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闇にうごめくもの

「ミステリアスなカレーのにおいに包まれたところで、投入の儀式に移りたいと思います。真っ暗になりますので、あらかじめ持参した具を、お手元にご用意ください。美由紀ちゃん」

「はいマスター」

 土鍋の蓋が開けられると、めまいを覚えるほどのエスニックな香りがたちこめた。

 美由紀が席を離れ、壁のスイッチを消した。コンロの火をたよりに戻ったところで、それも消された。店内はアヤシゲな闇につつまれた。ユキトの声が、こころなしかアヤシゲに響いた。

「それでは、胡さんから右回りにお願いします。カウンターのお二人は、静香さんの次で。投入を終えたら、となりの人の肩をたたいて、合図してあげてください」

 闇にうごめくもの。

 という古い怪奇小説のタイトルが思い浮かんだ。衣ずれが意味ありげに囁き、ミステリアスな息づかいが、方々でこぼれる。その他もろもろの気配の中で、確実に、着実に、得体の知れないブツが投げこまれてゆく。狂おしいフーガのように、単調なカレーのにおいが、しだいに魔術的な香りへと変化してゆく。

 なんだなんだ。

 なんだこの百物語じみた空気は。まるで全員が投入を終えたとたん、土鍋の中から化け物が出現しそうな、世にも異様な雰囲気は。

 左隣で美由紀が身を乗りだしたときには、飛び上がりそうになった。ク・リトルリトルの巫女のように、大量の頭足類を投入すると、彼女はぼくの肩を叩いた。最後に鍋の蓋が閉ざされる音を聞きつけて、ユキトが指示を出した。

「美由紀ちゃん、電気を」

 隣で彼女が立ち上がる。

 と、たちまち大音量のアンプからシールドを引っこ抜いたような音が響いた。皆がぎょっと腰を浮かし、美由紀は後ろからぼくに、強烈なスリーパーホールドをかました。鼻をすすりながら胡さんが笑う。

「ハハハ、申し訳ない。おっきなくしゃみ出たネ。だれか胡椒たくさん入れたか?」

 一同胸を撫で下ろしたが、ぼくはまだ奇怪な雰囲気の余韻を引きずっていた。空調が効いているはずの部屋の中が、みょうにうすら寒く感じられた。

 よほど美由紀に電気をつけるなと言いたかったが、やっとのことで思いとどまった。もしも電気をつけたら……部屋の隅には「招かれざる客」が、うずくまっているのではあるまいか。世にも異様な姿をしたそいつは……

「ぎゃあああああっ!」

 たちまち響きわたる美由紀の悲鳴。どうした? どうしたんだ? と口々に声がかけられたが、ぼくはかすれた溜め息しか出なかった。やがて闇の底から、美由紀の震える声が聞こえてきた。

「わたし……何か踏んづけたんです。ここにあるはずのないものを。ここにあっては、いけないものを」

「あるはずのないもの?」

 星姫が訊いた。予言に長けた魔女も、さすがに動転しているのが感じられた。美由紀が答えた。

「はい、丸くて、硬くて、ごろりとして、ちょうどその、大人の頭くらいの……」

 生首!?

「早く電気を」

 こんな時も一人だけ冷静なユキトの声が響いた。美由紀は壁まで這って行き、ようやくダウンライトがともされた。全員の目が、床に転がっている「招かれざる客」に注がれた。

 いつの間にか店のドアが開いており、向かい側の塀と木立の上に、十二月の星々がまたたいていた。ドアの中に上半身を突っ込んだ格好で、一人の若い女がうつ伏せに倒れていた。長い髪を二つ結びにして、紺色のダッフルコートを着た女は、うんと呻き声をひとつもらし、まだ幼さの残る顔をゆっくりと持ち上げた。

「胡桃沢夏美……さん」

 ぼくは絶句した。

 彼女の前方には、なるほど丸くて、硬くて、ごろりとして、ちょうど大人の頭くらいのものが一つ、転がっていた。それはこの季節には「あるはずのない」、まるごと一個のスイカだった。

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