ヤミナベの朝
「序」章
世の中は今日から師走だというのに、桜吹雪商店街の連中は暇そうだった。
もっともそれは、ぼくのヒガメというやつかもしれない。僻目と書いてヒガメと読む。辞書を引くと偏見と出る。けれどもやっぱりヒガメと言ったほうが、ひがんでいるようなスネているような感じが出て、現在のぼくの心境にぴったりである。
臆面もなく言ってしまえば、ぼくは作家である。だからフツウに「偏見」と言えばよいところを、わざわざ「ヒガメ」と言い換える。
そんなぼくは、当然まったく売れていない。
だから少しばかり、いやかなり、世の中をひがんでいる。
とはいうものの、
師走の第一日目の朝っぱらから呼び出され、しかも寝ぼけマナコの上から、
「今夜はヤミナベですよ」
などと宣言された日には、連中の正気、いや、常識というやつを、疑わざるを得ないではないか。
たとえば現在のぼくの脳味噌を三分割して、それぞれにエラリー・クイーン、エルキュール・ポアロ、フィロ・ヴァンスと名づけたとしよう。満場一致で「二度寝」が決議されるのは目に見えている。ただ、ポアロ氏だけはコーヒー党とみえて、自慢の髭を未練がましくひくつかせていたが。
じつはこの夜のヤミナベこそが、後にとんでもない事件を引き起こすのであるが、ユリ・ゲラーでもアイコ・ギボでもイワン・ウイスキーでもないぼくは、知るよしもなかった。地球をメフィラス星人に二束三文で売り飛ばしてでも、眠りたかっただけだ。
「とりあえず座ってくださいよ、ヨコマチさん。すぐにコーヒー淹れますから」
牧村美由紀がカウンターから身を乗り出した。作家として常々思うのだが、誘惑の五十パーセントはニオイで構成されている。ちょうどコーヒーの香りのユウワクを、彼女が運んできたときであった。安穏としていた脳内会議の席上で、いきなりポアロ氏が、ばん! と脳下垂体を叩いたのは。
「意義があり、ですぞ、マドモアゼル!」
「は?」
きょとんとしている牧村美由紀のうしろから、ハ長調の笑い声が響いた。
「ハハハハハ、センセイは寝ぼけていらっしゃるのさ」
プラシド・ドミンゴばりの芝居がかった動作で、スラリと椅子を引いてくれたのが、二階堂ユキトだ。
「どうぞ、センセイ。寝るのはコーヒーを飲んでからでも構いませんよね」
片目を閉じやがった。
作家として常々思うのだが、ハ長調で笑うためには、容姿と金と自信の三拍子が揃っていなければならない。二階堂ユキトもまた、弱冠十九歳にして、喫茶店「フォルスタッフ」のマスター兼経営者。おまけに女性と見まごうばかりの美貌の持ち主という、ハ長調でヨハン・シュトラウス二世のウィンナーワルツを踊っているような人種であった。
それに比べて、十一歳年上のぼくは、月夜に酔っ払ったシェーンベルクのような人生を千鳥足で歩んでいた。今だって、作家づらしてふんぞりかえっているものの、じつはユキトの居候でソウロウという世にも情けないご身分。
ちなみに、ヤミナベとミヤベミユキは似ていると思ったが、そんなことはどうでもよかった。
この際だから、恥ずかしい告白から先に済ませておこう。
ぼくがアパートを追い出されたのは、まだ夏の盛りだった。
セミは鳴いても、ぼくは鳴かず飛ばずで、原稿はまったく売れず、働く気はさらになく、のらりくらりしていた当然のムクイといえた。
ポケットに残された現金は、一一九二円。ちょうど鎌倉幕府が開かれたなんてことは、どうでもいい。四畳半の部屋を埋めつくしていた本を、全て売り払ったというのに、諭吉どころか、武田信玄にも手が届かず、文明開化ははるかに遠く、寺田屋ならぬ吉野家の牛丼並盛り三杯で、路上に倒れ伏す運命とみえた。
人間は、金さえ持っておれば、どこへ行っても人間扱いされます。そう書いたのはドストエフスキーだが、金がなくなった途端、ヒトでなくなるシャバ世界。
人間、こうなると無性にナンセンスな行為に走りたくなるもので、ぼくは意味もなく電車に乗り、意味もなく歩き、意味もなく金物屋に入り、意味もなく高価な十徳ナイフを買い、また意味もなく電車に乗った。
日が暮れる頃に、理由も用事も帰る家もないまま、K駅で降りた。改札を抜けて、小ぎれいな駅ビルの中をさまよいながら、ぼろぼろ泣いた。前方から、世にも楽しげに歩いてきた女子高生三名が、反復横とびの要領で跳びのいた。
妖怪・鼻水男を見たのだ。
駅前にもまた小ぎれいな店が、きらきらと軒を並べていた。吉野家の灯りさえまぶしすぎて、光を厭う吸血鬼ように、ぼくは路地へ逃げ込もうとした。横丁の入り口にはアーチがかかり、遊び人の金さんの刺青みたいな絵の上には、これまたアナクロニズム全開の花文字で、
「桜吹雪商店街」
と大書してあった。
花に嵐の例えもあるが、ぼくの感傷は、ゴビ砂漠あたりまで吹き飛ばされていた。頭の中では『江戸を斬る』のテーマが、テープの伸びきったひょろひょろの音質で、鳴り響いていた。




