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ハズカシイ告白の続き

 アーチの向こうは、安っぽい看板や、古ぼけた飾り窓。お定まりの幟や、赤提灯などが「おいでおいで」をしている。そんなノスタルジックな空間へと、ぼくは足を踏み入れた。

 裸電球をコウコウとともし、いかにも賑わっている八百屋の店先を通りすぎた。その斜め前には、かなり風変わりなたたずまいの店が。

「黒猫亭、か」

 宮沢賢治の童話を思い浮べたが、あれは山猫軒だっけ。レストランでもなさそうだし、ショウウインドウを横目に覗くと、アクセサリーや雑貨が並び、ワンピースなどもいくつか吊るされている様子。

 ゴシック趣味の雑貨屋といったところか。奇妙なことに、その建物は猫の顔そのままで、二つ並んだ三角屋根はピンと立てた耳。二階の二つの窓は目玉。そうして、一階の店の窓は、ニヤニヤ笑いをしている口にしか見えなかった。そう、とある童話に出てくる、チェシャー州出身のヤツの顔だ。

 さらに路地を奥へ進み、次に足を止めたのが古本屋の店先なのだから、我ながら呆れてしまう。この「六角堂」という店の脇に、小路がもう一つあり、何気なくのぞくと、暗がりに、オレンジ色の灯りが、ぽつんとともっていた。それが小さな喫茶店の灯りと知れたとき、

「ほう」

 と、ぼくはミステリアスな溜め息をもらした。

 ヘデラを這わせた煉瓦の外壁。ステンドグラスの小窓。樫材の扉なんかも、グリム童話の立体絵本を見るようで、中からは、かすかなピアノの音と、素晴らしいコーヒーの香りがもれてきた。

 ぼくはたちまち猛烈な「飢え」にみまわれた。腹が減ったのではなく、いわばブンガク的な、あまりにもブンガク的な飢えである。

 ポケットを探ると、コーヒー一杯ぶんのコインに、かろうじて触れた。最後のコインは、何に使おうか? 昔、そんな歌があったっけ。

 扉を押す。軽やかなカウベルの音が、店内に鳴り響く。そこまでは、ブンガク的に申し分なかった。

 が、

「いらっしゃいませ~」

 とある童話のアリスがそこにいた。ぼくは仰天した。

「ハハハハハ、お客さん、仰天してるじゃないか。新しい衣装を入手して、嬉しいのはわかるけど。」

 いかがわしい店にまぎれこんだのだと、誰だって思うだろう。とてもワンコインでは、コーヒーを飲めなさそうな……

 アリスの倍以上はトシをとった、何やらひらひらした服を着て、ぼくの前に立っていた娘が、牧村美由紀。現在、目の前でコーヒーを淹れてくれている、喫茶店「フォルスタッフ」のウェイトレスである。

「ソックスはボーダーにすべきでしたか」

「そっちじゃないから」

 ちなみにこの突っ込みは、ぼくと、ここのマスターらしい若い男とで、完璧にハモった。顔を見合わせ、にっこりしたのも同時だった。三ヶ月ぶりくらいに、笑えた気がした。とりあえず深呼吸して、カウンターの前に腰をおろした。ぼくのほかに客は一人もいなかった。小テーブルひとつ置けば、いっぱいになるくらいの、小さな店。

 内装もなかなか気に入った。カウンターも椅子も木製で、壁や床とともに、ほんのりと暖色系で統一されていた。小さな柱時計に、ボタニカルな彩色銅版画。天井近くに据えてある旧式のテレビさえも、沈黙を守っている限りは、趣味のいいインテリアとして収まっていた。

 スピーカーから洩れてくるピアノは、グレン・グールドの特徴的なタッチ。バッハにしては優雅な、「フランス組曲」あたりか。

 迷わずぼくは、コーヒーを注文した。

「かしこまりました」

 ウェイトレスはカウンターの後ろに入り、コーヒーミルのハンドルを回し始めた。この世で最後の一杯は、何の因果か、少女と呼ぶには難がある、不思議の国のアリスが淹れてくれるらしい。

 最後の所持金を確かめるつもりでポケットに手を入れると、指先が硬いものにコツンと触れた。

 十徳ナイフだった。

「お待たせしました」

 味のある陶器のマグカップが、目の前に置かれた。しばし香りを楽しんで、いざ口へ運ぼうとしたところ、背後で「ひっ」と息を呑む声を聞いた。振り返ると、アリスは顔をこわばらせ、目を真円形に見開いていた。あたかも、日野日出志先生の漫画を切り抜いたように。

 まさか、ぼくがポケットに十徳ナイフを忍ばせていることを、見抜いたのだろうか。彼女はテレパス七瀬か。それとも、こちらの挙動がよほど怪しかったのか。自然にふるまっているつもりでも、やはり追いつめられた男の「やばさ」がにじみ出ていたのかもしれない。

「動いてはなりません。指一本でも動かせば、起爆システムが作動します」

 と、わけのわからないことを口走り、今度は赤塚不二夫先生の漫画みたいに足を高速回転させつつ、表へ駆け出した。拳銃を無限に乱射する目玉の繋がったお巡りさんでも連れて来るのかと思いきや、二十秒足らずで島村ジョーのように飛びこんできた彼女の手には、サインペンと、一冊の本が握られていた。

 それはぼく、ヨコマチ亨が五年前に出版した、たった一冊の単行本だった。

 身の上話は二十分で終わった。あとの話は十五秒で済ませよう。二階堂ユキトと名のった、若い美貌のマスターがこう言ってくれたのだ。

「店の二階に空き部屋があるのですが、そこでよろしければ」

 蛇足ながら、コーヒーの味はすばらしかった。

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