15 決別
日が昇ってかなりたっているはずなのに、砂漠は暗い。それも精霊の力で満たされたオアシスの周囲だけが不自然に陰り、陽の光を閉ざしていた。その薄墨色の大気が歪み、黒く輝く光の矢が生み出される。黒い光は絡み合うように舞いながら、仮面の男の急所を目指した。しかし、それは標的を捉える事なく、砂の中からせり出した岩塊に阻まれる。
ギルとドゥラ、二人の戦いは文字通りの一進一退、互いに有効打を与えるに到らぬまま、力の応酬が続いていた。違いの力が拮抗していると言うのもあるが、ギルの方が故意に力を押さえているような、そんな様子も見受けられた。
「……何故、全ての力を用いようとしない?」
低く問いつつ、ドゥラは再び黒い光の矢を生み出す。
「……貴様を滅するは、我が役目ではない」
対するギルは炎の竜を背後に従えた。沈黙を経て二つは空中でぶつかり合い、同時に消滅する。
「ほう……では、何をして、貴様は自らの役目とする?」
「……全てを見届ける。それが『調律者』の使命」
静かな言葉にドゥラの眉が微かに動いた。
「ふん……下賎の者にしては、上手い事を言うな。だが……」
低い呟きと共に、黒い影がその濃さを増した。
「見届ける事が使命であると言うなら……我らの行いに、手出しは無用!」
「歪んだ道は正さねばならぬ。それが『調和者』たちの願い!」
『調和者』という言葉がギルの口から出た瞬間、ドゥラは怒りでその顔を歪めた。
「貴様っ……下賎なる灰翼の者が、その御名を口にするなど!!」
ヴァンっ!!
鈍い音を立てて大気が歪む。黒い影が激しく震え、それは幾筋もの黒い光の槍となってギルに襲いかかった。ギルは素早く手を動かして空中に紋様のような物を描く。紅い光が弾けて空間に広がり、唸りを上げて迫る槍を全て弾く。
「……何を持って貴となし、何を持って賎となす! 顧みよ、妄執に憑かれし者!! 貴様らが正しいのであれば、何故『調和者』たちは自らの後継者を貴様らから隔絶した? 眠りの地より放ち、翼無き者として生かせしは、何故か!?」
「貴様らの讒言が、あの方々を惑わせたのだ!!」
「……愚昧!!」
問いに対するヒステリックな叫びに、ギルは鋭くこう言い放った。炎の竜が咆哮と共に舞い、ドゥラの背後の影に食らいつく。黒い影が大きく揺らめき、そして。
「……うぐっ!」
直接の打撃を被った訳でもないのに、ドゥラは低くうめいてよろめいた。その様子にギルはやはり、と呟く。
(……本体は向こう……と、なれば、ヤツは……)
一つの確信を得たギルは仮面の奥でため息をもらし、それから、飛びずさって大きく距離を開けた。突然の事に、ドゥラは訝るように眉を寄せる。
「……なんの真似だ?」
「紡がれるべき糸が紡がれた。それを織り上げるのは、我が役目ではない」
謎かけのような言葉の直後に、一陣の風が吹き抜ける。不安げにしていた風の精霊の、歓喜の舞だ。風の吹き抜けた先を見やったドゥラは、睨むように自分を見つめる琥珀の瞳に冷たい笑みを浮かべる。
「よぉ……どうやら、勝手に終わりにしちゃいなかったようだな?」
ドゥラからギルに視線を移しつつ、ユーリは低くこんな事を言う。
「言ったはずだ、『時は稼ぐ』と」
「それ以外の時間外労働はしねぇってか? 合理的だねぇ……」
素っ気ない言葉にひょい、と肩をすくめると、ユーリは改めてドゥラを見た。ドゥラはユーリを一瞥するとその隣のラヴェイトに目を向け、ほう、と感心したような声を上げた。
「水の精霊を従えたか……なるほど、では間違いなく、ヴァスキスの血を引いている、という事か……」
薄い笑みと共に放たれた言葉にラヴェイトは困惑し、ユーリは表情を厳しくする。表情こそ読み取れはしないものの、ギルもドゥラに向ける視線を険しくしたようだった。
「……おい、そりゃ一体、ど~ゆ~イミだ?」
「それは、貴様の方が理解しているはずではないか?」
ユーリの低い問いかけに、ドゥラは嘲りの笑みを浮かべてこう返す。意味深な物言いが琥珀の瞳の厳しさを更に強めた。ラヴェイトは困惑した面持ちのまま、二人を見比べる。交わされる言葉の意味を理解できないシーラも同様だ。
「てめぇ……言っていい事と、悪い事の区別も、つかなくなっちまったってのかよ!?」
「私は、事実を述べているに過ぎん」
「ざけんなっ!! シェラーナがそんな女だったかよ!?」
「……っ!?」
冷淡な言葉と怒声の応酬が意味する所に、ラヴェイトはその時気づいたようだった。藍の瞳が、これまで見せた事もない厳しさを帯びる。
「……あなたはっ……あなたは、ずっとそう思っていたと言うのか!? ぼくが、不義の子であると……そう、疑い続けていたと言うのか!!」
叫ぶような問いにドゥラは薄い笑みを持って答える。その笑みは明らかな肯定の意思と共に、感情的な二人に対する嘲りをも含んでいた。
「それが……その答えが、あなたの真意だと言うのか……ずっと、あなたを想い、どんな仕打ちにも耐えていた母さんの想いへの、答えだと言うのか……」
声が震えていた。それが怒りによるものか悲しみによるものなのかは定かではない。恐らく、当のラヴェイト自身にもわかってはいないだろう。ただ、怒りよりも悲しみの方が僅かながら強いようにシーラには思えた。
だが、そんな怒りも悲しみも、ドゥラにとっては取るに足らない事のようだった。
「そうだ、と言ったら、どうすると言うのだ?」
どこまでも冷たい口調で、ドゥラはこんな問いを投げかけてくる。口元には相変わらず嘲りの笑みがあり、それが、彼がこちらの反応を楽しんでいる事を端的に物語っていた。
「……許さない……」
刹那、空間を支配した静寂をラヴェイトのかすれた声が退ける。
「ぼくは……ぼくは、あなたを……絶対に許しはしない!!」
凛とした宣言が砂漠に響く。それに対し、ドゥラはくくっと低く笑った。
「では、私を殺すと言うのか? そして、父殺しの大罪を犯すと?」
「そいつぁ心配無用だぜ。てめぇにゃ、俺が引導渡してやるからよ」
ラヴェイトの決意を嘲笑うドゥラに向け、ユーリがこう宣言する。琥珀の瞳には、今の言葉に偽りがないと物語る、強い意思の光がある。
「……ユーリさん……」
鋭い言葉とためらいのない態度は、バルクと対した時と同じ、いや、あの時にも増して厳しいものを感じさせた。
(でも、どうして? どうして、こんな事になるの? こんなのって……ひど過ぎる……)
唇を噛み締めつつ、シーラがこんな事を考えていると、
「これが禁忌に触れたが故の業……他の何者でもない、自らに起因する痛みだ」
すぐ横で声が聞こえた。はっと振り返ると、いつの間にやって来たのかギルがすぐ側に立ってこちらを見つめていた。
「自分に……起因する、痛み?」
「……触れてはならぬ存在に触れた……砂に閉ざされる地に踏み込んだが故に、この痛みは与えられたのだ」
戸惑いがちに問い返すと、ギルは静かにこう答える。
「その、禁忌っていうのは……あたしの事、ですか?」
低く問うと、ギルは首を微かに横に振った。
「お前は一部だが、全てではない。いずれにしろ、かの地を目指し、達した時からこの業は始まっていたのだ……」
「それじゃ、その業っていうのは何なんですか!? こんなの……こんなの、あんまりです! どうして、ユーリさんばっかりこんな戦いをしなきゃいけないんです!?」
叫ぶような問いに、ギルは仮面の奥でため息をもらしたようだった。
「それは……やむなき事」
それから、ぽつりとこんな呟きをもらす。
「やむなき……仕方ない?」
「奴は、生き残ってしまった……ただ一人、変わらぬ姿で、生き延びた……それ故に、より深い業を背負ったのだ……」
独り言のような呟きにシーラは戸惑い、それからその言葉の一部に疑問を感じて、え? と瞬いた。
「一人だけ、変わらない? でも……」
呟きつつ、シーラは改めて戦いの場へ目を向ける。ドゥラは再び屍人を呼び出し、余裕の体のままユーリとラヴェイトを見ていた。
「でも、それじゃ……あの人は?」
ふと感じた疑問の答えとなり得る残酷な可能性に声を震わせつつ、シーラはギルにこう問いかけた。ギルは対峙するユーリたちとドゥラとを見つめ、問いに答えようとしない。不安と困惑とを感じつつ、シーラはユーリたちを見た。ユーリとラヴェイトはドゥラとの間に広がる屍人の壁を、どう突破したものかと思案しているようだった。
「やれやれ、一体どんだけいるんだよ、こいつら?」
虚ろな黒い壁を睨みつつ、ユーリは呆れたように吐き捨てた。
「……直属のアサシンは相当な規模だったようですからね……百は、下らないはずです」
ラヴェイトの解説に、ユーリはうんざりとした顔で天を仰いだ。
「さっきお前が浄化したのと俺が斬ったのと、あっちの仮面野郎がふっ飛ばしたのと、合わせて四十くらいだったか。で、ここにいるのは三十そこそこ……あと、三十は軽くいるってワケかよ。か~っ……」
「ええ、恐らくは。でも……」
ユーリのぼやきに相槌を打ちつつ、ラヴェイトはエレメント・コアを取り出した。
「今なら……その全てを、救える気がします」
言いつつ、ラヴェイトはふわりと現れた水の精霊を見た。
「あなたの力を、貸してください。彼らを、救います」
静かな言葉に精霊は一つ頷き、ユーリは訝るように眉を寄せた。
「……どうするつもりだ?」
「フィルスレイムにおいて、生命波の流れは水の流れに例えられます。水の流れは生命を潤すもの。そして、人の身に最も強く作用しているのは水の力である、と聞いています。ですから……」
ここでラヴェイトは言葉を切り、屍人たちを見回した。
「彼女の力を借りて、彼らに残った生命波を活性化させ、浄化を促進させます。この方法なら、今のぼくの力でも全てを浄化できるはずです」
説明を終えるとラヴェイトは力を集中した。右手に治癒の光、左手のエレメント・コアに精霊の力が集中し、それぞれが暖かな輝きで周囲を照らしだす。その光に照らされた屍人たちに動揺とも取れる震えが走り、何故かドゥラも苦しげに顔を歪めた。
「……っ!?」
そんな、一瞬の変化に目を止めたユーリは息を飲む。ラヴェイトが手に灯した光は心地よさこそあれ、苦痛を感じさせるものではない。通常の人間――生者であれば、それが当然なのだ。
「……まさか……だろ?」
かすれた呟きがもれる。鋼と融合し、異形とされていたバルクの姿が脳裏を掠めた。異常な姿で『生かされていた』バルクの事を思えば、ドゥラとて『普通ではない』可能性は充分にある。水の精霊たちが存在を見失っている、という事実からそれを視野に入れてはいた。突然の変貌も奇妙な物言いも、それで説明ができるから。
しかし、心の一部分はそれを現実として容認する事を拒んでいた。何か理由があるだけで、本質は変わってはいない――そう、思いたいと願う気持ちが、心のどこかに存り続けていた。それが甘い感傷だとわかっていても、『生きていた』という事実に救いを感じ、そう願い続けていたのだ。
「……はっ……最高だな。最高に……できのいい冗談だぜ……」
かすれた声で呟きつつ、剣を構え直す。感傷と、それがもたらした困惑は早くも影を潜めている。琥珀の瞳にあるのは意思の光――それを知る事でどんな痛みがもたらされようとも、事実に向き合わんとする強い信念だ。
そんな、決意を込めた横顔を青く澄んだ光が照らし出す。ラヴェイトは力を集中した両手をゆっくりと上に差し上げ、二つの光を一つに重ね合わせた。
「……歪められし生命の波動よ……全き姿を取り戻せ!」
……ぱしゃああんっ!!
静かな、それでいて気迫のこもった言葉の直後に涼やかな水音が響いた。ラヴェイトの周囲に青く透き通った水の流れが生まれて渦を巻く。水は青く輝く光の粒子を取り込み、悶絶する屍人たちの間へ流れ込んだ。ドゥラはとっさに後ろに飛びずさり、水に触れるのを避ける。
うう……オオオオオっ!
煌めく水に触れた屍人たちが絶叫する。苦悶を帯びた叫びは徐々に静まり、やがて、屍人たちの間に安堵しているような空気が広がった。
「……あの人たち……喜んでる?」
その様子にシーラはこんな呟きをもらしていた。だが、それはそれで当然と言えるだろう。屍人とされた事は、どう考えても彼らの本意ではないのだから。
……シャラランっ……
鈴を鳴らすような音が響き、青い光が屍人たちの上で弾ける。光輝が弾けると、それと共に屍人の身体が光の粒子となって崩れ去った。煌めく水はぱしゃんっと音を立てて跳ね上がり、砂の中へと入って行く。ほどなく、砂の中から涼やかな音と青い光が次々と立ち昇り始めた。砂の中に潜んでいた屍人たちを浄化しているのだ。
「……すごい……」
癒しの技術と、精霊魔法の融合。恐らく、今まで誰一人として考えもしなかったであろう、文字通りの『奇跡』は黒衣の屍人をその呪縛から解放し、屍人の完全な浄化を確かめたラヴェイトは静かに手を下ろして光を消した。その足元に水の流れが戻り、それは一瞬で精霊にその姿を変える。
「どうやら、手駒は尽きたようだな?」
張り詰めた沈黙をユーリが打ち破る。この言葉にドゥラは薄い笑みを浮かべつつ、それがどうした、と切り返してきた。その表情には、焦りらしきものは全く見えない。
「随分と、余裕だな……ったく、今の連中と一緒に消えちまった方がお前はラクだったんじゃねぇのか、ドゥラよ?」
それに対するユーリの言葉は場に緊張を呼び込んだ。シーラは息を飲み、ラヴェイトはえ? と言ってユーリを見る。ギルとゼオは特に変わらない。そして、ドゥラは。
「……妙な事を言う……私が、屍人だと言うのか?」
薄く笑いながらこう問いかけてきた。余裕の体は、全く崩れてはいない。
「ああ、屍人じゃねえな……ヘタすりゃ、屍人よりはるっかにタチの悪ぃモンだろ? お前がそこに突っ立ってるだけで、精霊がビビってんだ……普通じゃねえよ」
言いつつ、剣の切っ先をドゥラに向ける。琥珀の瞳はそれと同様に鋭く、厳しい光を宿していた。その厳しい横顔と薄く笑うドゥラとを、ラヴェイトは困惑の面持ちで見比べる。
「……ユーリ殿、それは……」
「確かめてみろ」
どういう事ですか、という問いを、ユーリは最後まで言わせなかった。
「お前なら、わかるはずだ……感づいちゃいたはずだぜ、お前も。だから……確かめてみろ」
淡々と告げられる言葉にラヴェイトは唇を噛む。ユーリの言わんとする所はわかる。今、自分の目の前にいるドゥラに強い違和感を感じているのも事実だ。ドゥラから感じる生命体としての異常性は、ゼオから感じるそれの比ではない。
確かめなければ、という思いもある。だが、それと共に確かめる事へのためらい、現実と向き合う事への恐怖もまた、厳然と存在しているのだ。『生きていた』という事実に感じる救いは、ユーリよりもラヴェイトの方が遥かに強い。
だから。怖かった。
確かめる事で父が全き存在でないと知るのが、それを認めるのが怖かった。例え、どんなに酷い仕打ちを受けても、その言葉に傷つけられても、それでも、父は父であると信じたいから。
それが、弱さに基づく感傷であると、充分に理解した上で。
「……ラヴェイトさんっ!!」
シーラの叫びが逡巡を打ち破った。はっと我に返った直後に側面からどんっと何かがぶつかり、身体のバランスが崩れる。砂の中に尻餅をついた姿勢でぽかん、としていると、睨むようにこちらを見る漆黒の瞳と目が合った。ゼオだ。
「……あ……」
「戦いの最中に、ぼやぼやしているな」
呆然とするラヴェイトに低く言い捨てると、ゼオは素早く立ち上がって身構える。見回すと、今まで自分が立っていた場所の砂が大きく抉れているのが見て取れた。とっさに突き飛ばす事でゼオが自分をドゥラの攻撃から救ってくれた、と理解するまで数分がかかり、そして。
(殺そうとした……殺そうとしている?)
認識した事実が重く伸しかかってきた。父が自分を殺そうとしている。自らを邪魔する者として、排除しようとしている。
「……ちがう……」
低い呟きが、口からもれた。一緒に過ごした時間は決して長いとは言えない。だが、六年に満たないその日々だけでも、父の暖かさは充分に感じていた。やや不器用な優しさも、ちゃんと覚えている。少なくともドゥラは――ラヴェイトの父は、笑いながら人を殺せるような人間ではなかった。
だから、違う。目の前にいるのは父であって父ではない。何者か、悪意ある第三者が父の存在を捻じ曲げている。それは、許せる事ではない。
ゆっくりと、ゆっくりと、ラヴェイトは砂に手をついて立ち上がった。ドゥラは黒い光の矢を生みだし、それでユーリとゼオを牽制している。シーラを傷つけるつもりはないらしく、彼女と、その傍らのギルには攻撃は行かなかった。シーラはゼオが心配なのか、不安げな瞳を黒衣の少年に向けていた。
(……ああ、大切なんだな……)
ふと、こんな思いが過る。ゼオが心配なのか、その中に存在を感じている少年が大切なのかはシーラ自身にもわかってはいないだろう。それでも、想う相手を案じる姿は、その想いの一途さとも相まって、美しく思えた。
(……できる事をしよう。ぼくは、ぼくの大切な人たちのために)
父の変貌を嘆きつつ、最後までその心を信じていた母を思いつつ、ラヴェイトは治癒を導く青い光を右手に灯す。傍らの精霊が不安げに見つめるのに微笑みで返すと、ラヴェイトは表情を引き締め、灯した光をドゥラへと投げかけた。




