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第一章 【05】 豚鬼②

 〈ヒビキ視点〉


 少なくとも。


 息子である、ヒビキにおいて。


 前世の母親は、良き母親ではなかった。


 それでも女としては、優れているようであり。


 見目がよく、体型も男好きのするものであったようで、何よりも彼女は、異性の関心を掴むことに長けていた。


 そんな女がヒビキが物心つく前に、父親と離婚して。


 片親シングルマザーとして、夜の店で働いていた。


 そんな母親の側には、いつも。


 不定期に入れ替わる、男の姿があって。


 彼女もまた、男からの関心がないと、生きていけない性分の女であった。


 そんな女が、ヒビキの実父と離婚してから数年度。


 再婚をしたときにできたのが、前世における、ヒビキの義理の妹であり。


 それから数年と経たず、離婚を繰り返した際に。


 女は養育費を目的として、義妹の親権を、実父から奪い取っていた。


『ヒーくん。アンタがおにーちゃんなんだから、ちゃんと妹の面倒くらい見なさいよね』


 当時のヒビキと義妹の年齢は、十二歳と四歳である。


 そして義妹の育児にはほとんど関心を持たず、生活費を稼ぐためといってふたたび夜の世界へと舞い戻っていった母親に代わりに、ヒビキは己の青春を犠牲にして、彼女の育児に費やした。


 部活動には所属せずに。


 学校が終わると、保育園に直行して。


 母親から与えられる頼りない生活費をやりくりしながら、家事を行い。


 周囲に頼れる知人や親戚がいなかったため、なんとか購入してもらったスマホで情報を漁りながら、一生懸命に、母親から与えられた役割を全うしようとしていた。


 何故ならこのときのヒビキはまだ、信じていたから。


 母親という、自分にとって唯一絶対である存在を。


 子どもらしい純粋さで、信じようとしていたから。


 自分は役に立っている。


 自分は必要とされている。


 自分はちゃんと愛されている。

 

 そう……信じて、縋り付きたかったら。


 だから母親の理不尽な要求にも耐えたし、たびたび暴力を振るわれても、その側を離れることはしなかった。


 そんなヒビキの転機は、彼が二十歳になった頃。


 ヒビキの献身もあり、来年には中学校に進学するまでに成長した義妹は、義兄の欲目を抜きにしても、非常に美しい少女へと成長していた。


 この頃には少しでも自分たちの生活を安定させるために、高校卒業と同時に就職して働き始めていたヒビキであるが、そんな自分に随分と懐いてくれた義妹とは、たとえ血が繋がっていなくても、肉親以上の家族の情を育んでいると、自負していた。


 そんな大事な、ヒビキの義妹に……


 最近では著しく入れ替わりの激しくなった、母親の彼氏が、目をつけた。


 とある日の、午後である。


 たまたま現場の不具合トラブルでヒビキが早上がりをして家に戻ると、幸か不幸か、義妹に暴行を加えようとしていたらしい男と、必死で自分の名を呼ぶ少女の姿を目の当たりにしたのだった。


 それから後のことを、ヒビキはよく覚えていない。


 聞くところによると自分は問答無用で母親の彼氏をボコボコの血祭りにしたあとで、なんとか間一髪で窮地を免れた義妹を保護したのちに、警察に通報を入れたのだという。


 そのあとで……遅れて、事件を知った母親から。


 ヒビキは信じられない言葉を聞いた。


『お前なんて、産まなきゃ良かった!』


『そのブスも、ガキのクセに、人の男に色目を使いやがって!』


『お前たちのせいで、アタシの人生は滅茶苦茶だよ!』


 そこで……ようやく。


 ヒビキは、母親に見切りをつけた。


 母親『だった』女から、甘い幻想を捨てて。


 合理的に、それを見限ることができたのだ。


 そして悟る。


 たとえ親でも、子でも、人は人。


 賢い人間は賢く、愚かな人間は愚かであり。


 そこに『家族だから』という、盲目的で絶対的な信頼はない。


 望んだからといって与えられるような、無償の愛など存在しない。


 だから諦めるのだ。


 見限ったのだ。


 自分はもう母親などという肩書を、信用することはないのだ、と。


「べつにアンタが好き好んで、テッシンさんたちに付きまとうことまでは、止めやしない。そんな権限は、俺にはないからな」


 だからこそ、ヒビキは。


 過去の間違いを再び繰り返さないようにと。


 彼の人生において二人目となる、実の母親に向かって告げる。


「でも俺には、必要以上に干渉するな。関わってくるなよ、鬱陶しい。母親ごっこがしたいんなら、今度はちゃんと真っ当な方法で子どもを作って、そいつと子育てくれよ。でも俺にそれを求めてくるのは……はっきり言って、迷惑なんだ。気持ち悪い。四六時中ベタベタと付き纏いやがって、ホント、勘弁してくれよ」


「……ッ!」


 毒を吐く。


 言葉の暴力を振るう。


 ズキズキと、か弱い小動物をいたぶる、罪悪感とともに。


 事件のあとすぐに義妹を連れて別居したために、前世の母親にはついぞ言う機会のなかった鬱憤をぶちまけることができて、ヒビキの胸中に、甘い痛みが広がっていた。


(こんな子に八つ当たりするなんて……最低だな、俺)


 それでも言葉は止まらない。


 自省はしても後悔はない。


 何故なら、言葉そのものは本心だから。


 彼が今世の母親に抱く感情として、偽りなどないのだから。


「いいか? わかったらもう、できるだけ、俺には関わってこないでくれ。俺もできるだけ、アンタには関わらないようにするから。同じ共同体で生活する以上は、それがベストじゃなくてもベターだろ? いいな?」


 将来への計画性もなく。


 環境に対する配慮もなく。


 ただ『母親だから』という曖昧な理由だけで。


 誰も望んでいない子を産み、それを可愛がることで自身の欲求を満たそうとするだけの少女を、ヒビキは心の底から、軽蔑していた。


「……いや、です」


 だというのに。


 真っ向から叩きつけられるヒビキの本音に。

 

 可愛らしい顔を、グシャグシャに歪めて。


 紅玉の瞳からボロボロと大粒の涙を溢しながら。


 それでも白髪の少女は、懸命に、ヒビキの言葉に抗おうとする。


「わ、わだじわあ、それでも、ヒビキぐんの、ま、ママなんでず! わたじはぜったいにい、あなたを愛することを、やべば、ぜんっ!」


「……そっ。じゃあ、勝手にしろよ。俺は俺で勝手にするから」


 べつにヒビキとて、言葉だけで彼女を説得できるとは思っていない。


 どんなに賢者が正論を諭したところで。


 駄々をこねる赤子には無意味なことを。


 前世の経験として、知っているからだ。


(……まあ、こっちが無視し続けていれば、そのうち飽きて諦めるだろ)


 今回はこれ以上の会話は無用だと、割り切って。


 貫頭衣の側面でギュッと拳を握ったまま、あぐあぐと上を向いて涙を堪え、鼻を啜る少女をその場に残して。


 振り返ることなく、ヒビキは少女から、立ち去って行ったのだった。


        ⚫︎


 けれど……残念ながら。


 そうしたヒビキの見当は。


 それから一年以上が経過しても、一向に、叶う様子はなかった。



【作者の呟き】


 ママからは、逃れられない……っ!


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