第二章 【53】 決着②
〈ラース視点〉
「……久しぶりだね、ラースくん」
地面に横たわったまま。
うわ言のように呟かれた、豚鬼の言葉を耳にして。
(――ッ!? コイツすでに、意識を取り戻して……っ!?)
咄嗟にそのような判断を下しかけた、ラースであるが。
すぐに違和感に気づく。
(……いや、違う。肉体の反応も、魔力の反応も、確実に活動停止状態にある。それにこの魔力波長は……干渉系統の、魔法か?)
豚鬼の体内から放たれる、不自然な魔力の波長から。
おそらくはその体内に埋め込まれた、魔道具や術式を媒介として。
遠方から『何者か』が、豚鬼の口を介して言葉を紡いでいるのだと、数千年単位の膨大な戦歴を誇る魔人は即座に看破した。
そして。
「……その様子だとやっぱり、キミたちは独自に『アリス』の奪還を、試みているみたいだね」
「……ッ!」
豚鬼に擬似憑依した『誰か』が、口にした名前に。
目を剥いた直後に……ゴウッ、と。
煉獄のような魔力圧が、魔人の全身から噴き荒れた。
「何故、貴様が、その名を口にする!? その名は我らの王が、かつてあの痴れ者に…………いや、待て、貴様まさか、『お前』なのか!? 本当に『お前』が、『そこ』にいるとでもいうのか!?」
「……だったら、どうする?」
「殺すッ!」
轟々と、地下空間の唸りを掻き消すほどに。
空間を軋ませて、荒れ狂う魔力圧の奔流は。
幾重にも積み重ねられた、純粋たる『怒り』のみに、染められている。
常人であれば、その怒気に触れただけで意識を失い。
魔獣なら平伏して首を下げるほどの。
上位者の勘気に晒されて。
「……だろうね」
姿の見えない『声』の持ち主は。
それが至極当然であるかのように、肯定した。
「ラースくん。キミの怒りは、もっともだ。僕にそれを、拒む権利はない」
「当たり前だッ! 貴様のせいで、貴様などに心を許したせいで、我らの王は、あのような辱めを……ッ!」
「そうだね。ああ、その通りだ。それは否定しないし、できない」
そして、その怒りを。
余すことなく、受け入れたうえで。
「でも……だからこそ僕は、その責任を負わなければならない。アリスに背負わせてしまった悲しみを、僕がこの手で、取り除かないといけないんだ」
引け目も、臆面もなく、堂々と。
そんな言葉を、口にするのである。
「ふッ……ふざけるな! 今更……今更だ! 今更貴様に、何ができる! あの日、あの時、道を間違えた時点で、貴様のふざけた妄想は、水泡に帰したのだっ! いい加減にそれを認めろッ!」
「いいやまだ、終わっていない。僕とアリスが選んだ道を、終わらせるわけにはいかない。そのために僕は、恥を忍んでこうしてこの意識を世界に繋ぎ留めいるのだし、こうやって、恥知らずにもこの子の人生を、間借りさせてもらっているんだ」
「ではこの者がやはり、貴様の依代となっているのだな!?」
「依代なんて、上品なものじゃないよ。あえて表現するなら、寄生だね。彼は僕の、新たな被害者だよ」
意識のない豚鬼を間借りした『声』には。
たしかに、己の所業を悔いる色があった。
「僕が彼の転生に介入したせいで、彼の今世は、随分と滅茶苦茶なものになってしまっている。本当に、申し訳ない限りだよ。仮に僕が本文を全うして、なお余力が残っていれば、その全てを捧げてもなお返しきれないほどに、この子には大きな借りがあるのさ」
「そんなもの、関係あるか! 貴様はここで死ねッ!」
「それも確かに、ひとつの選択だ。ヒビキくんは完全に巻き添えだけど、キミには僕に、それを行使する権利がある。でも……」
あくまで、淡々と、冷静に。
怒りに呑まれる寸前の魔人を。
ギリギリで、踏み留まらせようと。
この場に存在しない『誰か』の声はただ、事実のみを告げる。
「……それで、いいのかい? それが本当に、アリスのためになるとでも?」
「当たり前だろうが! 貴様は我ら、『翠』の眷属の怨敵だ! 我らの王の名を、気安く口にするでないわ、下郎めがッ!」
「失礼。でも今の状況から察するに、キミもまだ、あの国に囚われたアリス……『翠』の魔王、アリスカルマの奪還は、道半ばなんだろう?」
「貴様には関係ないッ!」
「関係あるさ。僕にとってもそれは悲願だ。そのためだけに、今の僕はこの世界にしがみついている。そして『魔王を奪還する可能性』は……少しでも、多い方がいいんじゃないかな?」
「……ッ、ふざっ、けるなッ! 貴様、まさかそのような戯言を、この俺が相手にするとでも――」
「――思うさ。本当にキミが主人のことを想うのであれば、たとえどのようなかたちであれ、あの国……勇聖国における『建国の勇者』である僕という存在は、決して無視できないはずだ」
「〜〜〜ッ!」
ギリギリと、砕けんばかりに、歯を噛み締めて。
ブルブルと、己を焼き焦がさんばかりの、激情に身体を震わせて。
それでもラースは『声』を、否定しなかった。
否定することが、できなかった。
なにせつい先ほど、同胞であるスロウにも宣言したように。
本人にとっては不幸とさえ呼べる、皮肉なことではあるが。
己という、個人の感情など。
眷属全員が掲げる大局の前では、押し殺してしまえるのほどの矜持と、理性を。
ラースという魔人は、それらを統べる『将』として。
獲得してしまっているのだから。
それゆえに。
「……貴様は、必ず、俺が殺すッ! だがそれは、全てを清算してからだッ! それまでに精々、己の罪を悔い改め、贖罪しておくがいいッ!」
自分たちの悲願を果たすためには。
自らの感情を封殺せざるを得ない、不器用な魔人に対して。
「……ありがとう、ラースくん。今このときの判断が、決して間違いではなかったことを、いずれ証明してみせるから」
怒りの原因であるはずの『声』が。
それを慰撫するかのように。
同情を込めた感謝を、捧げてくるのであった。
「当然だッ! それが貴様の、果たすべき責任だ! それまで死ぬ気で足掻け、『背徳の勇者』ッ!」
最後にそれだけ、吐き捨てて。
魔力欠乏が閾値にまで達したため、まもなく本格的な崩壊を始める、地下空間から。
転移空間を開いて、脱出しようとした、魔人の背中に。
「あ……ごめん、ラースくん」
心から申し訳なさそうに。
怨敵であるはずの『声』の持ち主が。
「……ッ、なんだ!? まだ何か、用があるのかッ!?」
「いやね? 僕としても、非常お〜に心苦しいんだけどさあ」
図々しくも、白々しく。
「今はこうして無理やりにこっちに『出てきて』いるんだけど、今回また無理をしちゃったから、すぐにまた引っ込まなきゃいけないんだよ。それにこの身体を色々と『調整』もしなくちゃいけないから、きっと数年間は、あっちに引き篭もることになると思う」
厚顔無恥に、大胆不敵に。
「だけどこのまま放置されちゃうと、この子もそっちの子も、普通に死んじゃうじゃない? だからさ……」
在りし日の面影を、匂わせながら。
「……せめて地上までの転移を、お願いできないかな〜……なんて?」
「……ッ!!!」
口にしやがった、要望に。
バキンッ、と。
今度こそ魔人が、奥歯を噛み割ったのだった。
【作者の呟き】
ラースさんは『憤怒』じゃなくて『苦労』属性ですね。




