佐々木ユキの証言
伊丹さんの話がひととおり終わったところで、部屋に戻った。さっき卵粥を食べたばかりだというのに、突撃ラッパが二、三度鳴った。籠に残っていた林檎を一つ手に取り、丸齧りにしながら、残りをリュックサックに詰めた。路上で空腹感にのたうち回ってはかなわないので、携帯用の燃料代わりに。
「あれれ。ヨコマチさん、お出かけでーすか」
ノックもせずにドアから顔を出し、変なイントネーションで美由紀が言った。
「ちょうどよかった。頼みたいことがあったんだ」
「そうですか。でも、わたしにも心の準備というものが必要ですからね。すぐにここでというわけには」
「いや、そんなものすごい頼みじゃないよ。ぼくのお腹から声が聞こえることを、ユキトにだけ話しておいてくれないか。さらにわがままを聞いてもらえるならば、林檎をもっともらえないだろうか。質はよくなくていいから、なるべくたくさん欲しい。こいつが……好物らしくてね」
ぼくがお腹を叩くと、まるでそれに応えるような、絶妙なタイミングでラッパが鳴った。なんだか寄生虫をペットにしているような気分である。美由紀は片目を閉じて敬礼した。
「了解了解。ところで、これから何処へ?」
「駅前の図書館へ行って来ようと思う。あそこなら、『伽婢子』があるだろう。人面瘡を治したという薬草の名前が、どうしても気になるんだ。それに、伝尸虫のエピソードも読んでみたいし。こっちはどんな話だったか、すっかり忘れているからなあ」
「研究熱心ですねえ。ついでに幸吉さんの事件について、聞き込みをしていただけるとありがたいんですが」
「聞き込みを? なんでぼくが?」
「ふふふ。名探偵が肘掛け椅子の上でパイプをくゆらせている間に、助手は動く。そういうものだろう、ワトソンくん」
いや、ホームズのほうが、よほど派手に動き回っていた気がするが。そもそもメイドの助手になった覚えはないが。ぼくは生返事しつつ、部屋をあとにした。
路地を抜けようとしたところで、六角堂のドアが開いた。鬼が出るかと身構えたが、あらわれたのは佐々木ユキ。
「偶然。わたしもこれから、本を返しに行くところです」
ハーフコートにジーンズ姿。指で眼鏡をちょっと持ち上げて、はにかむように微笑んだ。きょうび、こんないかにも学生らしい娘も、絶滅危惧種と化しつつある。
「書物の山の中で暮らしているのにかい? よほどマニアックな本なのかな」
「ええ。ああいった、あまり回転の速くない図書館は、案外穴場なんです。わたしたちからすれば、垂涎の的といった感じの絶版書が、何食わぬ顔で棚に放り込まれていたり」
そこまで喋って、ハッと口もとを押さえた。ぼくはあえて突っ込まなかったが、そんなSFオタ……げふん。ファンの心理はよくわかる。ジャンルこそ違え、ぼくもひと気のない図書館で小躍りした経験が何度もあるから。
ユキは店に鍵をかけ、表のクリスマスツリーの星を、ちょっと手直しした。空気はやや冷たいものの、陽ざしは穏やか。インディアン・サマーの名残りのような日和である。アナクロなジングルベルを聞き流しつつ、肩を並べて歩けば、彼女の背が案外高いことに気づく。ひかえめな物腰が、実際より小柄に見せていたのかもしれない。
「幸吉くんの件は聞いてる?」
「急に入院されたとだけ。それで伯父が、珍しく早起きして駆けつけたみたい」
佐々木さんなら、まだフォルスタッフで油を売っている頃だろう。ぼくはさっき聞いた経緯を語り、べつにワトソン役を演じるつもりはなかったが、尋問めいた話を振ってみた。
「ゆうべの八時以降、幸吉くんの姿を見かけなかったかい」
「さあ……わたし、大学のちょっとした会合に出ていて、遅く帰ったもので」
賭けてもいいが、SF研究会に違いない。
「それは何時ごろ?」
「伯父に聞いたところによれば、帰宅したのは十一時ごろだったらしいです」
「らしい……って、覚えてないの?」
真っ赤になってうなずいた。それ以上尋ねるまでもなかった。賭けてもいいが、泥酔して帰ったに違いない。




