第二章 【10】 オビイ③
〈オビイ視点〉
時間を少しばかり、遡って。
「おいおい、まだ始めないのかよ」
「いったいいつまで待たせる気だ?」
「っていうかあの暴牛が、ちゃんと大人しく待ってるのがウケるんですけど」
「そりゃあれだけのイケメンが相手なら、流石の大戦士サマも遠慮するって」
「これからそれをムチャクチャできるんだから、むしろ空腹のスパイスくらいに考えてるんじゃないの?」
「あー、勿体無いなー」
「ウチと変わってほしー」
本日も快晴となった、エステート大森林の一角において。
ちょうど朝と昼の中間にあたる、午前中の頃合いに。
本来であれば大半の女蛮鬼が各々の責務である魔獣狩りを果たすため、森に赴いている時間帯であるが。
本日ばかりは多くの女たちが狩りを切り上げて、野次馬として、森里の中心部にある訓練場のひとつに群がっていた。
そうして、好奇に満ちた衆目を集めるのは。
ここ数日ほど彼女たちの間で話題の絶えなかった、豚鬼の少年であり。
これまでずっと女族長のもとに匿われていた彼がようやく姿を現して、そのうえ森里でも有数の強者として知られる大戦士と対人稽古を行うことで、その力を示すというのだ。
強さを至上とする女たちが、これに食いつかないはずがない。
善戦して、その力量を示すにしても。
敗戦して、蹂躙されるとしても。
その姿を一目見ようと集った、女蛮鬼たちの最前列に。
「……」
燃えるような赤髪の少女、オビイの姿があった。
「……むー。どうやら皆さんの下馬評としては、アイツが不利のようでありますね」
そうして、無言のままに。
豊満な胸を支えるようにして腕を組む、赤髪少女の傍には。
彼女に身を寄せる、おさげに結った黒髪を左右から垂らした、焦茶肌の少女の姿があった。
肉体美を誇りとするため、露出過多となる女蛮鬼の民族衣装とは異なって。
こちらは肩から膝下までをすっぽりと覆う、袖なし貫頭衣型の獣皮服である。
頭から鬼角こそ生やしているものの、大きな垂れ型の瞳に戦士としての覇気はなく、身体にも階級を示す刺青は刻まれていない。
オビイよりも尖った耳の形から、彼女には鬼人でありながら精人としての血が濃く反映された、森鬼であることが見てとれた。
「……シュレイ。お前も、そうように見えているのか?」
「正直、隷妹に過ぎないシュレイに、戦士様の実力はわからないのでありますが……」
自らを隷妹と名乗る、焦茶肌の少女は。
その言葉通り、戦士として森に赴き、狩りを生業とする立場の人間ではない。
彼女のような隷妹、あるいは隷夫とは、エステート大森林における強者として知られる女蛮鬼に仕え、炊事や洗濯などの身の回りの世話を代替することで、その庇護下に入ることを許された人間を指す言葉である。
なにせ大陸有数の大国である、鬼帝国の領土において。
一定の自治権を与えられたこの大森林に、居を構える者たちは、数多くいるが。
そのすべてが戦闘に適した能力を有しているとは、限らない。
そうした者たちを守り、育て導くこともまた、強者の責務であると自負する女蛮鬼たちは、戦士階級以上の者は、立場に見合った隷妹や隷夫を養うことが慣例となっていた。
森里の戦士階級であるオビイもまた、例に漏れず。
二年前に、魔獣を狩ることで一族の戦士として認められ。
今年で齡十六を迎えた赤髪の少女が、それからずっと生活を共にしているのが、この二歳年下となる隷妹のシュレイであった。
「……ですが個人的な意見を述べさせていただくなら、あの不届者は、ぎったんぎったんに叩きのめされてほしいところでありますね!」
ただし普段は温厚な性格であるはずの、シュレイの顔には。
その可愛らしい造形を歪めるほどに。
ありありとした、不満の色が浮かんでいた。
「……お前は、アイツのことが嫌いなのか?」
「もちろん、大っ嫌いでありますよ!」
主人からの問いかけに。
即答したシュレイが、声を荒げる。
「あのような、女湯を覗き見して、あまつさえお姉さまの玉体を視姦した豚野郎など、容赦なくボコボコにされればいいのであります!」
多くの隷妹がそうであるように。
仕える主人を『姉』と呼ぶ少女は、どうやら豚鬼が過去に行った所業が、相当腹に据えかねているらしい。
「それはまあ……あちらにも、やむを得ない事情があったのだから、少しくらい大目に見てやれ。少なくともオレは気にしていない」
「どのような事情があるのか存じませぬが、お姉さまは甘過ぎるのであります!」
オビイやレイアといった、三日前の対談に参加して者たちを含む、一部の者たちには情報共有がされているものの。
件の豚鬼は、あまりに特異な生い立ちで。
背景も特殊であるために。
種婿の関係者であるということ以外、ほとんどの者には、その素性が伏せられたままである。
それゆえに。
シュレイからしてみれば姉と慕う少女の裸体を盗み見され、あまつさえ父親との大切な思い出を滅茶苦茶にした豚鬼に対する憤りは、軽減などされるはずもなく。
ただ種婿の、縁者であるという理由だけで。
女族長に手厚く匿われていた、素性のわからない豚鬼に抱く彼女の憤りは、至極当然であるといえた。
(でも……オレの一存で、勝手にアイツの正体を公言するわけにもいかないしな……)
そもそもからして。
口下手な自覚がある、オビイである。
言葉で、口達者な妹分を説得できるとも思わない。
だから苦肉の策として。
少しばかり無理を押してでも。
隷妹である彼女を、わざわざ戦士たちの集う訓練場に連れてきてまで。
直にその姿を見せることで、少しでも、その溜飲を下げようと試みたわけであるが……
どうやらそれは、逆効果となっているようだ。
「まったく、皆様方はあの上っ面に、騙されているのでありますよ!」
先ほどから、ガヤガヤと。
不満混じりではあるものの。
女蛮鬼から少なくない黄色い声を向けられている豚鬼に、焦茶肌の少女はより一層に、厳しい視線を注いでいた。
「お姉さまも! 敬愛される父君の縁者である相手に、遠慮する気持ちは理解できるのでありますが、それでも見た目に絆されて手心を加えるなど、勇猛な女蛮鬼にあるまじき行いでありますよ!」
「べ、べつにオレは、そのようなつもりなどないのだが……」
「嘘でありますね! 堅物のお姉さまが、裸を見られたのにそれを受け入れているのが、動かぬ証拠でありますよ!」
「いや堅物って、そんなことは……」
「でしたらいい加減、男を迎えても良いのであります! 戦士でありながら処女の女蛮鬼なんて、お姉さまぐらいのものなのでありますよ!?」
「……ぐう」
それを指摘されうと、困ってしまう。
一般論として。
性欲に対して非常に素直である、女蛮鬼は。
一人前となる戦士として認められると同時に、森里を訪れた冒険者や、自らの隷夫などを使って、その有り余る情欲を発散させるのが通例である。
だが異国のサムライ大将である男を、父親に持ち。
敬愛する彼の祖国の文化に強い影響を受けて育ったオビイは。
一般的な女蛮鬼とは、少々異なった価値観を有していた。
「いやだって……オレは、オレよりも弱い男に抱かれたくはないし、抱きたくもない……」
「でしたら! それこそ種婿様に、お相手をして貰えばいいのであります!」
「そ、それは……その、なあ? せめて最初は、自分で選んだ相手と契りたいというか……」
「あああ、面倒臭いでありますね! なんでありますか、その女蛮鬼らしくない、処女特有の拗らせた願望は!? 贅沢言ってないで、とっとと名実ともに一人前の女になってほしいのであります! シュレイがどれだけ周りの隷妹たちの陰口に耐え忍んでいるのか、お分かりでありますか!?」
「そ、それは……すまない……すまないとしか、言えない……」
戦士には戦士の。
隷妹には隷妹の。
価値観や交流というものがあって。
戦士としての証は立てていても、女性としての階段を未だ躊躇しているオビイを、周囲の者たちが奇異の目で見ていることは、自覚している。
むしろ、なまじ戦士として優れているぶん、尚更に。
その隷妹であるシュレイが余波を受けていることに。
主人としては、恥じ入るばかりであった。
「まったく、謝るくらいなら、いつまでも寂しく手慰みなどしてないで、さっさと婿殿を迎えてほしいものであります!」
「……」
こうなるともう、何を言っても藪蛇だ。
反論を諦めたオビイは、口を閉ざして。
ようやく動き始めた、訓練場の二人に視線を向けた。
(……婿殿、か)
とはいえ、だ。
シュレイにああは言ったものの、いずれ自分も、女蛮鬼としての本懐を果たすため、異性を受け入れる日が来るだろう。
であるならば。
相手は一体、どのような人物になるのだろうかと、考えないわけではない。
結論としては。
(オレは……強い男に、抱かれたい……できれば、父上のような……)
少々父性愛を拗らせているものの。
彼女がそのような想いを抱くようになった経緯にも、釈明の余地があった。
なにせオビイを腹に宿した彼女の母親は、かつてそれに気付かぬまま遠征先の大和国から帰国して、この女蛮族の森里で自分を産み育てたという経緯を持っている。
だからこそ。
遡ること、今から八年以上も前に……
とある目的のために祖国を出立した、テッシン一行が。
たまたま道中にあった、この大森林に立ち寄ることで。
ようやく晴れて、親子としての面識を持ち。
それから半年ほどではあるが、彼と家族としての時間を過ごすことができたために、オビイは父性に飢えていた己の本心に気づき、その存在に強烈に心を惹かれてしまったのだった。
それゆえに。
オビイに武人としての、手解きをして。
森里に友好の証として、天聖樹を贈与したテッシン一向が、大森林を去った後も。
娘の中には未だに、父親への憧憬が強く宿っており。
彼女が異性に対して求める基準が異様に高い理由も、これに起因していた。
(……少なくも……父上に、認められるような男でなければ……オレは到底、受け入れられないだろうな)
そして、如何なる数奇な運命の導きからか。
まるで、この地を去った父親からの。
贈り物とでもいうように。
自分でも半ば諦めかけていた存在が、今こうして目の前にいることを自覚して、少女の鼓動がトクンと跳ねる。
「……」
「……っ!」
緊張すると強張ってしまう、頬に差した朱色を。
傍らの隷妹が、険しい顔で睨みつけていることにすら、女蛮鬼は気付いていない。
視線はただ、ひたすらに。
一人の豚鬼に注がれていた。
「……準備ができたんなら、そろそろおっぱじめるとするかい?」
「……はい。それではよろしく、お願いします!」
距離を置いて聞こえる、大戦士と豚鬼の会話を耳にして。
自覚のないままに。
少女の掌が、ギュッと握り込まれたのであった。
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