第二章 【12】 オビイ④
〈オビイ視点〉
『――失礼を承知で、ひとつだけ、確認させてください』
それまでの前置きを、まるで無視した。
無礼が過ぎる豚鬼の発言に。
『――なんぞ、申してみよ』
当然のことながら。
場の空気が、凍りついて。
(おい馬鹿ッ……いったい、何を口にするつもりだ!?)
生唾を飲んだオビイが、心中で狼狽してしまうものの。
『――マリアンは、無事ですか?』
放たれた、その言葉は。
その場にいたすべての女たちにとって、予想外のものであった。
『――この場にいない、俺と一緒に転移してきた女性……マリアンは、無事なんですか?』
重ねて、臆面なく。
そんな言葉を口にする豚鬼に対して。
『――あやつは、おぬしのなんなのぢゃ?』
毒気を抜かれて。
むしろ興味を覚えたのか。
『――恋人か? あるいは愛玩奴隷や、孕み奴隷などとでも言うのかえ?』
『――いいえ。彼女は俺の、母親です』
問うた女族長にも、豚鬼は胸を張って、堂々と答えるのみ。
(……ッ!)
その、あまりにも確固たる。
自信と誇りに満ち溢れた、少年の言動に。
胸を強く揺さぶられたのは、おそらくオビイだけではなかったはずだ。
なにせこのタイラナ大陸においては排他的に扱われている、只人という人種において。
基本的に全ての能力値が、他人種に劣るとされる彼らの。
数少ない長所として、挙げられるのが。
優れたその『繁殖能力』である。
なにせ、多種多様な人種が混在する、アドラスタにおいては。
大半の人種が、同種族に惹かれる傾向があるものの。
他種族の異性に惹かれる者もまた、少なくはない。
そうして想いを通じ合った他種族間の恋愛に事情において、特に大きな問題として挙げられるのが、性交による着床率であり。
もちろん、問題のない場合もあるが。
一部の組み合わせにおいては、非常に子宝に恵まれにくい場合があることは、公然の事実である。
そのほかにも彼我の魔力量の寡多や、体質、あるいは男性や女性しか産まれない種族特性などと、両者がそれを望んでも子宝に恵まれない事例は、枚挙に暇が無い。
それらの解決策として。
魔法薬の使用や、天聖樹を用いた代理出産などと並んで有名なのが、只人の胎を用いた子作りであり。
どんな種族が相手でも一定の適応値を示し、さらには高い割合で相手の種族特性を引き継ぐ子を宿すとされる只人の胎は、それらが奴隷階級として扱われる国においては、一般的な種族の存続手段として、公に認知されている。
とはいえ、そうした代用出産の理解を得られるのは。
あくまで各々の体質的な事情や、文化による問題を抱えていることが、前提であり。
彼のような豚鬼……つまり男性しか産まれず、代わりにどんな相手でも高い確率で着床を可能とする種族特性を有した人種が、只人の母親を持つ理由など、その父親が弱者を使い潰した結果だと、公言しているに等しかった。
それ以外にも、様々な理由から。
只人の胎から産まれた人間は、各々の事情からその出自を恥じたり、隠したりすることが、珍しくはないのだが……
『――あの人は……マリアンは、この世界でもっとも尊敬する、偉大で素晴らしい、俺の母親です!』
そのような世間の認識など、一切合切無視して。
彼女の息子であることに、後ろめたい感情など微塵もなく。
むしろ誇らしげに語る、豚鬼の姿は。
(なんと……気高く、美しい……っ!)
女性しか産まれない、女蛮鬼という人種だからこそ。
父親を敬う気持ちはあるものの。
母親という存在に、とりわけ強い憧憬や矜持を有する女たちにとって。
そうした豚鬼の言葉は、強く、胸に響いてやまないものであった。
当然のことながら。
『――くっ、くかかかかっ! そうかそうか、そうまで見事に言い切るか! いや天晴れ! じつに見上げた、心粋ぢゃわいっ!』
自分と同じ感情を抱いたのであろう。
上機嫌に膝を叩いて笑う女族長が、その後あからさまに態度を軟化させたことは、非常に納得のいくものであるし。
『――それでおぬし、名はなんと言うのぢゃ?』
『――ヒビキです。ヒビキ・ライヅと申します』
そのように己の胸を熱く打った、男の名が。
自分の敬愛してやまない男と、同じものである事実に。
一層激しく、胸がときめいた。
あるいはそれを、人は運命と呼ぶのかもしれない。
などと、浮ついたことを考えてしまう程度には。
その時にはもうすでに、彼という存在は、オビイの中で特別なものへと昇華してしまっていたのだった。
『――本当に、重ね重ね、申し訳ありませんでしたあああああっ!』
それらからさらに、言葉を重ねて。
オビイが自らの素性を明かしたことで。
父親の縁者である豚鬼は物凄い罪悪感を抱いてしまったようであるが……
すっかり茹で上がってしまっていた、女蛮鬼としては。
もはや、それどこではない。
(……いやいや、そのように潤んだ眼差しを、向けてくれるな! わざとか!? わざとやっているのか!?)
普段は強面の男が、自分だけに向けてくれる情けない表情というのも、それはそれで乙なものだという事実を、このとき少女は初めて実感していた。
ゆえに無言のまま、懸命に表情筋に力を入れて。
崩れそうになる顔を引き締めるのに、必死である。
『――とまあ、ヒー坊の言い分は以上のようぢゃが、オビイよ。それを踏まえたうえでおぬしのほうから、なにか言い分はあるかえ?』
底意地の悪い、女族長などは。
そうした少女の機微を、目敏く察して。
会話の矛先をこちらに向けてくるものの。
『――いや、いい。オレから言うことは、特にない』
扱い慣れない感情によって、鼓動を暴れさせるオビイとしては、もう、まともに会話などできる状態ではない。
普段以上に、言葉足らずに。
ぶっきらぼうに。
そう答えるだけで、精一杯だった。
だけどそうした自分の態度を、彼はまたしても、誤解したようであり。
『――いや、いやいや、それはダメですよ、オビイさん! 俺なんかと口も利きたくないって気持ちはわかりますが、それでも貴方には、俺を罵る権利がある。覚悟はできていますから、どうか気が済むまで、叱責してください!』
なんとか謝罪の意思を伝えようと。
誠心誠意を込めた眼差しを、熱烈に向けられたところで。
『――だからそのようなものは、不要だと言っている。オレ個人の瑣末な感傷など、捨て置いてくれ』
所謂『好き避け』状態に入ってしまったオビイがそれに、真正面から応えられる道理がなかった。
ただギュッと、眉根を寄せて。
今にも崩壊しそうな表情を保ちつつ。
己の経験不足、不甲斐なさを自覚してしまった少女が。
それでも相手に無様を悟られたくなくて、なんとか懸命に感情を押し殺そうとしていると。
『――だ、だったら! せめて俺のほうから、謝らせてくださいよ!』
などと。
罪悪感が限界突破してしまった様子の豚鬼が。
床に額を押し付けながら。
『こんなこと、俺に言う資格がないのはわかっていますが……それでも、謝らせてください、オビイ・メラ・ライヅさん! 本当に、申し訳ありませんでした! 貴方の父親と、思い出に、俺は取り返しのつかないことをしてしまいました! 俺になんかできる償いであれば、なんだってします! だからお願いです、オビイさん。俺に、贖罪の機会を与えてください……っ!』
『――な、なんでも、だと……?』
『――はいっ! 俺にできることなら、なんでもさせていただきます!』
威勢よく口にした、その宣言に。
オビイの心臓が暴れ馬の如く跳ねてしまったのを、責めるのはあまりに酷というものだろう。
どう考えても、彼が悪い。
もう完全に、誘っているとしか思えない。
この豚鬼、誘い受けが強過ぎる。
いっそこのまま襲ってしまうかと、などと。
胸中から湧き上がる非常に女蛮鬼らしい欲求を前にして、オビイが葛藤していると。
『――と、とまあ、ヒー坊は猛省しておるようぢゃが、オビイや、おぬしは如何するのぢゃ?』
それら、全てを見透かして。
笑いを堪える女族長の発言によって。
なんとか正気を、取り戻すことができた。
『――オビイで、いい』
そしてギリギリでは、あるが。
彼の誠意を正しく飲み込むことに成功したオビイは。
『――お、オレも貴様を、ヒビキと呼ばせてもらうが、構わないな?』
やはり真摯に。
こちらを見つめる、豚鬼に対して。
『――だったら貴様も、敬語はやめろ。仮にもお前は、御父上に認められた、戦士なのだろう? ならば御父上に未だ戦士として認められていないオレに、敬語など不要だし、名前も呼び捨てにすればいい』
『――で、ですが俺は貴方に、とんでもないことを――』
『――それはオレが、決めることだ。お前が勝手に背負うものではない』
という譲歩を、矢継ぎ早に示したところで。
文字通り、精魂尽きてしまったのであった。
⚫︎
それから、日にちを跨いで。
こうして腕試しの場に現れた彼が魅せる、漢気を目の当たりにすることで。
(……頑張れ……頑張れ、ヒビキ)
豊満な胸部を支えるようにして組んだ、両腕の内側。
ドクンドクンと跳ねる、鼓動の意味を。
初心な少女が自覚するのは、もう少し先の話である……
【作者の呟き】
ママ「お? おっ?」
作者「ステイ、ママ、ステイですよ!」




