第7話 「……あのさ、なんでここにいるの?」
平和な国で育った一般人の俺は、気配を感じ取るなんてもちろんできない。それでも静かで死角のないこの場所で、生物の接近に気づかないなんて油断しすぎた。
気配は感じ取れなくても、一度そこにいるとわかってしまえば、確かに何かがいることはわかる。走って逃げたら方角的に、無策のまま村につっこむかたちになる。そもそも逃げ切れる保証はない。一か八か逃げてみるか、振り向いて相手を確認してから対応するか。
結局のところ、相手を確認したところで俺に対応できるわけもないか。どっちにしても勝算が薄いなら、せめてご尊顔くらいは拝んでやる。もし、今回を無事に乗り越え命が紡がれたとしても、弱い俺には日々命を賭した選択が迫られるはずだ。もう、法律や人権を盾にできる世界ではないのだから。慣れていかなければならないのだ、自分の身を自分で守ることに。
一度大きく息を吸い込み、長く吐き出す。再び浅く吸い込んだ瞬間、前方に一気に駆け出す。同時に体を反転し、足を踏ん張り構える。
そこには見覚えのある、茶色い物体がいた。こちらの臨戦態勢をばかにするかのように、ただそこに立っている。自然と嘆息が漏れる。吐き出した空気と一緒に全身の力も流されていった。
「……あのさ、なんでここにいるの?」
それっぽく構えたポーズのまま問いかける。
「た、た、た、たたまま、わたしもこっちに行くつもりだったから。たまたま」
相変わらずフードを存分に活かしている彼女の表情は伺えないが、なにか焦っていらっしゃる。
「そうなんだ。まあ見える範囲にはあそこしかなさそうだしね」
俺の返答を聞いた彼女は俯き加減からさらに首を垂れる。小さい体がより小さく見える。
「……嘘よ」
彼女は申し訳なさそうに白状する。
――ちくしょー! やられた。制約のせいでこんなベタな嘘を信じてしまった。こんな、あまりにもベタな嘘を。ちなみにその嘘は俺がいた世界だと「あなたの後をついてきた」と同義だからな。
「ちなみに、いつから後ろにいたの?」
「一人で『よしっ』って叫んでるところの少し前から」
いや、もうそれ最初からじゃん! 後についてきたってレベルじゃないじゃん! 森で別れたと思っていたけど別れてないし、普通に二人でここまで来ただけじゃん。あと叫んでいたのを見られていたのは地味に恥ずかしい。
「ふーん。まあ気づいていたけどね。君がこっそりとついて来たいようだったから、あえて気付かないふりをしてたんだ」
色々と恥ずかしかったので、「実は全部知ってましたよ」キャラで大人の余裕を演出し、マウントを取りにいってみる。
「そうだったの? 急に走り出したと思ったら変なポーズしてるし、てっきり何か勘違いをしてるのかと思った」
本当にこの子も大概だ。冗談のつもりが、これでは嘘になってしまう。傷口が広がらないうちに対処しなければ。もちろん俺の傷口が。
「ごめんなさい。嘘です。後ろに何かがいると気づいたのも、ついさっきで、てっきり危険な生物か何かに狙われているのかと思ってました」
「…………」
こんなに広い場所で、なぜかうなだれて小さくなっている二人がいた。くだらない嘘をついた二人は、その罰としてしばらくの間小さく固まっていた。思い出したかのように時々吹く風だけが、この空間で唯一自発的に動けるものだった。
大抵のことは時間が解決するというけれど、時間が経つほどに重くなる口もある。それでもここは男気を見せなければならない。この凝り固まった、いたたまれなさであふれた空間に風穴を開けるのは俺の役目だ。こんな残酷なことを彼女にやらせるわけにはいかない。俺の口で口火を切るんだ!
「あ、あのさ、それであの村にはどうやって入ろうか」
その瞬間、固まっていた空気が音を立てて崩れていった。俺はやり遂げた。もしここで動かなければ二人は二度と動くことはできなかったであろう。ふう、転生してから初めての功績だな。
彼女は改めて、全体を一周見回す。
「そうね。こちらから村が見えているように、あちらからも視認できる距離にいる。既にこちらに気づいているかもしれない。まだ気づいていなかったとしても、障害物のないこの場所では、身を隠して接近するのは不可能だわ。それならば下手にこそこそするよりは、堂々と正面から行った方がいいと思う」
確認はしていなかったが、彼女もあの村に入るつもりだった。やっぱりあの村のことが心配だったんだな。小さいのによくできたいい子だ。にやにやしながら満足気に頷く。その様子をフードの下から伺っていた彼女が言う。
「何か勘違いをしてるかもしれないから言っておくわ。わたしはあの村がどうなっても別によかった。見ず知らずの人がどんな目にあっていたとしても、わたしは何も感じない。だって知らない人が知らないところで不幸な目にあうなんて、日々世界中で起こってることでしょう」
俺が口に出してもいない考えを否定された。否定などしなくてもいいことを、あえて。まあ、わからなくはない。人間性に限った話ではないが、過大評価されるというのは息苦しい。勝手に評価されて、実際を知った時に勝手に落胆される。評価との差異を埋める重圧にさいなまれることもある。ただ、俺の場合はそうだが、彼女についてもそうだと断定するには、まだ、彼女について知らな過ぎる。
「なるほど。知らない人が知らないところでってことに関しては俺も同じ。世界中の不幸を憂うなんて神にだって不可能だ。ただ今回は、知らない人だけど、どこで起きているかはわかってる。そして手が届く範囲だ。だから俺は行くし、君もそうなのかと思った」
「違うわ。さっきのはあえて一般論に寄せて言ったけど、わたしにとっては『知らない人』ってだけで充分なの。いいえ、たとえ知っていたとしても、きっとわたしは何も感じない。だって今まで一度だって誰かを『助けたい』なんて思ったことはないもの」
彼女は冷めきった、諦めきったように言う。そこにもう感情と呼べるものはなく、淡々と言葉を発するだけの機械人形のようだった。
ふと、ひとつの疑問が浮かぶ。
「でも俺は助けてもらったよ。俺が『助けたい人』第一号?」
「あっ、そうね。ついさっきのことだから数に入れてなかったわ。確かにあなたのことは助けた……、かな。おめでとう、ナオタロが第一号」




