第一章 【03】 目覚め②
〈ヒビキ視点〉
「ぶはははは! そ、それはそれは、大変に、難儀で御座ったなあ!」
「ぷぎっ! ぷぎいっ!」
「そうですよテッシンさん、笑い事ではありません!」
時間にして十分ほど。
屈辱と安堵の二律背反によって。
情緒が粉々に粉砕された、食事の後で。
遅ればせながら。
薄い胸元に抱いていた、ヒビキの言動に。
違和感を覚えてくれたらしい、少女は。
すぐにその内面に起きた、変化にも。
気づいてくれたようであった。
あわあわ。
わたわた、と。
慌てながら、貫頭衣を、頭から被ると。
自分たちが寝泊まりしていたらしい野営天幕から、飛び出していき。
すぐさまこうして、新たな人間たちを。
引き連れてきたのであった。
「がっはっはっはっ!」
そのうちの一人が、目の前で。
呵呵と笑う、壮年の男性である。
自らを『テッシン』と名乗った、身の丈が百九十センチを超える、大男は。
ヒビキの記憶においては。
戦国映画や時代劇などに、登場する。
和風の軽装鎧を、全身に装備していた。
「いやあ、失敬失敬」
そんな大仰な姿をしたテッシンが。
手頃な倒木に、腰掛けていており。
今のヒビキは、その膝上に乗せられている。
「んもう! んもう!」
さらに、その傍に腰掛けた白髪少女が。
爆笑する大男に、口先を尖らせながら。
ぷりぷりと文句を言っている、という構図であった。
「いや、しかしマリアン殿。これはむしろ、喜ぶべきことでは? 現世に召喚された『魂』が、ようやく『器』に馴染んだのだ。おぬしとてそれを、心待ちにしておったでは御座らんか」
「いやそれは! その通りですけれども!」
ぶんぶんと。
両手を上下に、振り回して。
荒ぶる少女の、不服げな視線は。
テッシンに背中を支えられて、なんとか姿勢を保っている。
膝上のヒビキにも、注がれていた。
「……ですがそのせいで、ママのおっぱいを吸ってくれなくなるとか、あんまりではありませんか!? それに私が抱っこしようとすると、ものすごく抵抗しますし! なんでテッシンさんなら良くて、ママだとダメなんですか!? 理不尽過ぎますよおっ!」
たとえ、どれだけ涙目で。
不満をぶつけられようとも。
「ぷぎい! ぷぎい!」
喃語じみた、鳴き声で。
抗議する、ヒビキの意思は固い。
(もういやだ! もうオギャりたくねえ! 絶対に俺を離さないでくれよ、テッシンさん!)
断固として、大男の膝上から。
少女の膝上へと、移動を拒む。
頑なな態度の、ヒビキを前にして。
「ほっほっほっ。それはまあ、致し方ありますまいて」
長い白髭を扱きながら。
テッシンの言葉に同意するのは。
仙人然とした格好の、老人であった。
「ハクヤさん!? 仕方がないって、どういうことですか!? わ、私、ママとして、何か悪いことやっちゃいましたか!?」
「いえいえ。左様なことは、ございませんんとも」
少女から『ハクヤ』と呼ばれた、白髭白髪の老人は。
好々爺の面持ちで、目を細めながら。
滔々と、動揺する少女に語りかける。
「なにせそちらの御仁……『器』には、貴方のお話が確かなれば、異なる世界から招かれし異邦人の魂が、宿っておられるのでしょう?」
「え、ええ、そのはずですが……」
「であれば、異なる世界の理で生きていたとはいえ、同じ人族の、それも成人男性。いかに食事のためとはいえ、好んで母親の胸に飛びつくような、恥知らずな真似など、軽々に行えますまいに」
どうやらこの、浮世離れした雰囲気を漂わせる、老人は。
外見年齢相応に。
まともな倫理観を育んできた、御仁であるらしく。
「ぷぎー! ぷぎー!」
ハクヤの言に『そうだ! そうだ!』と。
ヒビキが、不自由な言葉ながらに。
激しく、同意してみせた。
「そんなっ! 私はヒビキくんが相手なら、おじいちゃんになっても、一向に構いませんよ!?」
すると少女が、本気の涙目で。
重たくて気持ちが悪い発言を。
真顔で、放ってくる。
「……ぎいー」
そんな自分の姿を。
ちょっぴり、想像してしまって。
本気で萎えてしまう、ヒビキであった。
「……マリアン殿。それはもはや、特異な妖怪です。そのような邪悪、むしろ早急に、退治すべきかと」
「カエデさんまで!?」
ヒビキとしては、不徳が過ぎる。
妖怪『乳吸い爺』なる存在は。
「な、なんでですか!? 可愛いじゃないですか!? 幾つになっても慕ってもらえるだなんて、ママとしては、本望でしょう!?」
驚きに目を見開く、少女の感性が。
やはり少々、特殊なようで。
「……申し訳ございません。拙はいまだ、子を身籠った経験がないゆえ、その境地には至れませぬ」
やんわりと、言葉を濁した。
少女から『カエデ』と呼ばれる、独特な黒装束に身を包んだ女性のほうが、一般的であるようだった。
(良かった……見た目が『アレ』だから、ちょっと身構えてたけど、中身というか感性は、俺とそう変わんねえんだな)
ちなみに、である。
質素な着流しを纏う、仙人然とした老人……ハクヤの、両耳は。
長笹のように、左右に伸びて。
柳のように、垂れており。
赤黄色の髪を短く切り揃えた、二十代前半ほどの女性……カナデの頭部には。
ピンと、ふたつの狐耳が直立して。
クノイチめいた黒装束の、尻部からは。
モフモフとした、見事な狐尾が生えていた。
(そりゃ、人種は違うとはいえ、おんなじ『人族』だもんな。俺の世界でいう、白人や黒人みたいなもんなのかねえ)
先ほど、ヒビキと対面するなり。
先んじて、自己紹介をしてくれた、老人と女性は。
それぞれ自らを、精人に獣人であると、名乗っていた。
「がっはっは! そういえばカエデにはまだ、子はおらなんだな! なれば母親の境地に至れずとも、致し方あるまいて!」
「……面目ございません、お館様」
「まあそう畏まらずとも、女子であれば、いつかわかる日が来ようとも! それまで精々、精進せよ!」
「はっ!」
そして、ヒビキの価値観では。
女性侵害待ったなしの発言を。
カナデに向けて、堂々と宣う大男……テッシンも、また。
左右の額から、角を生やして。
口元に、鋭い鬼牙を覗かせる。
この世界においては、鬼人と呼ばれる人種なのだと。
「ふふんっ♪」
テッシンの発言に。
何故かドヤ顔を浮かべた少女。
白髪紅瞳という、先天性白皮症めいた、個性を除けば。
この場では唯一、ヒビキとしては違和感のない見た目をした只人の少女……マリアンが。
得意げに、語っていた。
(……はあ。もういい加減に、認めなきゃなんねえよなあ……)
目の前にこうして、ずらりと居並ぶ。
ヒビキの『前世』では、あり得ない。
多種多様な人種も、さることながら。
先ほど少女が披露した『魔法』に加えて。
自らの身に起きた『現状』を、鑑みても。
ヒビキはすでに、ここが『異世界』であることを、疑ってなどいなかった。
(だってなあ……)
というか。
そもそも、である。
こうして、テッシンに背中を支えてもらわなければ安定しない、不安定な身体といい。
紅葉のような。
いっそ玩具のような。
頼りない、両の手のひらや。
呂律が回らなくなった舌先に。
歯茎に埋まった乳歯の感触と。
以前よりもあきらかに回復した、視力などに加えて。
さらにはつい先ほど、少女の大きな紅瞳に映り込んでいた、己の姿など。
それら、全ての情報が。
ひとつの解答を、示していた。
すなわち。
(……なんか俺、転生、しちゃってるんだもなあ……)
異世界転生。
どうやら自分は。
いつの間にやら。
前世ではありふれていた、娯楽物語の登場人物へと、生まれ変わっていたらしい。
⚫︎
そのような。
様々な人種が存在する、異世界にて。
転生したヒビキの精神が、今世における肉体で、覚醒を果たしてから。
一年ほどが、経過していた。
やはり一口に。
人族という枠で、括られているとはいえ。
鬼人や精人、獣人といった、人種ごとに。
その特性や特徴などが、多岐に渡るため。
こちらでいう只人しか存在しなかったヒビキの前世とは、ずいぶんと常識や法則が、異なっているようである。
実際に、ヒビキ自身が。
転生してから二年ほどだが。
外見は只人換算で、すでにその倍ほども、成長していた。
今のヒビキの肉体は、四歳児相当であり。
生来の、頑健な人族ということもあって。
すでにもう、他人からの補助がなくとも。
自らの足で歩き回れるようになっている。
それゆえに。
「……うう……ヒビキくんがまた、ひとりで勝手に……ママの手を借りずに……歩いて……こんなところまで……」
背中に。
じっとりとした視線を、感じつつも。
「……」
ろくに、身動きすら取れなかった。
転生直後においては、常時。
密着した超至近距離から。
視線を浴び続けて。
こうして自力で、移動できるようになってからは、一定の距離を保ちつつも。
ほぼ二十四時間体制で。
完璧な見守り行為を続けている。
過保護が過ぎる、少女の存在を。
「……」
もはや、すっかり慣れてしまい。
平常運転と化しているヒビキは。
いつものように、無視をして。
鬱蒼とした木々が生い茂る、森の中を。
自由気ままに、散策していた。
「……しくしく……もうママは、ヒビキくんにとって、いらない子なのでしょうか……?」
「……」
また、前世の記憶を引き継いでいるためなのか。
あるいは赤子ならではの、学習能力だったのか。
とにかく、覚醒した直後から。
こちらの世界の言語を、自然と理解できていたために。
未だ、舌先こそ覚束ないものの。
他者との会話も、ひとまず問題はない。
そのためヒビキは、この一年間を。
努めて、情報の収集と。
現状の理解に、充てていた。
その結果、分かったことといえば……
「……なあ、マリアン」
「はいっ!」
名を呼んだ直後には……シュバッ、と。
瞬間移動さながらの速度で。
目の前に、移動してきて。
「なんですか、ヒビキくん!? ママに何か、ご用ですか!?」
満面の笑みを、咲かせてみせる。
白髪紅瞳の少女……マリアン。
「……」
「……え? な、なんでしょうか、ヒビキくん……? そんな、見つめられちゃうと……ママ、照れてしまいますよお……っ♡」
こうして。
改めて、観察してみても。
やはり、天使という形容詞が。
過不足なく、相応しい。
極めて容姿が整った、非常に愛らしい見た目の、十歳程度の外見をした美少女である。
「やんやん♡ とっても恥ずかしい、ですけど……ヒビキくんがご覧になりたいのであれば、どうぞ、お気の済むまで、ご鑑賞ください! ママはとことん、付き合いますので!」
「……」
とはいえ、この世界には。
魔力という、前世にはなかった概念があり。
魔法という、超常現象が。
当たり前に、存在するため。
いかに只人の少女とはいえ。
外見年齢が。
実年齢に。
容易には、当てにはならない。
事実、マリアンの年齢は。
その幼い、見た目に反して。
軽く二十歳を、超えているようであった。
(魔力障害に、成長阻害か……)
それは魔力過多な人族に、稀に発生するという、魔力障害のひとつ。
ある時期を境として。
肉体の成長が、停止してしまう。
成長阻害の、結果であるとのことだった。
「ふふん、いかがですか? なにせママは、ヒビキくんの、ママですからね! ヒビキくんが恥ずかしくないように、最低限の身だしなみは、いつも整えているのです! ほらほら、髪だってちゃんと、サラサラでしょう? 昔みたいに、あむあむって、食べてくれてもいいんですよっ!?」
そのような理由から。
肉体的な成長が止まってしまった少女が。
繰り返し。
何度も口に、するように。
今世におけるヒビキの、正真正銘の『母親』であることは、間違いないのだろう。
(……っ!)
だからこそ、だ。
こうして、異世界に転生して。
意識を覚醒させた、直後から。
ヒビキの胸には、燻り続けるものがあった。
(なんでお前は、俺を……っ!)
それを直接、本人に。
ぶつけてやるために。
ヒビキはこうして、人気のない場所へと、マリアンを誘導していたのである。
「……なあ、マリアン」
「な、なんですか、ヒビキくん!? なヒビキくんのためならママ、なんだってしちゃいますよ!」
小さな、両の手のひらを。
薄い胸元の前で、握り締めながら。
むふーっと、鼻息を荒くする、少女に対して。
「じゃあさ、おねがいなんだけど……」
ヒビキは淡々と。
冷め切った声音で。
「……アンタさあ、もういい加減、どっか行ってくれよ」
冷淡に。
残酷な本音を、告げたのだった。
【作者の呟き】
〈悲報〉主人公、反抗期に突入!
でも大丈夫、作品紹介に偽りはありませんので、ご安心を!