。これを庚申の夜、人体を抜け出して空へ昇り、天帝に告げ口する三尸の姿と重ねずにいられるだろうか。

(ふう……)

 本を閉じ、心の中で溜め息をついた。呼応するように、ごろごろと音が聞こえ、季節外れの雷かと思えば、自分の腹の音だった。そろそろ燃料を補給しなければなるまい。

 ぼくは急いで何枚かコピーをとると、図書館をあとにした。

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