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今夜は寝かせないから、覚悟してね

作者: たまころ
掲載日:2026/04/27

「今夜は寝かせないから、覚悟してね」


 耳元で囁く低音に腰が抜けそうになる。膝に力を入れてグッと堪えて振り向くと、一学年上のミクローシュ公爵令息のご尊顔が視界に入った。


「ミクローシュ先輩、また課題ですか?」


 長い睫毛に整った鼻梁、赤ちゃんのようなきめ細かな肌。間近に見てもガラス細工のように美しいその美貌に弾む心と裏腹に、なるべく嫌そうな声音を出す。

 だって第三者が聞いたら勘違いしそうな誘い文句だけれど、実際は徹夜で彼の課題を手伝ってほしいというお願いだから。


「これが最後だから、頼むよ」


 拝む仕草をする先輩に思わずクスリと笑いが漏れる。

 高い身分に人目を惹く美しい容姿。入学からずっと学年首位の成績を収め、剣の実力も現役騎士に劣らないレベルだという彼がわたしに頼みごとをするのは毎度のこと。


「しょうがないですね。引き受けてあげます」


 わたしの承諾の返事を聞くと、彼は小さく「やった」と嬉しそうに声を弾ませて、逃がさないとばかりにわたしの手を握って歩き出す。

 突然のスキンシップにわたしの心臓は大きく跳ねるが、ミクローシュ先輩にとっては課題の手伝いを逃さないための捕獲手段でしかないだろう。顔色一つ変えずにグングン進んでいく。


 この国の三人の王子は全員二十代ですでに既婚者で、三つの公爵家のうちミクローシュ先輩以外の子息はすでに結婚しているかまだ十歳にも満たないか。つまり、ミクローシュ先輩は現在、この国で一番身分の高い結婚適齢期の貴重な独身男性だ。

 すれ違えばその美しさに誰もが振り返り、話をすればその知性とウィットの効いた会話に引き込まれる。学園名物の入学耐久トライアスロンでは初めて最後まで走りぬいた驚異の体力筋力精神力おばけであることは有名な話だ。

 そんな彼にはまだ婚約者がいない。間もなく卒業というこの時期、たいていの高位貴族はすでに有力な縁を繋ぐための婚約が調っている。三つしかない公爵家の彼がいまさら家のために必要な縁もないのかもしれないが、それでも珍しいことだ。


 当然、適齢期のご令嬢からの人気は凄まじい。純粋に彼の容姿に惹かれている者、彼の家格に夢を見ている者、野心溢れるご令嬢も多い。

 しかし、彼は妖精のように華憐だと言われた令嬢にも、五か国語を離す語学の天才と有名なご令嬢にも、大商会を実家に持つ流行最先端のオシャレな令嬢も、下町言葉が新鮮なピンク髪の特待生の誘いにも、全て張り付けたような笑顔で一言「無理!」と言って断ってしまう。


 そんな彼とわたしが親しい間柄であることは、学園では周知の事実。普通であれば婚活女性にとっては障害物であり排除対象になってしまうところだろうが、今のところ教科書を破られたり靴を隠されたりといった物理的な攻撃は受けていない。

 むしろ、学園内を一人で歩いていると「ミクローシュ様なら食堂にいましたわよ」となぜか彼の居場所を教えてくれる人もいるほどだ。


 学園の王子様的存在なミクローシュ先輩とわたしの仲が容認されている一番の理由、それは、わたしが「オモシレー女」枠だからだ。

 わたしは入学耐久トライアスロンを制覇した二番目の新入生だったのだ。女子の中ではもちろん、初。

 日々魔物と対峙している辺境で育ったわたしは、諦めるという概念がない。腹が減っても血を流しても、目的を完遂することが当たり前。

 生きている魔物との戦いと違って、決まった行程をこなすだけのトライアスロンはむしろ簡単と言って良かった。

 ちなみに四歳年上の兄は、遠泳のルートからうっかり外れて辿り着いた無人島で見つけた新種の魔物に乗って三週間後に帰ってきたらしいので、制限時間内にゴール出来ずに失格となった。


 トライアスロンを終え学園に戻ったわたしを出迎えたのは焦った職員と生徒会だった。まさか昨年に続き今年も、しかも去年よりさらに短時間で全ての種目を終えて学園に戻って来る学生がいるとは予想外だったようで、例年通りの救護体制も、昨年の反省を込めて作成されていた祝玉も間に合っていなかった。


「気にしなくていいですよー。あ、その草、食べてもいいですか?」


 椅子に座るかとか救護室で横になるかとか騒ぐ生徒会メンバーの後ろに生えている薬草を手で差す。

 見た目の良い薬草類をオシャレに植えているその中に、名前は知らないが地元でよくお世話になっていた薬草を見つけ、わたしは勝手に手折った。

 ムシャリムシャリと食べると、口の中に独特の苦みが広がる。それと同時に使った筋肉が緩んでいくのを感じた。戦闘の後にこれを食べると疲れが吹っ飛ぶと、魔物討伐の野営ではよくスープに入れたものだ。


「それ美味しい? 俺も食べていい?」


 そう言って、わたしが手に持った薬草をねだったのがミクローシュ先輩だった。


「どうぞ。美味しくはないけど」


 背は高く均整の取れた体型をしているが、地元の屈強な男達に比べてヒョロリと細いその手に、持っていた薬草をわけてやる。


「ありがとう」


 ナイフとフォークとナプキンなしでは食事をしたことがなさそうな繊細そうな顔立ちの彼は、何の躊躇もなく薬草を口にいれた。

 周囲にいた人間がギョッと彼を見る。


「青くさっ! まずっ!!」


 涙目になりながらも懸命に咀嚼して、ゴクンと嚥下したことがわかるほどの音をさせて、彼はそれを飲み込んだ。


「え、待って。何これ」


 彼は不思議そうにしゃがんだり立ったり、その場でピョンとジャンプしてみる。


「薬草学の本が面白くて夢中になって昨日はほとんど寝てないから、寝不足で怠かったんだけど」


 自分の手をグーパーしながら呟く彼に、わたしは自分の知っている知識が嬉しくて調子に乗って話をした。


「この草を食べると元気になるというのは、辺境では常識なんですけどね」


 『辺境』というワードに、その場にいた人間が一斉にこちらを見る。生徒会長だという眼鏡にセンター分けの男子生徒が、一歩前に出る。


「そうか、きみがフェンダー辺境伯のチイナ嬢か」


「あら、わたしの名をご存じで?」


「常に魔物の危険と隣り合わせの領地で、この国を脅威から守ってくれているフェンダー辺境を知らない者はいないよ」


 その場に居合わせた者たちが一斉に首を垂れる。


「我が国の英雄たちの住まう辺境の姫のご入学、心よりお祝い申し上げます」


 その光景に目を丸くする。

 辺境の田舎育ちのわたしを、国の貴族が集う学園がこんなに歓迎してくれるとは思っていなかった。


「辺境で生まれ育っただけの平凡な一生徒にそのような礼は過分ですわ」


 慌てて彼らに頭を上げるように促す。


「平凡? では三歳にして一人で魔物を締めたというのはただの噂か?」


「五歳の時に聖剣を破壊したというのはさすがに嘘だよな」


「三日三晩不眠不休で魔物を殺り続けたというのも、無理があると思ったんだ」


「兄妹喧嘩で家を一軒潰したというのは冗談だろう?」


 普段は辺境から出ないので、まさか自分の話がこんなにも出回っているとは思わなかった。まだ見ぬ辺境伯の娘の噂話を話半分に聞いていたようだが、自分たちより小柄な小娘であるわたしにそんな力はないだろうと、しかし半信半疑な様子で次から次へと話題が出る。


 三歳の時に退治した魔物は兄が攻撃をした後にとどめを刺しただけだし、聖剣はペラペラとお喋りがうるさいので封印しただけ。三日三晩はさすがに体力的にも無理があって、実際は約二日で魔物狩りにはけりをつけた。兄妹喧嘩で壊したのは長く空き家ですでに朽ちかけていた建物の屋根を兄が、壁をわたしが吹っ飛ばしただけだ。


「話盛りすぎですよぅ」


 ケラケラと笑うわたしに先輩たちはホッとした顔をする。


「この薬草は何ていう名前だ? 他にも凄い薬草を知っていたりするのか?」


 周囲の反応などお構いなしに、ミクローシュ先輩がわたしに質問をしてくる。


「薬草の正式な名前はわからないんですけど、辺境では……」


「二年の最初の課題で薬草をテーマにしようと思っていて、ちょっと詳しく教えてくれないか」


「いいですけど……」


 そうして、全寮制の学園の中に建てられた公爵令息である彼の別邸に連れていかれ、疲れても眠くなっても薬草を口に放り込まれ無理やり体力を回復させられ、彼が満足いく課題を完成させられるまで付き合わされることになった。

 その課題が学園内に留まらず、学会に発表され、ミクローシュ先輩は薬草学会で一躍有名人となった。


 あれから二年。三年制の学園をミクローシュ先輩が卒業する年になった。

 先輩は課題に向かう時はもれなくわたしに助力を求めるようになり、わたしも面倒くさそうな態度を取りながらも毎回協力した。

 信じられない数の論文や資料を読み、考察を重ね人体実験のような真似事をしようとする先輩を止めて、精度を求めるあまり期限ギリギリまで課題に取り組むため体力おばけと言われた先輩もわたしも毎度寝不足に陥りながら、なんとか完成させてきた。

 限界に追い込まれながら完成させた達成感と、先輩の百カラットのダイヤモンドよりも輝く笑顔で言われる「ありがとう」の言葉が毎回疲れをフッとばさせた。


 高貴な薔薇のような彼と過ごす時間ももうわずかかと、寂しい気持ちになる。初めの頃は美しい顔に華奢な体型のわりに粘り強く課題に取り組む姿に感心したものだが、いつしか彼と過ごす時間を楽しみに待つようになっていた。

 ミクローシュ先輩がわたしを特別扱いするのは、辺境の地で培った知識と、彼の課題にかける情熱に付き合うだけの体力があったから。わたしを異性として扱っていないことはわかっていたので、初恋は胸に秘めたまま、彼とは先輩後輩という良い関係でい続けたかった。


 実はわたしは婚約の打診を受けたお相手がいる。

学園に入学してすぐ、実家から縁談の話があると連絡が入った。お相手は隣国の辺境伯家の方。魔物が溢れる魔の森を挟んだ国境越しのため、隣の国といっても領地同士の交流はほとんどない。現状は個々に魔物退治を行っている状態なので、隣国の辺境伯と実家の辺境伯が手を取り合えば、きっと両家に、両国にとって有益なことだろう。

 国が絡む婚約だからか、なかなか話は先に進まないままもうすぐ二年。けれど、きっとわたしが学園を卒業する頃までにはきちんと婚約が調うだろうから、自由でいられるのもあとわずか。


 そんな凪いだ気持ちでいたというのに、今、わたしの心臓は壊れそうなほど大きな音を立てている。

 課題に取り組み始めて四日目、熱中するあまりほとんど睡眠をとらずにいたわたしの意識はぼんやりとし始めた。意識の向こう側で扉の開いた音がする。誰かが頭を撫でてくれている。スキンシップの多い家庭で育ったので、学園に入学してからは寂しくなることも多かった。手のぬくもりが嬉しい。猫だったらきっとグルグルと喉を鳴らしていただろう。


「目を覚まさないなら……しちゃおっかな」


 ミクローシュ先輩の声だ。じゃあ、頭を撫でてくれているのも……。

 わたしはガバリと起き上がる。


 目の前には綺麗な二重の吸い込まれそうな瞳のミクローシュ先輩がわたしの顔を覗き込んでいた。


「あ、起きちゃった?」


 残念そうに言う先輩の手には、ツンとした臭いを発する布が乗っている。その激臭に、思わず鼻と口を手で覆う。


「先輩、その手に持っているのは?」


「手元にある疲労回復に効く薬草を全部混ぜてみたんだけど、経口摂取は飽きたから皮膚吸収してみようかな、と発酵させて湿布にしてみた」


 最初の頃は薬草を生のまま齧ったり簡単なスープを厨房で作ってもらっていたけれど、課題を重ねるたびに気分転換もかねて薬草を煎じたり混ぜたりしては苦い薬草茶を作って飲むようになっていた。加えて眠気覚ましのコーヒーもガブガブと飲んでいて割とお腹はタプタプに水分で満たされている。

 しかし、先輩はいったい何を混ぜたのか、どうして発酵などとアレンジを利かせたのか、先輩が持っている布からはこれまでの薬草茶よりも数段強い臭いが放たれている。


「先輩、それ、わたしに貼ろうとしてました?」


「いやー、ハハ」


 わたしの質問に、先輩の視線は泳ぐ。

 恐ろしい。わたしのことを異性として見ていないどころか、実験体扱いされ始めている。この男の前では絶対に隙を見せてはいけないと、改めて心に誓う。


「ゲルゲリ草の乾燥具合を確認してきますね」


 全寮制の学園に先輩が入学する時に建てられた公爵令息である彼の別邸は、貴族が住まうには狭いけれど、充実していた

 屋敷内には薬草を乾燥させる専用の部屋や調剤室、専門書を集めた書斎など、最低限の生活空間を除いて、すべてミクローシュ先輩の研究のための部屋だった。

 これまでは王族であっても学園寮の特別室に入っていたというのに、先輩の研究に対する熱心さは学園の規則さえも捻じ曲げたのだ。


 乾燥室に入ると、いつもは魔道具で送っている微かな風が感じられない。

慌てて送風機を確認すると、燃料となる魔石が切れてしまっていた。わたしは慌てて来たばかりの廊下を戻る。


「ミクローシュ先輩、大変です!」


 わたしの声に振り向いたミクローシュ先輩の顔は青ざめていた。


「どうしよう、チイナ」


 先輩が手に持っていたサプトリュの葉は生気を無くしていた。時を止める保存容器に入れていたはずなのに。


「ふ、蓋を締め忘れていた」


 なんという初歩的なミスを!!

 驚愕に目を見開くわたしに、ミクローシュ先輩は凪いだ目で話を促す。


「送風機の魔石が切れてました」


 先輩はガクンと膝をつく。


「もう、今回の課題は間に合わない……」


 今回の課題には乾燥させたゲルゲリ草と採れたてのサプトリュの葉が必要だというのに。その両方が必要条件を失ってしまった今、先輩は失望の闇に落ちた。

 時を止める魔法技術はあるけれど、時戻しは禁忌とされていて、対応できる魔道具ももちろんない。

 出来ることはただ一つだ。


 わたしは膝をついて床を見つめている先輩に合わせて膝を折る。

 そっと彼に手を伸ばし、グッと胸倉を掴む。


「諦めてんじゃねぇよ! 今すぐ新しい薬草採取しに行くぞ!!」


 驚いた先輩の目の焦点が次第に定まる。

 とっさの時には、つい辺境の地で戦闘に従事していた時の口調が出てしまう。貴族令嬢として学園に通っているというのにあるまじきことだ。恥ずかしさからわたしはポッと頬を赤らめる。


「……ああ。行こう。行こう!!」


 覚醒した先輩が立ち上がり、いつものように目を輝かせる。

 そこからは速かった。わたしと先輩はそれぞれ分かれて薬草摂取へと向かう。


 前回は大きな困難もなく採取できた薬草が、不運にも今回はそうはいかなかった。

 封印されていたはずの土竜が復活して、ゲルゲリ草が生えている谷への侵入を拒まれたのだ。「チッ」とまたもや令嬢にあるまじき舌打ちをして、念のためにと持ってきていた聖剣の封印を解く。


「あ~ん、寝すぎて体バッキバキよぉ」


 聖剣は野太い男性の声で女性言葉を話す。


「お久しぶり。寝起きのところ悪いけど、行くわよ?」


「まっかせて~♡ グッチャグチャのギッタギタにしちゃうわよぉ」


 聖剣は言葉通り、地元軍の攻撃ではかすり傷一つつけられなかった土竜の体へ重い一撃を入れる。


「キャハハハハ! 血祭りにあげてくれるわーーーー!!!!」


 興奮した聖剣はこちらの意志を無視して土竜へ攻撃を仕掛けようとする。これだから意思を持った武器は厄介なのだ。

 グリップを握る手に力魔力を込める。


「一流のレディのお仕事をしましょうね」


 暴れ出そうとする聖剣の力を魔力で押さえつけたため、ビリビリと反動が体に流れこんでくる。これくらいで弱音を吐くようでは聖剣の持ち主にはなれない。

 聖剣からの圧で、頬に腕に切り傷の血が滲む。わたしと聖剣の攻防はすぐに終わりを迎え、聖剣は落ち着きを取り戻す。


「久しぶりで鈍ってるかと思ったのに、馬鹿力増してな~い?」


「うるさい」


 わたしを受け入れた聖剣のおかげで、あっけなく土竜を倒し、ゲルゲリ草を手に入れることが出来た。

 突然の土竜の出現に困っていた地元の人たちに感謝の宴に誘われたが丁重に断る。地元軍に好みの男性がいたようで聖剣はしばらく渋っていたが、剣だけを置いていくわけにもいかず諦めてもらった。


「せっかくいい男がいたのに~。プリプリの可愛いお尻、堪能したかったわぁ。ところでチイナは彼氏出来た? いい加減辺境騎士団の一人か二人は食べちゃったかしら?」


 ああ、うるさい。聖剣の下品な女子トークについていけずに、わたしはまた彼女を封印することにした。

 聖剣の封印には貴重な魔石と膨大な魔力を使うので、正直面倒くさいのだけれど。

 実家からこのために持たせてもらっている魔石を取り出し、体中から根こそぎ魔力を注ぐ。


 魔力切れを起こす寸前で、なんとか学園に戻ることが出来た。ミクローシュ先輩の顔を見た途端、ホッとしたことを覚えている。


「先輩、これを……」


 そこから先の記憶はないが、魔力切れのために三日間眠っていたらしい。

 何か重い物が体の上に乗っているのを感じて目を覚ますと、ミクローシュ先輩がわたしの上に覆いかぶさるように眠っていた。

 一瞬ドキリとしたものの、体力の限界まで課題に取り組み、ここで力尽きてしまったのだろう。


 目を閉じていても美形とわかる横顔をため息をつきながら見つめる。

 未婚の男女が同じ部屋で過ごせるような時間もあとわずかだろう。課題バカで体力バカなわたし達だから見逃されているのは、学園という檻の中だから。


「ん……」


「おはようございます。ミクローシュ先輩」


「おはよう、チイナ」


 寝ぼけたままの先輩が、ふんわりと微笑みながらおはようを返してくれる。寝起きには耐えられない色気が放出されて、鼻血が出そうになり、思わず鼻を抑える。


「課題は?」


「無事完成したよ。きみのおかげだ、ありがとう」


 わたしが意識を失っていた間に、ミクローシュ先輩は無事課題を仕上げることが出来たらしい。ホッと胸を撫でおろす。


 今回提出したレポートは、わたしが初めて先輩に協力して完成させた課題以来の良い出来だったらしい。学園内の課題だったにも関わらず、学会への提出もすることになったそうだ。

 そのお披露目会、とやらを開くことになったと、わたしは先輩に招待状を渡された。


「もうすぐ俺も卒業だからね、いろんなお祝いを兼ねて盛大なパーティーをするんだよ」


 「もちろんチイナも参加してくれるよね」そう言って、髪飾りから靴まで、当日身に着ける物を一揃い準備していると言い渡される。公爵家主催のパーティーなので、田舎者のわたしが恥をかかないように用意してくれたのか、それとも二年間課題へ協力したお礼なのかはわからないけれど、先輩の有無を言わせない圧を感じて、わたしはただ小さく頷いた。


 パーティー当日の朝、わたしはミクローシュ先輩と一緒に学園の前で待っていた公爵家の馬車に乗った。

 彼のご実家である公爵家本邸へ向かう短い時間、ミクローシュ先輩は今回の課題がいかに良い出来であったか、今後の薬草界にどんな影響をもたらしていくのだろうかを熱く語ってくる。今後の展望まで話し始めたところで、残念にも目的地にたどり着く。

 間もなく学園を卒業する先輩は本格的に公爵家嫡男として跡継ぎ教育期間に入るだろうし、わたしも卒業後の将来に備える時期に入るだろうから、一緒に課題に取り組むことはなくなるだろうけれど、彼とともに過ごす架空の時間の話をもっと聞いていたかった。


 何度か訪れたことのある公爵家は、田舎育ちのわたしでもわかる高級な物があちこちに置かれていて少し緊張する。だだっ広い領地に建てられた領民の避難所にも使われることを想定している実家のほうが屋敷の広さはあるが、ミクローシュ先輩の屋敷は長く受け継がれた重厚な造りで、よく手入れされて大切に住まわれていることがわかる。


 屋敷につくとミクローシュ先輩とは別れ、顔馴染みになった侍女が中心となり、別室でわたしにドレスを着せ、メイクを施してくれた。

 それが終わると、先輩の準備や打ち合わせが終わるまで時間があるからと、暇が潰れるように先輩の研究室にいていいと言ってもらえた。くれぐれもドレスを汚さないように、目が全然笑っていない笑顔で注意を促されたけれど。


 相変わらず雑然としているが希少な薬草や貴重な異国の書籍が眩しいその部屋は何時間だっていられそうだ。しかし、せっかく美しく整えてもらったのだから汚すわけにはいかない。気になった本を一冊拝借し、隣のソファーセットが置かれた休憩室へ移動することにした。


 夕方から始まるパーティーに向けて、いつもは静かな公爵家も、今日は慌ただしく準備をする使用人達の物音が時折耳に入る。

 ふと、メイドだろう女性達の話声が聞こえた。


「やっと婚約がお決まりになって良かったわね」


「今夜はミクローシュ様の婚約と次男のラクロス様のお披露目も兼ねているから、たくさんのお客様がいらっしゃるから気合を入れなくっちゃ」


「高位貴族の方々ってお顔立ちも身に着けていらっしゃるものも高貴で目の保養になるが楽しみだわ」


「そんな余裕ないほど今夜は大忙しよ!」


「確かに~」


 キャハハと若い女性達の声が小さくなっていく。

 屋敷の中の居住スペースに、パーティーが始まる前の昼間から外部の人間がいるとは思いつきもしていない彼女達の声は軽やかだった。


 ゴトン


 持っていた分厚い本を床に落としてしまい、我に返る。

 ミクローシュ先輩が婚約をしたなんて、知らなかった。学園に入学してから約二年、先輩の一番近くにいたと思っていたのは思い上がりだったのか。

 寂しいのか悔しいのか悲しいのか、何の涙かわからないが、勝手に目から液体が溢れてくる。さっき丁寧にお化粧をしてもらったというのに。

 実家から婚約者候補と顔合わせを、と言われた時、正式に決まってからでいいと断ったのは、きっと自分の現実と向き合いたくなかったから。


 こんな時にやっと自分の気持ちがわかるなんて。

 これは淡い初恋の思い出なんかじゃない。

 わたしは、ミクローシュ先輩のことが好きだ。


 屋敷の人に気付かれないよう、声を殺して泣いた。拭っても拭っても涙は流れたけれど、小一時間もたっただろうか。やがて涙はつきて、幾分すっきりした気持ちになった。

 深呼吸を一つして、読む気力がなくなった本を返そうと立ち上がる。


 慣れた薬草の匂いがするこの部屋に来るのも、これが最後だ。

 部屋を見渡すと、珍しい薬草を見つけた。

これがあれば、惚れ薬が作れる。古の魔女がこっそり流通させていたという惚れ薬のレシピを、少し前に先輩が教えてくれた。眉唾物だろうけど、気になるよねと笑っていた先輩の笑顔を思い出す。


「ずいぶん待たせてしまったね」


 そう言ってミクローシュ先輩が慌ただしく部屋に入ってきた。

 涙でメイクが崩れてしまったわたしを見て、先輩は一瞬固まる。


「……キレイだ」


 婚約者がいるというのに、見え透いたお世辞を言う宝石のように美しい先輩に、腹が立った。


「先輩も、朝から準備でお忙しかったでしょう。ここにある材料を勝手に使ってしまったけれど、新しい薬草茶を作ってみました。初めての調合だけど、きっと元気が出ますよ」


 わたしは後ろ手に隠すように持っていた木の椀に入ったドロドロの液体を先輩に差し出す。


「チイナが作ってくれたものは、なんでもご褒美だよ。いただきます」


 何の躊躇もなく濁った緑色のそれを口に流し込む先輩に、思わず「待って!」と声を掛ける。


「材料を一つ入れ忘れた気がして、あの」


「そうなの? 全部飲んじゃった。また今度、完成品を飲ませて」


 次などないというのに「さぁ、行こう」先輩は何の変わりもなくわたしをエスコートして、会場へと向かう。

 途中で侍女の方にメイク直しが必要だと、別室に連れて行かれた。ぐしゃぐしゃに泣き崩れた顔を直してもらうのに時間がかかり、パーティーの開始時間に間に合わず、後からそっと会場に入った。


 学園の生徒の顔はだいたい知っているが、集まっているほとんどの大人は知らない方ばかりだった。

 田舎育ちで社交もろくにしていない女では、公爵家の嫁など務まるはずもない。ミクローシュ先輩との将来を夢見ることが出来なかったわたしは、現実を知っていたということだろう。


 広い会場の中で、人に囲まれたミクローシュ先輩を見つけた。背が高く、華やかな先輩はどこにいてもすぐに見つけることが出来る。

 彼の隣には着飾った伯爵令嬢が微笑んでいた。今が盛りと咲き誇る花のように可愛らしく美しい。わたしより一つ下の彼女は、学園でも淑女の鏡と評判だ。


 わたしを見つけた先輩が、嬉しそうにこっちへおいでと手振りで伝えてくる。

 隣に彼女がいるというのに、無邪気な男だ。


「こちら、フェンダー辺境伯令嬢のチイナ嬢。彼女の薬草の知識は素晴らしくって、課題の度に助けられたんだ」


 そう言って、わたしを紹介する声には嬉しさが滲み出ている。

 自分の自慢のおもちゃを、大好きな女の子に見せられることが嬉しい、そんな感じだろうか。


「やっぱり、魔女の惚れ薬なんて偽物だったわね」


「惚れ薬? 何の話?」


 小さな声で呟いたつもりが、先輩の耳に届いてしまった。

 お似合いの彼女と一緒のところを見せつけられて、わたしはなんだかもう、どうでもいいような気持ちになっていた。


「先輩がさっき飲んだアレ、魔女の惚れ薬だったんです。全然効果なかったから、やっぱり偽物だったな、と思って」


「魔女の惚れ薬、俺に飲ませたの?」


 驚く先輩に、わたしはニコリと笑って頷く。

 軽蔑するだろうか、呆れるだろうか。

 失恋した衝動とはいえ、浅はかな行動だった。婚約者の女性の前で他の女に惹かれて嫌われてしまえばいいと、あの薬草を見つけた時に思ってしまった。いや、それよりも、そんなことをしたわたしの行動で、わたしの彼への好意に気付いてほしい。馬鹿なことをする女だと、未練が残らないほど、嫌われてしまいたかった。

 絡まった毛糸を見て絶望するように、失恋したばかりのわたしは自分の感情に折り合いがつけられない。


「そんなの効くわけないよ」


 「馬鹿だなぁ」そう言った先輩の声はなぜか明るくて、いつものようにわたしの手を握って歩き出す。


「先輩?」


「お披露目の時間だ、行こう」


 人の合間を縫って、どんどん前に進む。

 見上げた彼の胸元のポケットのチーフの色が、わたしの手袋と同じ色なことに気が付く。彼のスーツの色は、わたしが着ているドレスの腰に巻かれたリボンと同じ色だ。

 どこからどう見ても揃いの衣装をまとった自分達の姿に気が付き、わたしは困惑した。

 お客様の正面に立ち、挨拶を始めたミクローシュ先輩の父である公爵様の傍に、夫人や弟のラクロス様とともにわたし達は並んだ。


「息子のミクローシュと、婚約者のチイナ嬢です」


 先輩のお父様である公爵様がわたし達を紹介する。

 彼と二人、一歩前に出ると、会場中の視線が集まるのを感じた。


「ミクローシュは学園を卒業後、隣国の辺境伯の養子となります。我が国の辺境伯令嬢であるチイナ嬢との婚姻が、両国の橋渡しの一端となるでしょう。我がモズ公爵家は次男のラクロスが継承していく予定で勉強中です。まだまだ未熟者ですので、皆々様の叱咤激励をいただければと思います」


 公爵様の簡潔な言葉に、会場はどよめく。

隣で微笑んでる公爵夫人はなんだか楽しそうだ。弟のラクロス様はいたって平然としたご様子で、公爵様によく似ている。


「どういうことですか?」


 逃げられないようにしっかりとエスコートでホールドされたまま、ミクローシュ先輩に小声で問いかける。

 婚約とか、隣国の辺境伯とか、わたしの頭では話が繋がらない。


「チイナは恋愛とか興味なさそうだったから、好きとか言って逃げられないように先に婚約しちゃおうと思って。ちょっと手間取って時間かかっちゃったけど、卒業まで間に合ってよかった」


 好きとか婚約とか、これまで言われたことのないワードに、頭が混乱しているわたしに、先輩は続ける。


「婚約してもどうにもならなかったら魔女の惚れ薬を試してみようと思って調べてたんだけど、先に俺が飲むとは思わなかった。俺はすでにチイナに惚れぬいているから、いくら飲んでも効果ないのに」


 クククと先輩が可笑しそうに笑う。


「先輩、わたしのこと好きだったの?」


 驚くわたしに、ミクローシュ先輩は嬉しそうに笑う。


「やっと気が付いた? けっこうわかりやすかったと思うけど。二人きりになる異性はチイナだけだったし、誰がみても特別扱いだったと思うよ」


「だって、ずっと変わらない態度で……」


「一目惚れだからね。豪快に薬草を食べるチイナが可愛くて、あの時から変わらず好きだから、態度はずっと変わらなかったかも?」


 先輩の言葉に、わたしは「は?」と思わず声が漏れる。トライアスロン終わりの汗だくな状態で道端の草を引っこ抜いて食べたわたしに惚れた?

 やっぱり「オモシレー女」枠じゃないか。そんな特殊な女を好きになる先輩の気持ちなど、わからなくて当然かもしれない。


 先輩は彼へのわたしの淡い恋心には気づいておらず、なんなら「恋ってなに? 美味しいの?」みたいな感じだと思っていたらしい。

 特別扱いはしていたものの、恋愛的な雰囲気を出すと不潔な生き物として嫌われてしまうかも、でも絶対幸せにするし一緒にいたら絶対好きになってもらえる努力するし、と先走った結果、わたしと婚約することにしたらしい。


 辺境の実家で野山を走り回り、魔物討伐の先陣を切っていたような女に公爵家の嫁は無理だと勝手に判断し(いや、そうだろうけれども)、母親の従姉の義理の母の友人のポエムクラブのご縁をたどって、隣国の辺境伯に辿り着いたという。

 わたしの実家の辺境と魔の森を挟んだ隣国の辺境領。跡継ぎに恵まれず、後継者を探していたところに、ミクローシュ先輩は立候補したというのだ。公爵家で伝統とか社交とかで頭を悩ませるより、見知らぬ土地でも魔物から領地や領民を護るほうがきっとチイナには向いているから、と先輩は笑った。両国の辺境伯家の結びつきが強くなることは、双方の国にとっても有益なことだろうと、国の後押しも取り付けたというから驚きだ。

 そうして、隣国の辺境伯の養子になるための試練(魔物百体討伐)を長期休暇の度に辺境伯へと行き先月やっとクリアし、それと同時進行で公爵家の跡継ぎを放棄することについて両親、親族の説得。さらに嫁に出すことなど考えてもいなかったらしい呑気なわたしの実家に婚約を認めてもらうまで、出会ってから約二年かかったそうだ。


 その全てで承諾が得られた今、逃すまいとわたしに婚約の事実を告げるより先に世間に公表してしまおうと、今回のパーティーを企画したということだ。

 世間から羨まれる身分に容姿、恵まれた頭脳があるというのに努力を厭わない謙虚さに朗らかな性格。

 そんな完璧な男が「オモシレー女」に惚れるだなんて、誰が思うだろう。お披露目パーティーの間中、腑に落ちない顔をしていたわたしに、招待されていた学園の知り合い達はなぜかしたり顔で「やっとですね」みたいなことを言ってくる。「イケメンの執着は見ているだけで充分」「学園に平和が訪れる」そんな呟きが聞こえてきた。


 弟のラクロス様に跡継ぎが変更されることについては、ミクローシュ先輩と同じくらい優秀と評判な方なようで、好意的に受け容れられていた。本人は兄貴の陰で好き勝手やるつもりだったけど、当主になって大きなことするのも面白いかもな、とにやりと笑っていたそう。なんだか器の大きさを感じる人だ。


 会場にはわたしの両親も招待されていた。両親にはこのまま公爵家に宿泊してもらい、順番が逆になってしまったが、明日改めて顔合わせをすることになった。

 ちゃんと話が出来ていなかったわたし達は、両親が通された客間で話しをしようと連れ立って歩く。


「チイナ、どこへ行くの?」


 先輩の声に振り向く。


「両親の客間へ。これまでのこともこれからのこともわからないことばかりで、話がしたくて」


「夜も遅いし、明日にしたら?」


 寂しそうに手を握ってくる先輩が可愛くて、少し迷う。


「今夜は俺の部屋においで」


 先に話をする必要があるのは、両親よりも先輩だったのかもしれない。

 魔女の惚れ薬も結果はオーライだったけれど、やはり良くない行いだったことを謝罪したいし、自分の気持ちもちゃんと伝えられていない。

 それに何より、先輩からも言葉がほしい。


「先輩、わたしに何か言うことはありませんか?」


 そんなズルい言い方をしたわたしに、ミクローシュ先輩は小首を傾げて少し考えた後、顔を寄せてくる。


「今夜は寝かせないから、覚悟してね♡」


 数歩離れた先にいる両親には聞こえないように、耳元で囁かれた。

 課題の提出前には、これまで何度となく言われてきた言葉だが、今夜のそれには、甘やかな熱が籠っている。

 耳を抑えて真っ赤になったわたしを、先輩は軽々と山賊抱っこした。


「お義父さんお義母さん、おやすみなさい」


 そう言って両親の横を通り抜ける。我に返った子煩悩な父が「ちょっと待て!」と大声をあげながら追いかけてくる。逃げ切ろうと走り出す先輩の焦った様子がおかしくて、こんな時だというのに、わたしは可笑しくて笑ってしまう。


 初めて出会った学園入学の日、耐久トライアスロンを完走できる体力も筋力も精神力もあった先輩だけれど、こんなに強い体幹はしていなかった。

 どちらかというと頭脳派な先輩が力こそ全てな風潮が残る辺境で後継者として認められるのは容易なことではなかっただろう。頑固で子煩悩なうちの両親が、魔物の森を隔てた隣国への嫁入りを許すまでの説得は時間がかかったに違いない。

 今夜は好意的な公爵家の皆さまも、最初から先輩の決断を受け入れてくれたとは思えない。


 わたしに出会うその瞬間まで、この国で公爵家嫡男として生きていくつもりだったミクローシュ先輩が下した決断と努力を思うと、絶対に彼を幸せにしたいと思う。


 廊下を走り回るわたしを抱えた先輩と、それを鬼の形相で追いかけてくる父を見ながら、わたしは幸せを噛み締める。


「せんぱーい! 大好きです!!」


 どさくさに紛れて、大声で告白する。


「チイナ! ムードが無さ過ぎる!!」


 先輩に大声で返される。先輩には言われたくないと思うけれど、楽しいからいいか、と長い廊下で風を感じながら思った。

 きっと先輩とは、この先も、隣の国の辺境に行っても、好きなことを言い合って笑って、楽しくやっていける、そんな自信が溢れてくる。


タイトルのセリフで回収したくて書き始めたら、短編にしては長くなってしまいました。

読んでくださり、ありがとうございます。感謝です。

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― 新着の感想 ―
そんなお父様なら、婚前交渉は許すまじだね
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