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不可思議事件録2 ~鋼鉄の支配を琥珀の絆で描き直せ。少年と巫女が綴る、街と家族の再設計~  作者: たくみふじ
終 章 設計士の休日、朱(あけ)の空へと続く道

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春告(はるつ)げの余白、三人の卒業写真㈠

冷たい数式を温かな余白へ。少年と巫女が綴る、世界再設計のファンタジー

 季節は巡り、河崎の街に二月の凛とした空気が流れ込んでいた。かつて工藤一族が支配し、青い磁気嵐に震えていた工業地帯の空は、今や抜けるような冬の青を(たた)えている。早朝の冷気の中、京浜運河の波頭が朝日を浴びてキラキラと砕け、その反射光が再構築されたビル群のガラス窓に反射して、街全体を祝福するような柔らかな光の帯を作り出していた。

 越智良亮は、河崎神社の裏手にある、小さな見晴らし公園のベンチに座っていた。彼の膝の上には、新しい琥珀(こはく)色の表紙のスケッチブックが広げられている。右手には、かつての痣の代わりに、一〇〇円ショップで買ったばかりの何の変哲もないシャープペンシル。良亮がペン先を紙に滑らせると、そこには複雑な数式ではなく、公園の植え込みで膨らみ始めた「紅梅(こうばい)」の(つぼみ)が、繊細な線で描き出されていく。

 彼の視界――「設計士の(アーキテクツ・アイ)」は、今も失われてはいない。集中すれば、公園のベンチを固定するボルトの締め付けトルクや、木々の導管を流れる樹液の速度さえも見えてしまう。だが、今の良亮は、それらを支配すべきデータとしてではなく、街が生きている(あかし)として穏やかに受け入れていた。良亮の右腕に沈殿した黄金の粒子は、彼が「守りたい」と願うものに触れるときだけ、春の陽光のような微かな熱を帯びるのだ。


「……良亮さん。相変わらず、地味な作業に没頭してらっしゃいますわね。小学校の卒業式を目前に控えて、植物図鑑の模写とは、設計士の矜持(きょうじ)はどこへ行ってしまいましたの?」


 背後から響いたのは、鈴の音のように凛とした、聞き慣れた高笑い。門前竜子が、真っ赤なコートの襟を立て、朱の扇子で口元を隠しながら歩み寄ってきた。彼女の背中には、もうあの赤いランドセルはない。代わりに、中学生になるための準備として新調した、落ち着いた深い赤色のショルダーバッグが揺れていた。


「……あ、竜子さん。……設計士の矜持だよ、これも。……パパが言っていたんだ。一番難しい設計は、命をそのままに描くことだって」


 良亮はペンを止め、竜子を振り返って微笑んだ。その瞳には、一〇〇年の歴史を背負い、それを再構築した者だけが持つ、静かな、しかし深い知恵の光が宿っていた。


「……おーほっほっほっ! 理屈っぽさは相変わらずですわね。……さて、良亮さん。わたくしたちの間には、まだ果たされていない、極めて重要な『設計上の義務』が残っていることを、忘れてはいませんでしょうね?」


 竜子が、ベンチに座る良亮の隣に、当然のような顔をして腰を下ろした。良亮は苦笑しながら、コートのポケットから二つの缶を取り出した。


「……お汁粉。……あそこの自販機の、一番熱いやつを買っておいたよ」


 竜子は満足げに(うなず)き、良亮から手渡された缶を、冷えた両手で大切そうに包み込んだ。


「……わかってらっしゃいますわね。設計士たるもの、現場の環境配慮(サプライ)こそが肝要ですわ」


 プシュッ、と小気味よい音が響き、湯気が二人の間に立ち上る。竜子が一口、慎重にお汁粉を(すす)り、深く、長く安堵の吐息を漏らした。


「……はぁ。……甘いですわ。……工藤の冷たい論理には、この『甘み』という変数が、一ミリも含まれておりませんでしたのね」


 二人はしばらくの間、言葉を交わさず、冬の公園の静寂を共有した。かつての工藤一族の残党たちは、良亮の提案通り、自身の技術を「街の看取りと再生」のために使い、今やこの街のインフラを陰で支える無名の功労者へと生まれ変わっていた。


「……竜子さん。……僕、時々思うんだ。僕が描いたあの黄金の線は、本当に正しかったのかなって」


 良亮が、ふとスケッチブックの隅を見つめて呟いた。


「……あの日、僕は街の構造を書き換えたけれど、それは僕が住人たちの意志を、少しだけ奪ってしまったことにならないかな」


 竜子は、食べ終えたお汁粉の缶をベンチに置き、良亮の右手を力強く握りしめた。


「……良亮さん。設計図に『正解』などございませんわ。あるのは、その家で、その街で、人々がどう笑って過ごしたいかという『願い』だけ。……あなたが引いたのは支配の線ではなく、人々が自分たちの足で歩き出すための、丈夫な『床』ですわ。わたくしが、この(あけ)の瞳で、彼らが幸せそうに朝食を食べている姿を、毎朝確認しておりますもの!」


 公園の階段を下り、二人は昭和町の越智家のアパートへと向かった。玄関を開けると、そこには冬の寒さを忘れさせるような、出汁(だし)の香りと賑やかな声が満ちていた。


「ただいま、ママ。……弓ちゃんは?」


「おかえりなさい、良亮。……竜子ちゃんもいらっしゃい。……弓ちゃんなら、奥で算数のドリルの『余白』に、ずっとお花を描いているわよ」


 涼子が、キッチンで昼食の準備をしながら笑って答えた。

 リビングのコタツには、良亮や竜子と同じ「小学校六年生」の体型をした一人の少女が座っていた。越智弓。彼女は、春から良亮たちと共に通うことになる中学校の入学案内を広げていた。工藤の兵器として教育されてきた彼女にとって、一般的な義務教育の内容は驚くほど新鮮であり、同時に、失われていた「子供としての日常」を痛切に感じさせるものだった。


「……りょう、すけくん。……みて。……この、すうしき。……なかに、……ねこちゃんを……かきくわえたの。……そうしたら、……こたえが……かわっちゃった」

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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