「だめだこりゃ」
「そろそろ闇を解放しましょうか」
奇妙な言い回しでユキトが切り出したのが、三十分後。美由紀が派手な鍋用の手袋をはめて蓋をつかんだ。なぜかキース・エマーソンの『光の天使』を口ずさみながら。
蓋がとられた。
湯気が立ちのぼったあと、皆が額を寄せて覗きこんだ。幻魔でもうごめいているのかと思えば、普通に肉や野菜がうかがえるだけで、とくに危険なブツは見当たらない。美由紀が投げ込んだ大量の頭足類も、茹だってしまえば、人畜無害なシーフード然としている。
「案外、まともなんですね」
こころなしか残念そうに、佐々木ユキがつぶやいた。何を期待してたのだろう?
まあ、どうせ自分も食わなければいけないのだから、自分が食えないものは投げ込まないのが人情というもの。店舗で売られている食料品に限る、という縛りもあるので、なおさらである。ただ、赤い顔いっぱいに笑みを浮べている胡さんを見て、ぼくは少々、ぎくりとした。
東風飯店では、今も食材の一部を胡さんの故郷から仕入れている。どうしても中国でなければ手に入らない材料が、いろいろあるらしい。つまり同じルール上でも胡さんだけが、膨大な選択肢を持つことになる。そして中国料理といえば、人間の胃が消化できるものであれば何でも料理してしまうことで名高い。
テーブル以外の四つ足のものは、何でも食うとか、親以外なら何でも食うとか……失礼ながら、今でも地元では犬を食べるのですかと尋ねたことがある。
(最近はいろいろうるさいみたいネ。でもワタシいた頃は犬料理の専門店あったヨ。だけどワタシ愛犬家だから、夫婦喧嘩はしても、犬は食わないネ)
と、なんだかちょっと間違っているが、そう言っていた。
かれの話によれば、それは「精進料理」扱いになるのだとか。食うと体がぽかぽかして、精力絶倫になるのだとか。まあ、世界広しといえども、魚を生で大量にむさぼり食うのは、日本人くらいだし、食文化の違いは致し方ないが、なるべく奇想天外な食材は投げ込まれていないよう、願うばかりである。
「必ず一杯は食べなければなりません。残したら罰ゲームですからね」
無責任なルールを押しつけながら、美由紀が鍋をかき回し、ランダムに取り鉢に分けた。回ってきた鉢の中は、蝕腕うごめくテンタクルス状態で、怪奇・ゲソ女がニヤリと笑ったのを見るにつけても、ぼくの鉢にだけ、よからぬ意志が混ざっているとしか思えない。
げんなりしながら、中華レンゲを口へ運び、意外な旨さに目をしばたたかせた。考えてみれば、今日はまだコーヒーしか口に入れておらず、さすがに腹が減っていたのだろう。また、カレー鍋にしたのは正解で、どんな具をぶち込んでもそれなりに食えるという、インド伝来の魔法が、かなり功を奏している。
「おや?」
何やらコリコリするものを奥歯が噛み砕く感触。瞬時、スイカの種を連想したが、胡桃沢夏美が持参したブツは、まだ丸ごと冷蔵庫に入っているはず。ではほかに同じことを考えたやつがいたのか。中国ではスイカの種をポリポリやるらしいが、それにしては、ちょっと大きすぎる気がした。
噛むうちに、エビをおもわせる味がして、決してまずくはなかったが、あまり気味のよいものではない。もう一度舌がそいつを探り当てたときは、吐き出すのも見苦しいので、丸呑みにしてしまった。
じつはこのことが、後でとんでもない事態を引き起こすのだが……
ほかの出席者を見ると、それなりに食が進んでいる様子。とくに美由紀と佐々木ユキは、何杯もおかわりをし、佐々木さんと伊丹さんは、すっかり酒の肴に仕立てている。ただ星姫はかろうじて一杯食べて、あとは断っていたし、主催者のくせに、ユキトにいたっては半分でギブアップしたようだ。
「申し訳ありません。最近少々食欲がないうえ、頭足類はどうも苦手なもので」
「ハイ、罰ゲームです。マスターにはメイド服を着ていただきます」
一時間後には、宴席は狂乱の相をおびてきた。
「ひひひ。ユキさんはハタチになったんだってね。どれ、ひとつぐっとおやんなさい」
伊丹さんが紳士の仮面をかなぐり捨て、親爺モード全開でせまっていた。完全無欠の美少女と化したユキトを、星姫がしきりに口説いていた。美由紀と夏美はみょうに意気投合し、『占星術殺人事件』のトリックについて激論を交わしていた。胡さんはガトリング砲のように喋りまくり、静香は一秒に二回くらい相槌をうたねばならなかった。
佐々木ユキが五百ミリリットルの缶ビールを、ほんの数秒で飲み干すのを見た。目をまるくしている伊丹さんから、もう一本ひったくり、それも五秒で飲み干した。
ぼくのは眉根を寄せて、故いかりや長介氏の名ゼリフをつぶやいた。




