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あの赤い実は

 真夜中に、すさまじい空腹感にみまわれて、目を覚ました。

 腹が減って目を覚ますなんて、初めてだ。お腹と背中が癒着するぞという歌詞が洒落にならないほどに。中世の拷問用の万力で、きりきりと腹部を引き絞られるようだ。

(とりあえず、何か食わなきゃ、し、ぬ、しぬ、死んで……しまう!)

 這いつくばって、手さぐりで電気スタンドを探した。

 その間も、腹の中では決死隊の突撃ラッパが鳴り響き、無数の軍馬が二百三高地をギャロップで駆けた。ようやくスイッチを探りあて、灯りをともした。眩しさに慣れたあと、ぼくの目は枕元に置かれた果物籠に釘づけになった。

 よくある見舞い用の籠と違い、バナナもメロンもない代わりに、林檎ばかりが山と盛られていた。梶井基次郎的郷愁をさそう、つややかな赤。ぼくのお腹をおもんばかってか、消化によさそうなものを選んだとおぼしい。

 いったいいつのまに、だれがこんなものを届けたのだろう。林檎ということは、伊丹青果店から届いたと考えるのが妥当だろう。夕方の騒がしい客たちが帰ったあと、ぼくはまた眠ってしまったので、その間に伊丹幸吉あたりが来たのかもしれない。

 とにもかくにも、ありがたい。もしこれがなければ、枕から綿を引きずり出して食っていたかもしれない。ぼくはラップを引き剥がし、両手にひとつずつ林檎を手にした。糖分のたっぷりと詰まった、しっとりとした重みを感知してか、早くも腹が寛喜のトランペットを吹き鳴らした。

 あぐらをかいた漫画的な構図で、ぼくは両手の林檎に、交互にかぶりついた。


 またしても、いつのまにか眠っていた。そしてまたしても、変てこな夢をみた。

 スイカ畑は、甘い香りにつつまれていた。胡弓をおもわせる単調なメロディーが、うっとりと、どこからともなく聞こえていた。ぼくは番小屋の中に上がりこんでいた。

 番小屋は高床式で、木の香がするほどまだ新しかった。例の赤い服を着た少女と、ぼくは差し向かいで座って将棋をさしていた。いや、将棋よりもチェスに近いのかもしれない。将棋盤は市松模様で、立体的な駒は見たことがなく、それは時々、ぼくの目を盗んで勝手に逃げ出したりした。

「どうもね。我が軍の逃亡兵の多さには悩まされるよ」

「腹が減っては戦はできませんからねえ」

 高く澄んだ声で、少女はそう返した。ひたいにツノのある顔を上げて、いたずらっぽい目を向けた。ハシバミの実をおもわせる、つややかな瞳。

「あの赤い実は、じつに旨いものでしたねえ、ご主人」

 花のように微笑んだ。


 次の目覚めは爽快だった。おぼろげな夢の記憶が、甘い香りのようにぼくをつつんでいた。布団から這い出して、時計を見れば十一時。林檎の籠に目をやると、半分がた消えていた。芯はおろか、種一つ残っていないところからして、まるごとむさぼり食ったものらしい。

 布団の上であぐらをかいたまま、毛布を肩に羽織り、奇妙な夢を反芻してみた。

 シリーズ化された夢を見るのは、これが初めてではない。

 ぼくが見る夢は、どういうわけか大半がナトトメアとなるが、中でも印象的に恐ろしかったのは、思春期の頃たて続けに見た、ドラム缶に追いかけられる夢だった。錆びたドラム缶の中心に、ターミネーターのような赤い一つ目があって、どこまでも追いかけてきては、仲間を一人ずつ殺してゆく。これをパート3まであるシリーズで見せられた。

 けれど、スイカ畑の夢は、ナイトメアには属さない。どちらかというと、懐かしい感じのする夢だ。それが少女の性格なのか、みょうにお気楽で、緊迫感がほとんどない。さっきの夢にいたっては、丸太を組んだ番小屋で、ずっとのんびり将棋をさしていたい気分になっていた。が、それにしても……

(あの赤い実は、じつに旨いものでしたねえ、ご主人)

 二度も彼女が口にした、「ご主人」とは何のことか。

 彼女はいったい何者か?

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