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幻想白夜のサーカステントで、君と秘密の恋宙ブランコ ~王立国庫査察官に溺愛される、優雅で甘い月夜の巡業~  作者: 団田図


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第5話 張り詰めた糸と優しい腕

 アリシアの案内で、スパーダは巨大なサーカステントの内部を隅々まで視察して回ることになった。


 昼間のテント内は、夜の幻惑的な空間とは打って変わり、静寂とほこり、そして微かな獣の匂いに包まれている。陽の光が分厚い天幕を透かして柔らかく差し込み、頭上にはアリシアがいつも舞う空中ブランコのプラットフォームや、何本もの命綱が蜘蛛くもの巣のように複雑に交差していた。


「ここは、私にとって一番落ち着く場所なんです」


 アリシアは頭上の機材を見上げながら、ふわりと微笑んだ。


「小さい頃、父の練習をずっとこの下で見ていました。父が宙を舞うと、イグニスの光がそれを追いかけて……まるで本物の星みたいで、本当に綺麗だったんです。父の空中ブランコは、世界一の芸術でした」


 半年前、不慮の事故で命を落とした先代団長グロリアントへの、深い愛情と尊敬がにじむ言葉だった。アリシアの横顔は、昨日の夜、スパーダが客席で見たあの圧倒的な美しさと同じくらい、純粋で無防備な輝きを放っている。


 誰もいない薄暗いテントの中、ただ二人きりで並んで歩いていると、まるで恋人同士の逢瀬おうせのような甘い錯覚に陥りそうになる。スパーダは無意識のうちに足を止め、彼女の屈託のない笑顔に見とれていた。孤児として育ち、温かい家族の記憶を持たない彼にとって、愛情に満ちた彼女の表情はひどくまぶしく、目を逸らすことができなかった。


 ――いや、何を考えている。俺は国庫管理局から派遣された査察官だ。


 スパーダは微かに頭を振り、自身の内に芽生えかけた柔らかな感情を冷たい理性で押し殺した。


「思い出話としては美しいが、現実を見るんだ。プラットフォームの滑車のひとつ、わずかだが油が切れているぞ。あんな状態で使い続ければ摩耗が早まり、余計な修理費がかかる」


 冷酷に突き放すわけではないが、数字と効率に基づいた的確で隙のない指摘だった。アリシアはハッとして「あ……本当だ。すみません、すぐ手入れします」と慌てて手元の帳簿にメモを取る。


「次は、衣装部屋と舞台装置の裏側だ。案内してくれ」


「はい、こちらです。衣装はシルヴィが担当してくれていて、どれも手作りなんですよ。見てください、このスパンコール……」


 アリシアは嬉しそうに次々とサーカスの裏側を案内していく。スライムのシルヴィが手掛ける色鮮やかな衣装の数々、ちびゴーレムたちが設営する骨組みの構造。スパーダは「装飾に金をかけすぎだ」「ゴーレムの設営順序が悪い」と厳しい小言を挟みながらも、彼女の熱意ある説明に静かに耳を傾けていた。


 しかし、テントを出て団員たちの居住区へと向かう頃、アリシアの声は次第に覇気を失い、足取りは目に見えて重くなっていた。


 無理もない。経営難による心労に加え、王都での大公演に向けて焦るあまり、彼女は機材の点検や夜遅くまでの居残り練習、さらには慣れない帳簿の計算まで一人で抱え込んでいるのだ。連日の過労がピークに達し、彼女の体力はとうに限界を迎えていた。


「こちらの食堂の調理場は、マグダが……あの、魔法の樽を使って……」


 説明の途中で、アリシアの視界がぐらりと揺れた。

 プツンと糸が切れたように、彼女の華奢きゃしゃな体が傾く。冷たい地面に打ち付けられる、と目を閉じた瞬間。


 力強く、それでいて驚くほど優しい腕が、アリシアの体をふわりと抱きとめた。


「……っ!」


 目を開けると、すぐ目の前にスパーダの端正な顔があった。彼は片腕でアリシアの背中を支え、もう片方の手で彼女の肩をしっかりと抱き寄せている。


「……無茶な人だ。限界など疾うに越えていただろう。よくここまで持ちこたえたものだ。だが、お前が今日までこの団を維持してきた執念だけは、認めないわけにもいかないようだな」


 口から出た言葉は事務的で素っ気ないものだったが、彼女を支える腕の温もりと、その眼差しには隠しきれない優しさと労いが滲んでいた。昼間の冷酷な態度とのギャップに、アリシアの胸がトクンと大きく鳴る。


 しかし、その静寂と甘い空気は、次の瞬間にけたたましく打ち破られた。


「グルルルルッ!」


 地響きのような唸り声と共に、巨大な火竜が鋭い牙を剥き出しにして威嚇してきたのだ。猛獣使いゴルダンの相棒である。さらに頭上の荷馬車の屋根から、猫獣人のチャイが「アリシアちゃんから離れるにゃ!」と凄まじい勢いで飛び降りてきた。


「なっ……」


 スパーダが思わず後ずさると、騒ぎを聞きつけたケンタウロスのバルガスまでが血相を変えて飛んできた。


「おい、気安くうちの団長に触るんじゃねえ!」


「このお堅い役人めが、お嬢に何をした!」


 団員たちが一斉にスパーダとアリシアの間に割って入り、過保護なまでに彼女を背中へ隠す。彼らがどれほどアリシアを大切にし、亡き先代の忘れ形見として愛しているかが痛いほど伝わってくる光景だった。


 査察官として冷静に立ち回るはずのスパーダだったが、この無防備で熱苦しい「家族の絆」による猛烈な威嚇に、柄にもなく毒気を抜かれ、呆然と立ち尽くすしかなかった。


+++


 すっかり日が落ちた頃、天幕を張っただけの開放的な食堂には、魔石のランタンの温かい光と、食欲をそそる匂いが立ち込めていた。


 長机には、ドワーフの料理長マグダが腕を振るった大皿料理が並んでいる。経営難で豪華な肉はないものの、工夫を凝らした野菜の煮込みや、こんがりと焼けたパンが山盛りになっていた。


 団員たちから少し離れた席で、スパーダは配給された木皿を前に一人、腕を組んでいた。先ほどの騒ぎのせいか、団員たちの視線にはまだ警戒の色が濃い。


 そこへ、赤茶色に白髪が混じる三つ編みを揺らし、マグダがドンと乱暴に、スパーダの前に小さな小鉢を置いた。


「ほれ、食いな。査察官の旦那も、腹が減っては文句も言えまい」


 小鉢の中には、色鮮やかな野菜のピクルスが盛られていた。マグダが魔法の樽で作った絶品のピクルスである。


 スパーダは無言でフォークを手に取り、一口かじった。

 その瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。


 程よい酸味と、野菜本来の甘み、そして何種類ものスパイスが絶妙なバランスで絡み合い、口の中に広がっていく。長持ちさせるための単なる保存食ではない。限られた食材を最大限に活かし、食べる者の心まで満たすような、豊かで深い味わいだった。


「……美味い」


 スパーダの口から、無意識のうちに感嘆の言葉が漏れた。


「これは……ただの塩漬けじゃないな。魔力による緻密な温度管理と、独特の香草の配合か。驚いた。これほど見事な腕を持つ料理人が、こんな辺境のサーカスにいるとはな」


 彼が純粋にマグダの腕を絶賛すると、マグダは一瞬目を丸くした後、ドワッハッハと豪快に笑い声を上げた。


「おや、冷血役人かと思えば、随分と舌が肥えてるじゃないか! あたしの『樽底の魔術』が分かるなんて、見直したよ!」


 マグダの嬉しそうな笑い声に、警戒していた他の団員たちの顔からも、少しだけ険しさが消えた。


「ま、マグダさんのピクルスは最高なんだから! 当然よ!」


「オレの分も取っておいてくれよ!」


 食堂に再び賑やかな声が戻り始める。種族を超えて皆で笑い合う、騒がしくも温かい食卓の光景だった。


 スパーダはもう一口ピクルスを頬張りながら、遠巻きに自分を見ているアリシアと視線が交差した。

 アリシアが、ほんの少しだけホッとしたような、柔らかい微笑みを向けてくる。


 その笑顔を前に、スパーダは自分がこの「家族」の中に、ほんのわずかだが足を踏み入れてしまったことを自覚し、静かに目を伏せたのだった。


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