伊丹幸吉昏倒事件
伊丹幸吉がふらりと家を出たのは、ゆうべ、十二月三日土曜日の夜八時ごろだった。
煙草でも切らしたのだろうと伊丹さんは気にせずにいたが、静香はしきりに首をひねっていた。たとえ煙草を買いに行くだけにしても、夜中、彼女に行き先を告げずに出かけるなんて、これまで一度もなかったと言う。伊丹さんは笑った。
(こいつは当てられるわい。こんな美人に妬かれるとは、セガレも男冥利に尽きるというものだ)
一杯きげんも手伝って、少々露骨になっていた。静香はいつもどおり、つつましやかに受け流したが、心配げな表情は隠せなかった。やがて彼女の不安が杞憂でなかったことが、明らかになってきた。九時になっても十時を過ぎても幸吉は帰らず、時計はいつの間にか零時を回っていた。
携帯電話は、食卓に置きっぱなし。財布だって、持っていたかどうかあやしい限り。
(まったくもってけしからん! きっとタチのよくない友達にばったり出くわして、駅前あたりを飲み歩いているのだろう。あいつは昔から、誘いを断るのがヘタなんだ)
いかにもありそうな話だった。現に、独身時代は同様なケースが再三あり、一度は泥酔して救急車で運ばれたらしく、真夜中に病院から伊丹青果店へ電話が入ったこともある。けれど、身を固めて以降は、悪友の誘いに乗ることも絶えてなくなっていた。
静香が家を出たのが、零時半。コートに袖を通すのももどかしげに、伊丹さんが止める声をふりきって飛び出した。伊丹さんも当然、後を追おうとしたが、
「情けない話、このところ腰を痛めておりましてな。慌てて立ち上がろうとしたところ、ぎくりとやってしまったんです」
午前三時ごろ、静香は肩を落として戻ってきた。髪もコートも、夜露に湿っていた。総合病院から電話が入ったのが、今朝、すなわち十二月四日日曜日の六時十五分。葉隠稲荷の境内に倒れていたところを、早朝の参拝者に発見されたという。
ハガクレ稲荷へ行くには、商店街を駅とは逆方向へ抜けて通りをひとつ渡り、森の中の小道を二十メートルほど進むと、赤い鳥居があらわれる。そこから細い石段が続くわけだが、どういうわけか、それは下へ降りる石段で、要するに森の中のくぼ地が葉隠稲荷の境内にあたるわけだ。
ここではあらゆるものが見事に苔むしており、コケ稲荷、などと呼ぶ者もいる。
幸吉は境内を覆うコケの中につんのめるようにして、うつ伏せに倒れていたという。最初死んでいるのかと思い、発見者はぎょっとしたが、息があることがわかり、連絡すべき番号が一一〇でないことを知った。朝の空気を切り裂いて、救急車が近づいてきた。
総合病院に搬送されたときも、かれは意識不明のままだった。集中治療室へ運びこまれ、検査がほどこされた。外傷ナシ。骨折ナシ。血圧正常。心電図に異常ナシ……というわけで、ここが伊丹さんの言う「奇怪至極」なところなのだが。
「けっきょく原因は、過労だというんですよ」
「過労、ですか」
ぼくが間の抜けた合いの手を入れた。
「そうなんです。たしかにセガレの顔は一晩で、げっそりとやつれたようでした。あのクマみたいな男が、眼の下にクマを作っているところなど、初めて見ましたよ。いえ笑い話ではありません。その顔を見たとたん、わたしはあいつが駅裏のけしからん店へ行ったんじゃないかと、そう直感したのです。ご婦人の前で口にすべきではありませんがね」
ご婦人とは美由紀を指すのだろうが、彼女はあらぬ方へ視線を据えたまま、唇に指を当てていた。佐々木さんが鬼の形相で口をはさんだ。
「つまり、駅裏のけしからん店へ行き、過労で倒れるまで、一晩じゅう、その……ハッスルを」
「もちろん、その考えはすぐに打ち消しました。あまりにもばかげておりますからね。だいいち、駅と葉隠稲荷とは、まったくの逆方向です。いやいやそれ以前に、幸吉は多少酒は飲みますが、女遊びはやらんのです。クマのように奥手ですからな。それにハッスルしたければ、わざわざ駅裏に出かけなくても……」
そこでにわかに咳きこんだ。静香の名を飲み込んだのだろう。
伊丹さんの考えに、少々意地悪な反論を試みることはできる。幸吉は女遊びをしないとかれは言い、いかにもそうだろうとぼくも思う。けれど幸吉も一人の男であり、男である以上、情欲に対してはもろく、弱いものだ。奥手ならばなおさら、極秘裏に駅裏へ通っていた可能性がゼロとはいえない。
静香のような新妻がいてもか? とびっきり美人だし、だれもが羨むオシドリ夫婦ではないか。という問題が残るが、僭越ながら、閨房という密室でのできごとは、だれにもわからない。男女の性格上の愛称とセックスの愛称とは、もとより別問題である。とはいうものの、やはりこの見方はひねくれすぎているだろう。
伊丹幸吉が意識を取り戻したのは午前九時ごろ。どこも痛まないし、気分も悪くない。
(お腹が空いてるくらいだよ)
当然、いったい何があったのかという疑問がぶつけられたが、
「それが、まったく覚えておらんと言うのです」




