第二章 【35】 冒険者⑥
〈タウロドン視点〉
「ッ!? おいおい、なんだよコイツは!?」
「あれは……まさか擬蟲人っ!? なんで半魔人が、こんなところに!?」
「モリイ、あの蟲モドキのこと知っているピョンか!?」
慌てて駆け寄ってくる冒険者仲間たちの声を、耳で拾いつつ。
目の前の異形から、タウロドンは目が離せない。
『キチキチキチキチ……』
背丈としては、自分よりも頭二つ分ほども低い、百七十センチ前後といったところだろうか。
見た目の横幅はなく。
なんなら華奢とも呼べそうな、痩躯であるのだが。
その全身は黒光する、昆虫独特の質感を有した外骨格で覆われており。
関節部分には球体じみた節があって。
指先は、三本しかない鉤爪状となっている。
全体としての形状は人型であるが、頭部は蟻や蜂に近い昆虫のそれであり。
臀部からは蠍の尾のようなものが伸びていた。
総じて、人を模した蟲の異形。
それが目の前の存在に対する、タウロドンの率直な感想である。
「リーダー、そいつはマジでヤバいヤツです! 逃げてください! 魔人の次にヤバい半魔人が魔樹迷宮から出てくるなんて、普通にありえませんよ!」
小柄な賢鬼の口にする、魔人や半魔人といった存在は。
この世界に生きる者なら、誰でも一度は耳にしたことがある、人類の天敵だった。
なにせこの世界には、いずれ人族が到達すべき試練の到達点として、創造神により世界樹の守護者として創造された魔王という存在があって。
その配下として、魔樹迷宮に巣食うとされる魔人が。
ほとんど魔樹迷宮の外に出ないそれらの手先として、人族から存在進化したのだとも、魔獣が存在変異したのだとも噂される、半魔人がおり。
さらにその末端として世界に散らばる、魔生樹から産み出される魔獣たちのことを。
人々は総じて、魔族と呼んでいる。
ああ見えて博識な賢鬼は、そうした半魔人の一種である擬蟻人とやらを、書物や伝聞などで齧ったことがあるのだろう。
とはいえ。
(魔人もそうだけど、半魔人なんか、高ランク冒険者だって早々にお目にかかるようなモンじゃねえぞ!? それがなんだって、こんなところにいやがるんだよっ!?)
元より違和感を拭えない、此度の活性期であるが。
もしかして本当に、ただの自然現象ではないのか。
そのような疑問が、脳裏には浮かぶものの……
(……そういうのは全部、ここを生き延びてからだ! 今は目の前の相手に集中しろ、集中ッ!)
意識を切り替えて。
愛用の片手斧に力を込める、牛鬼の姿に。
ようやくその背中に追いついた片眼鏡の賢鬼が、悲鳴を漏らした。
「ばっ……まさかリーダー、戦るつもりですか!? Cランクの僕たちが、無茶ですよ!」
「勝てる、勝てねえじゃねえ……挑まないと、ならない場面だろうがよお、ここはッ!」
「その通りだピョン! ここで逃げたらもう二度と、冒険者は名乗れないピョンよ!?」
「そんなの、命あっての物種でしょうが!」
「何よりあっちが……とても、見逃がしてくれるようには思えないんだけどな! モリイ、そのへんはどう見るよ?」
戦力的な不利を訴えるモリイシュタルが。
どれほど、撤退を望んだところで。
『ガチガチガチガチッ』
露骨に、左右に割れた下顎を打ち鳴らせて。
威嚇音ともに、視線をこちらから逸らさない異形は。
複眼に映る人間たちを、己の獲物と認識しているようであった。
「ぐっ……くそっ、くそったれえええええっ!」
そして……どれだけ、土壇場まで情けない姿を晒したところで。
最後の最後。
いざという場面では。
即座に決断を実行に移せるのが、モリイシュタルという冒険者の美点であることを、タウロドンは疑っていない。
「――〈火炎弾〉っ!」
振りかざした魔杖の先端から射出される、火炎魔法を合図として。
「ウモオオオオオオ――ッ!」
放たれた魔力弾を目眩しにする形で。
魔能を全力発動させた牛鬼が、勇猛に距離を詰めて。
「……っ!」
それを囮とした兎人が、種族特性の脚力を活かすことで、瞬きのうちに半魔人の背後に回り込み。
正面のタウロドンと息を合わせて、果敢な攻勢に打って出る。
ドオオオンッと、炎が爆ぜて。
炎弾が直撃した。
異形の顔面を包み込み。
正面から、牛鬼の振るう巨大片手斧の刃が。
背面から、兎人の繰り出す短刀の刺突が。
それぞれ同時に。
対象を斬り刻もうとして……
……ガキインッと、硬質な音が。
そうした冒険者たちの連携を、嘲笑ったのだった。
『……キチキチキチキチ』
そもそもとして、表情筋が存在しないために。
無表情のまま。
それでもどこか、こちらを見下すようにして。
照りつける夕日に複眼を煌めかせる半魔人の頭部は、火炎魔法が直撃したにも関わらず、全くの無傷。
頭部から伸びる触覚すら、焦げてもいない。
また驚愕の表情を浮かべるタウロドンの片手斧は、その場を一歩も動くことなく、刃を三本指の掌で受け止められており。
ミミルの繰り出した刺突に至っては、防御すらしないままに。
黒光する外骨格に、弾かれている。
ただ、生まれ持った肉体性能と。
自然体で垂れ流す精錬魔力のみで。
冒険者たちによる全力を、無視できてしまう程度には。
目の前の半魔人とは、生物としての格が違い過ぎていた。
これは勝てない、と。
即座に悟ったタウロドンは……
「……ウモオオオオオオッッッ!!!」
そのまま全体重と、全筋力を、総動員して。
押し込むように。
抑えつけるように。
片手斧を受け止める擬蟻人に、全身全霊の圧をかけた。
「……ッ!」
その意味が、わからない兎人ではなくて。
一瞬だけ、目を見開くと。
彼女はすぐに決断して、その場を退いてくれた。
そのまま踵を返して、脱兎のごとく、大地を蹴る。
(……そうだ、それでいい! ここは俺が一秒でも長く時間を稼ぐから、その間に他の冒険者たちを――)
そうした冒険者の決断を。
「……んぎッ!?」
「……ッ! み、ミミルさん!?」
無慈悲にも、中断させたのは。
少女の横手から飛び出してきた、新たな黒い影であり。
(……ふざけんなよ! もう一匹、いやがるのかよ!?)
絶望を伴って出現した擬蟻人から、蠍尾による奇襲を腹部に受けた兎人は、そのまま地面を何度も横転した後、立ち上がることはなかった。
「お、おまっ、お前ええええええっ!」
目の前で繰り広げられた。
そうした仲間の、無惨なる光景に。
激昂したのは、片眼鏡をかけた賢鬼であり。
掲げた魔杖から、荒ぶる感情を具現化させたかのような、幾つもの火炎弾を射出するものの。
『……ギギッ』
それらを避けて。
一息の間に魔術士との距離を詰めた半魔人が、またしても蠍尾を、冒険者の胴体に突き刺した。
「モリイ! ふざけんな、しっかりしろ! ミミルも死んだふりしてないでさっさと逃げろ!」
だが、どれだけ声を荒げたところで。
蠍尾を引き抜かれ、地面に崩れ落ちた仲間たちが、返事をすることはなくて。
『……キチキチキチキチ』
『ギッギッギッ』
今度は自分たちの番だと言わんばかりに。
会話のような音を顎下から鳴らす異形たちを前にして、ブッツンと、タウロドンのなかで何かが弾けた。
「てめ……えら、なにを、笑ってやがんだあああああッ!!!!!」
三本の鉤爪で固定された片手斧を引き寄せ、相手の重心を崩すと同時に。
反対側の手で構えていた片手盾を突き出して、強かに異形に叩きつける。
それでも大地に根差した、大樹のように。
半魔人は微動だにしない。
ならばそれらを手放した巨漢は、己のもっとも信頼する武器……すなわち『拳』を用いて。
「うおおおおおおおッ!」
ただひたすらに、目の前の敵を殴りつける。
すぐに手の皮が破れ、血が滲み、肉がひしゃげて、骨が軋む感触を覚えても。
それでも勇猛に、吠え猛って。
あるいは子どものように、泣きじゃくって。
目尻に涙を浮かべながら。
目の前の異形を、ただひたすらに殴り続ける。
「お゛……っ!?」
ズドッ、と。
そうしたタウロドンの猛攻を、静止させたのは。
相変わらず防御の素振りすら見せない、眼前の擬蟻人から伸びる蠍尾の一撃であり。
容易く鎧と鎖帷子を貫通して体内に届いた蟲針から、全身に悪寒を伴う熱が広がっていく。
すぐに全身から、力が抜けて。
巨漢が、その場に崩れ落ちた。
(こっ……れは……麻痺毒……ならまだ……あいつらは、生きて……っ)
そうした推測に。
安堵を抱いたのも束の間。
『キチキチキチキチ』
見下ろす異形の視線から。
敵ではなく、餌を見つめる。
捕食者としての意志を感じ取ってしまったタウロドンが。
(い、やコイツ……ら、まさ……か……っ!?)
脳裏に思い浮かべてしまったのは。
生まれ育った村で、何度となく目にしてきた。
ごく自然な、光景であり。
それは網にかかった獲物を啜る、蜘蛛の姿であり。
もしくは腐肉に沸く、蛆たちの姿や。
あるいは体内の寄生虫に悶え苦しむ、宿主の姿であった。
つまりそうした捕食者たちが。
手間暇をかけて、わざわざ獲物を生け取りにする理由など、考えるまでもなくて……
(お、おれたち、を……生き、た、まま……たべる、つもっ、り、なのか……っ!?)
それは冒険者である以前の、生物として。
本能的な恐怖を呼び起こすのに、十分すぎる未来図であった。
タウロドンとて、冒険者だ。
自身が選んだ冒険の果てに、命を落とす覚悟はしていた。
だが人間として……生物として。
生きたまま、捕食されて。
他者の糧となる、末路は。
生物としては自然であっても。
自我を有する人間としては。
あまりに耐え難い、結末である。
「たっ……たひゅ……た、たれっ……かっ……たひゅけっ……てっ……」
先ほどとは違う感情から湧き上がる涙を、堪えることもできずに。
恥も外聞もなく。
麻痺した舌を必死に動かす青年を、誰も責めることなどできないだろう。
代わりに……嗤う。
嘲笑う。
キチキチと。
ギチギチと。
自分たちを見下ろす上位者たちの鳴き声が、圧倒的な絶望として、タウロドンの全身に降り注ぐ。
(だれ……か……だ、れでも、いい、から……たすっ、け……て……おびい、さん……)
そうした青年の、言葉にならない叫びに。
本当なら誰にも届かないはずの。
助けを求める声に。
「……ぶッぎイいいいいいいいッ!!!!!」
応えたのは。
この場にいるはずのない、豚鬼の雄叫びであった。
【作者の呟き】
念の為に断言しておきますが、牛鬼くんはヒロイン枠ではありませんよ?




