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第三章 【18】 新生活⑤

〈ヒビキ視点〉


「ヒビキくんはちゃんと、頑張っています。この世界のみんながそれを否定したとしても、ママだけはちゃんと、それに気づいていますからね」


「……っ!」


 少しでも気を緩めてしまうと。


 たちどころに自己嫌悪に陥ってしまう、愚かな豚鬼に対して。


 いつだって。


 暗闇に差し込む陽光の如き、希望を授けてくれる少女は。


「……だからもうちょっとだけ、頑張りましょう? ヒビキくんがそれを望んでくれる限り、ママは絶対に、こんな魔法なんかに屈したりはしません。だから焦らなくていいのです。慌てる必要などありません。ヒビキくんはヒビキくんの歩調ペースで一歩ずつ、前に進んでくるのなら、ママにとってこれ以上嬉しいことなどないのですよ?」


 今回もまた、そう言って。


 陽だまりのように、優しく。


 微笑んでくれるのであった。


「……っ、ま、マリア゛ああああンっ! す、すまねえ! アンタのほうが俺なんかより何十倍も苦しんでるっていうのに、俺はまた、手前勝手な都合ばっかり並べちまって……っ! 俺は、俺はちっとも成長しない、愚図で間抜けな豚野郎だ……っ!」


「こらこら、だから自分を、そのように卑下するものではありませんよ? ヒビキくんはとっても頑張り屋さんなの、ママはちゃんとわかっていますから」


「……ぐふうっ!」


「だからもうちょっと、頭を下げてくれませんか? この体勢だと上手く、頭を撫でてあげられないのです」


 ほとんど動かせない右手を。


 それでも精一杯に、持ち上げて。

 

 柔らかな笑みを向けてくる少女に、強面こわもて豚鬼(オーク)がギョッと目を剥く。

 

「……っ! い、いや別に! 俺はもういい歳なんだから、そんな真似は――」


「……もう、ママに撫で撫でされるのは嫌なのですか? ママのこと、嫌いになってしまったのですか?」


「――ハイよろこんでえええええっ!」


 仮に世界中から、マザコン野郎の誹りを受けようとも。


 お日様のような笑みを、曇らせて。


 不安そうな表情を浮かべた母親を前にすれば。


 不出来な息子に、抵抗できる道理などない。


「……うふっ、うふふふふ……」


 条件反射で差し出された豚顔を、抱えるようにして。


 じつに幸せそうに、その頭を撫でる少女の瞳が……


「……大丈夫ですよ、ヒビキくん……ママがいつだって……いつまでも……ちゃんと、貴方のことを見守っていますからね……」


 じっとりと。


 昏く、深く、濃く、湿っていることに。


 柔らかな双丘で視界を塞がれている豚鬼が、気づくことはなかった。


 しばらくして。


「……ですがヒビキくん。あえて言わせてもらうならひとつだけ、ママは不満があるのですよ」


 たっぷりと、愛息子を撫で回したことで。


 脳内物質が大量に分泌されたのか。

 

 ツヤツヤモチモチの玉肌となったマリアンが、冗談めかした口調で、そんなことを言ってきた。


「……っ!? な、なんだよ、マリアン! 俺にできることならなんだって言ってくれ! アンタが死ねと言えば迷わず死ぬぞ!?」


「いや天地がひっくり返ったとしても、ママがそんな酷いこというはずがありませんよ。絶対に。そうではなくて……そう、まさしくそれです!」


「???」


「ねえヒビキくん。いったいヒビキくんはいつになったら、ママのことを『ママ』と呼んでくれるのですか?」


「ぶぎいッ!?」


 冗談めかしてはいるものの。


 問いかけてくる瞳には、普段の彼女からは感じられない『凄み』が宿っていた。


 これは逃げられない。


 生物の本能として直感的にそれを悟った豚鬼は、観念して。


 大人しく彼女の要求に、従おうとはするものの……


「……ま」


「ま?」


「……ま……まっ……まあ……っ!」


「んん、惜しい! あとちょっとです! がんばってください! フレー、フレー、ヒビキくんっ♡」


 いかに敬愛して尊敬して崇拝する母親からの、要望とはいえ。


 今世と前世を足して、三十路を迎えた精神年齢を有する豚鬼にとって。


 その呼称は、あまりにも。


 敷居ハードルが高過ぎた。


 人を見た目で判断するつもりはないが。


 それでもこの場合、相手の見た目が十歳ほどの、天使の如き美少女であり。


 自分の外見がじきに身長百八十センチを超えそうな、巨漢の凶悪な面構えをした豚鬼だというのも。


 客観的に見て、著しく犯罪臭を高めてしまっている。


 前世基準でいえば間違いなく、豚箱確定の所業だ。


 とはいえマリアンからのお願いを断れるヒビキなど存在しないため。


 極限の葛藤のなかで。


 彼にできることいえば……


「……ま、まままっ――」


「まっ? まままっ? ママですか? ママはここですよ〜っ♡」

 

「――マリーっ! こっ、これでどうですか!? もうこれで勘弁していただけませんかねえ!?」


 あくまで『特別な呼称』を求める彼女に対して。


 ありきたりな『愛称』を、定める程度のものであり。

 

「……」


 そうしたあからさまな、豚鬼の『逃げ』に。


 如何なる感情が去来しているのか。


 じっと紅瞳を見開いて。


 臆病チキンな息子を見上げていた母親は……


「……ふ、ふへへへ」


 ふにゃんと、相好を崩して。


 だらしのない笑みを、浮かべてくれたのだった。


(……んんん、セーフかコレっ!? セーフでいいよなっ!?)


 自分としては精一杯の誠意を見せたつもりのヒビキに向けて。


 頬をトロトロに蕩けさせたマリアンが、改めて声をかけてくる。


「ああ、嬉しい、嬉しいですヒビキくん……そんなふうにママのことを、呼んでくれるだなんて……もうママは、嬉しくて、嬉しくて、嬉し過ぎてっ……」


「……?」


「……ゴフッ!」


 そして吐血した。


「うおいっ!? だ、大丈夫か!?」


「ちょ、ちょっと嬉しすぎて、このまま逝っちゃいそうなので、ごめんなさいヒビキくん、先生を呼んでもらっていいですか……?」


「マリアアあああああン――っ!?」


「……あ、そこは訂正してください。大事なことなので」


「マリいいいいい――っ!?」


「……がくっ」


 丁寧に、擬音を口にしながら。


 脱力したマリアンを、寝台に横たえて。


「せ、先生! お願いします! マリーが限界みたいです!」


「……な、何事ですカ!? 容体が急変したのですカ!?」


「いえ、どうやら燃え尽き……いや、萌え尽きたみたいです!」


「……っ!!?」


 慌てて部屋の外に飛び出した、豚鬼の説明に。


 マリアンの主治医である老齢の治癒士が、頭上に大量の疑問符を浮かべたのだった。


【作者の呟き】


 ママが病弱属性を獲得しました。


 これによって能力が激減しますが、息子による手厚い看護を受けられるので、ママ的には大幅にプラスです。

 

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これでマリアンをマリー御大と呼べる…! >「いえ、どうやら燃え尽き……いや、萌え尽きたみたいです!」 www
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