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妖精の森

作者: 吾妻栄子

「そんなの拾ってきて」

 まだ若い母親は幼い娘が腕に抱いた籠――正確にはその籠の中で寝息を立てている小さな生き物を苦々しく、しかしどこか痛ましげに見詰めた。

「あのまま森に放ってたらオオカミに食べられちゃうから」

 幼い少女はまるで母親がその恐るべき猛獣であるかのように小さな体でより小さな籠に収まった生き物に覆い被さって続ける。

「きっと捨て子だろうし可哀そうだから拾ってきたの」 

「それはね、とっても飼うのが難しい生き物なの」

 母親は一語一語噛み締めるようにして語る。

「前の飼い主もきっと大変だから生まれてすぐに森に捨てたのよ」

「私、ちゃんと最後まで飼うから……」

「エハァッ、エハァッ!」

 少女が言いかけたところで籠の中から泣き声が上がった。

 その声を耳にすると、母親の目にふと割れるような震えが走った。

「ほら、起きちゃったわ」

 我が母の声に含まれた諦めと温かさに幼い娘は思わず籠から身を起こす。

 籠の中の白い布に包まれた生き物を母親は抱き上げる。

「お腹空いちゃったのね、確か山羊やぎのお乳を薄めて飲ませればいいんだったかな?」

 尖った爪が当たらないように指の腹でそっとまだ赤ん坊の生き物の角のない丸い耳を撫ぜる。

「可愛いお耳だこと」


*****

 小さな木造りの家の庭。

 プラチナブロンドの髪から尖った耳朶を覗かせた、ヒトにすれば十四歳ほどの少女はテーブルの上に置いた純白の薔薇に向かって念じる。

「ターニット・インタ・レッド」

 花はたちまち真紅に変じた。

「出来た」

 少女はペールブルーの瞳を輝かせた。

 そして、また居住まいを正して花に念じる。

「ターニット・インタ・ブルー」

 すると、薔薇は微かに紫を帯びた色合いに転じた。

 エルフの少女は肩を落とす。

「先生も赤から青は難しいって言ってたな」

 そこに十歳ほどの、豊かな黒髪で小さな顔の両脇を半ば覆った少女が籠を携えて戻ってくる。

「アカリ、何してたの?」

 年嵩のエルフの少女が声を掛ける。

「裏のおばあちゃんが貧血で調子が悪いんだって」

 黒髪の幼い方の少女は続ける。

「だから、このよもぎを集めてお茶に……あっ!」

 キラリと瑠璃色の粉を撒く翅を閃かせながら飛んできた焦げ茶髪の十二歳ほどの少年が黒髪の少女の腕から籠を奪った。

「返して下さい」

 黒髪の少女は早くも涙を宿した目で相手を見上げる。

「ここまで飛んで来たら返してやらあ」

 尖った耳を持っているものの焦げ茶色の髪の頭からは別に触覚を生やし、ヘイゼルの瞳に瑠璃色に輝く翅を背負った少年は中空から鼻で嗤って続けると、下降して来て黒髪の少女の頬を強かに打った。

「この丸耳女」

 黒髪の間から現れた、なだらかな曲線を描く耳を目にした少年はせせら笑う。

「ブリンギット!」

 エルフの少女が呪文を叫ぶと籠は少年の手から彼女の爪を伸ばした手に高速で飛んだ。

 だが、その勢いで中身の草はバラバラに落ちる。

「エインに見つかっちゃった」

 蝶の翅を持つ少年は地上の庭から睨みつける年嵩の少女に向かってどこか挑発するように呟いた。

「アカリはうちの大切な家族よ」

 空になった籠を手にしたエルフの少女エインは迷いなく告げる。

「そんな丸い変な耳して、魔法も使えなければ、飛べもしない奴がか」

 蒼い翅をはためかせながら中空に浮かんでいる少年は地上の二人の少女を見下ろして言い放つ。

「エルフもヒトも関係ない」

 プラチナブロンドのエインは言い切る。

 だが、 蓬の草を拾い集める黒髪のアカリは目を落とした。

「ヒトなんか昔からロウで作った羽で飛ぼうとして死ぬようなバカばっかりって父ちゃんが言ってた」

 空の籠に拾い集めた草を戻している自分より幼い少女の背中を眺める少年の榛色の目に冷たい笑いが浮かぶ。

「出来ないことに挑戦して何が悪いの」

 一番年嵩のエルフの少女の顔には全く迷いがない。

「アカリは魔法は使えないけど本を読んでうちでは一番薬草に詳しいし。あんたなんか勉強も怠けてろくに読み書きも出来ず飛び回って悪さするだけじゃないの」

「……んだと」

「モーフォ!」

 不意に飛んできた呼び声に少年の顔がぎくりとする。

「母ちゃん」

 まだ体は芋虫の赤子を胸に抱いた、少年と同じ焦げ茶の髪にヘイゼルの瞳をした、しかし青い翅の一部は鮮やかに赤い母親が飛んでくる。

「木の実を取ってこいと言っただろ、この悪たれめ」

 息子の尖った耳を引っ張る。

「ごめん、母ちゃん」

「フエ、フエエン」

 モーフォの謝る声を打ち消すように母親の胸に抱かれた赤子が泣きだす。

「ああ、パピロが起きちまったじゃないか。やっと寝かせたのに」

 母親は舌打ちする。

「母ちゃんはパピロの世話で忙しいのに、お前は手伝いもせずによその飼いびとをいじめたり悪さばかり」

「だから、ごめんってば」

 蝶の翅を持つエルフの母子連れは飛び去って行く。

「おうちでショコラ飲みましょう」

 エインはアカリの背を擦って告げた。


*****

「モーフォは同じエルフにも意地が悪いから気にしてはダメ」

 エインはショコラを啜りながら自分より一回り小さな体をしたアカリに語る。

「気にしてない」

 言葉に反して寂しい笑いを浮かべると、アカリは黒髪のかぶりを横に振ると、陶器のカップをテーブルに置いて立ち上がった。

 部屋の隅に置かれている木の骨組みを取り上げ、ポケットから取り出した鳥の羽根を当てる。

「古い本に翼の作り方があったの」

 まだカップを手にして座っているエルフの少女に幼いヒトの少女は確かな声で告げた。

「これでいつか飛ぶ」


*****

 煌めく夏の陽射しが降り注ぐ川辺。

「ライッターンライッ」

 エインが呪文を唱えると、群れ咲いていた向日葵が一斉に右を向いた。

「レフターンレフッ」

 花々は今度は左を向く。

 傍では木の骨組みに鳥の羽根を大量に貼り付けた翼を背中に着けたアカリが走っては両手を挙げて跳ねてくさむらに転ぶという行為を繰り返していた。

 そこに瑠璃色の翅のモーフォが飛んでくる。

「やっぱりバカだなあ、ヒトってのは」

 手脚に着いた泥を川の水で洗い落としているアカリを見下ろして嗤うと、今度は打って変わって優しく胸に抱いた蛹の弟に語り掛ける。

「お前ももうすぐ俺と一緒に飛ぶんだよ、パピロ」

 半ば固まった蛹の頭を撫ぜる。

「海にでも山にでも」

 夢見るように語る少年は川縁の大木から突き出た枝に気付かなかった。

――バキッ!

 エインとアカリが枝の折れる音に気付いた時には青い翅の片方の大きく折れたモーフォが蛹の弟を抱いたまま落ちていく所であった。

――バシャン!

 八方に散じた水飛沫が二人の少女の顔に飛んだ。 

「お前は助かれっ」

 水に沈んでいくモーフォは胸に抱いた蛹の弟を岸辺に向けて放った。

 咄嗟に駆け寄ったエインが抱き留める。

「ブリンギット!」

 エインは沈みつつ流されていくモーフォに向かって呪文を叫ぶ。

 すると、少年の体は幾分浮いたものの流れに乗せられて遠ざかっていく。

 精一杯念じつつエルフの少女は呟いた。

「ダメだわ、流れが速いし私の力ではモーフォの体は重過ぎる」

 アカリは意を決した面持ちになると、岸辺を全力で駆け出した。

 折からの風でふわりと背中に着けた翼で宙に浮いた。

 自ら作った翼でヒトの少女は空を飛び始める。

「捕まって!」

 アカリは手を伸ばす。

 ボロボロになった翅を開いた格好で川に沈みつつあるモーフォは虚ろな瞳で手を伸ばした。

「捕まるの」

 二人の手は近付いては遠ざかる。

「アカリ!」

 さなぎのパピロを胸に抱いたエインが叫ぶ。

 突如、ヒトの少女が装着した片方の翼が折れた。

「アカリーッ!」

 爆発に似た音と共に激しく水飛沫が上がった。


*****

 少女は病院のベッドで黒い瞳を開けた。

「目を覚ましたわ」

「良かった」

 両親の言葉を少女は虚ろな面持ちで聞いた。


*****

明理あかりのハンググライダーがこの『妖精の森』の木の上に堕ちたから何とか助かったんだよ」

 ザワザワと風が青緑に生い茂った木の葉を揺らす中、車椅子を押していた母親は語る。

「うん」

 車椅子の少女はざわめく森の木々を見上げて笑った。

「皆が助けてくれたしね」

 ひらひらと目の前を飛んでいく烏揚羽からすあげはを見送る瞳にふと寂寥がよぎる。

「目が覚めて本当に良かった」

 翅の黒地に潜めた青を煌めかせながら蝶は飛び去っていく。

「エハァッ、エハアッ!」

 不意に森の奥の薄暗がりから響いてきた赤子の泣き声に車椅子の少女と母は目を見開いて振り返った。(了)

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