第33話 「旦那候補なんですよ?」
「よく食べますね、妹さん」
細長いフランスパンのようなものにかじりついているミスト。
少し硬めの表面をがしがし削る音が小気味よく聞こえる。
金貨一枚分とは言ったものの、在庫が足りなかった。というか、ライスは冗談だと思っているみたいだ。ミストが食べる量を知らないから。
パンを切るかと聞いてくれたが、ミストの分を切っているときりがないので、俺の分だけ切ってもらうことにした。
「まあ、育ち盛りだからね……。それにしてもライスのパンはおいしいね。外側も硬すぎずに、中ももちもちだ」
あの村で貰ったパンは硬かったからな。食べるのに苦労した。
ミストはバリバリとおいしそうに食べてたけど。
「そうでしょう、そうでしょう! なんてったってお父さんに教えてもらいましたからね! この町一番のパン屋だったと自負しております!」
鼻を指で擦りながら、意気揚々と言う。
過去形であることが、その続きを聞くことをためらわせる。
「すみませーん! パンを買いたいんですけど!」
カウンターの方から少し笑っているような気持ち悪い声が届く。
「お客さん来たみたいだね」
返事をしないことを不思議に思い、ライスを見やる。
彼女の顔は青ざめ、テーブルの上に置かれた手は固く握られていた。
なにかおかしいとすぐにわかる。
俺でなくとも、誰にでもすぐにわかる。そんな反応を彼女はしていた。
「とりあえず、俺が行くよ」
食べかけのパンをテーブルに置き、カウンターへと向かう。
来ないと言って、来た客。気持ち悪い声。
心のざわつきが足取りを早くする。
カウンターの前には一人の男が立っていた。
中年でたっぷりと蓄えた無精ひげ、よく肥えた腹。無理やり押し込んだように着ているチェーンメイルがはちきれそうだ。そして腰には剣を携えている。
それにしても眩しい。他の部分とは対照的に、頭部が極めて無防備、無警戒、むき出し。皮脂もあいまってテカテカピカピカだ。
「すみません、今日の分のパンは売り切れてしまいました。また明日以降にお越しください」
帰ってほしいとの願いを込めて、精一杯の愛想笑いを振り撒く。
男はこちらの姿を確認した時点で眉をひそめていたが、俺の発言を受け、一層苛立ちを強める。
「誰だよ、お前。こっちはライスに用事があんだよ。あいつを呼んで来い」
剣を抜くのではないかという剣幕ですごんでくる。
この世界に来て色々と経験したからか、カウンター越しだからかはわからないが、思ったよりも冷静さを失わない。
「俺はライスの未来の旦那候補です。もちろん相思相愛です。ご用件があるなら俺が伺いますよ」
俺の返答がお気に召さなかったのか、男はさらに苛立ち、ついには青筋を立てている。
「お前はオレのことを知らないのか? セルド商会のもんだぞ? あんまりふざけたこと言ってると、お前も無事じゃあ済まねえぞ!」
丁寧に人差し指で俺を指定して言ってくる。
「すみません、今日この町に来たばかりで、あなたのことも、セルド商会のことも存じ上げません。それでご用件は?」
「金だよ! ライスはセルド商会に借金があるんだよ! その取り立てだ! まあ、どうせ払えないだろうから、利子として今日も嫌がらせでもして帰るがな」
――そんなことだろうと思ってたよ。
「ちなみに借金って、おいくらでしょうか?」
「聞いてどうすんだよ。お前が払ってくれんのか? 金貨三十枚!」
――示し合わせたみたいにぴったりだ。
俺のカリスマ性と、こいつのモブキャラ性が合わさって生まれた奇跡だ。
「もちろん払いますよ、俺が! 聞いてなかったんですか? 旦那候補なんですよ? 払って当然でしょう!」
男はハゲが豆鉄砲を食らったような顔をしている。
声は出ないようだが、代わりにチェーンメイルがぎしぎしとわめいている。
「少々お待ちください。今すぐに、迅速に、確実に、マッハで持ってきますので!」
そう言い残し、居住スペースへと踵を返す。
テーブルの上に置かれた金貨三十枚入り巾着。それを掴む前にやるべきことがある。
一直線にミストのもとに行き、耳打ちをする。
彼女は、まだパンをがしがしと食べ続けている。
「ミスト、この金貨三十枚、使ってもいいかな?」
ミストが金貨の価値についてどれくらい把握しているかはわからない。
きちんと説明せずに許可をとることには少しためたいがある。
それでも今は時間がないし、説明したとしても、きっと彼女なら了承してくれる。
そう信じている。
こくりと頷いた彼女は、一旦食べるのをやめ、言葉を発することに口を使ってくれる。
「いいわ。全部聞こえてたし。ナオタロがそうするべきだと思うなら、わたしもそうするべきだと思うわ」
それだけ言うと、彼女はまたがしがしとパンをかじり始める。
いつから、どうしてなのかはわからないが、彼女の俺に対する信頼は、確実に積みあがっていた。
たったひとつの出来事、たったひとつの発言。
彼女からしたら何気なく放った一言かもしれない。
それでもの俺の胸に、確かに熱くなるものを感じた。
金貨三十枚。これを意味のあるものにしなければならない。
彼女の信頼に対して、結果で答えなければならない。
テーブルの上の巾着を掴み、両手で大事に持つ。
ずっしりと響くその重さには、物質以外の質量が加わっているようだった。
足早にカウンターに戻った俺に、訝しむ視線が向けられる。
「お待たせしました。金貨三十枚です」
こちらが差し出す巾着を、半信半疑、いや一信九疑で受け取る。
巾着の口を開き、一瞬驚いた表情を見せたが、その後は黙って枚数を数える。
「確かに三十枚だ。まさか本当に用意できるとわな……」
感心したように、打って変わっておとなしく言う。
最初から金での回収なんて念頭になかったのだろう。男も予想外の展開に、どう反応すべきかを見失っている。
ただ、ここで感心して改心するようなやつは、初めからこのようなことをしない。
借金の回収とはいえ、ライスがあれだけ怯えるようなことをしてきた男。
人を平気で傷つけることができるような人間は、はなからどこかが壊れている。
俺の予想通り、男はすぐに自分の役割を思い出す。
「確かに金貨三十枚は受け取った。だが、商会に戻って確認したら、まだ利息が残ってるかもしれないな。そうしたらまた来ることになるから、よろしくな」
新しい悪戯を思いついたかのように、不穏な色に目を光らせる男。
気持ち悪さの余韻を残し、男は去っていった。
――絶対にまた来る。
上機嫌な男の背中を見やり、そう確信した。




