第一章 【33】 雷鳴②
〈ヒビキ視点〉
「――チェストおおおおおッ!」
カッ……と、唐突に。
視界を貫いた閃光から、やや遅れて。
雷鳴の如く、森の奥から轟いてきた男の声は、ヒビキにとってじつに耳馴染んだものであった。
胸の奥から、泣きたくなるほどの安堵が溢れてくる。
「師匠っ!」
「応ともよ、ヒビキ! でかしたぞ!」
雷光を伴って推参した、鬼人の大男は。
抜刀した倭国刀を構える反対側の腕に、いつの間にか奪還したらしい、マリアンを抱えており。
ヒビキを庇うように背中を向けながら、弟子の声に嬉々と応じた。
「マリアン殿からの連絡を受け、少し前からこの場には到着しておったのだが……いかんせん、アレとマリアン殿が近すぎて、助太刀の機を伺っておったのだ。それを見事に引きつけた、天晴れな囮役であったぞ、ヒビキ!」
「ううん、褒められてるのか微妙ですが、ありがとうございます、師匠!」
おそらくは、ヒビキの危機を察して。
空間転移をしてくる前にマリアンは、自身の共鳴板を用いて、テッシンに異変を伝えていたのであろう。
その後、現場に到着するなり盛大に放っていた彼女の魔力波を頼りに、見当をつけた彼がここまで馳せ参じたのだろうと、推察ができた。
「……あ、ああああああっ! くそっ、ぼ、ぼくの腕があああああっ!」
一方で。
そうした鬼人の奇襲を受けた浄火軍の被害は、甚大であり。
相応の力量を有していた女騎士こそ、間一髪で奇襲を回避して、被害は刺突剣を握っていた右腕一本で済んでいるものの。
「……ゴフッ!」
「……え? なん、れえ……?」
彼女の援護に回ろうとしていた兵士と術者は二人とも、胴体を袈裟懸けに断たれていた。
数秒ほど遅れて。
自らの死すら理解できていなかった男たちの身体が、ゆっくりと傾斜して崩れ落ち、大地を赤く染めていく。
「……ひっ、ひいいい! な、なんなんだ、アイツは!? まだあんな仲間がいたのかよお!?」
戦場から一番距離を置いていた神官だけは無傷のようだが、テッシンの参戦に、すっかり萎縮している様子であった。
自ら展開した障壁魔法の内側で震える男を、興味なさげに一瞥した大男は、背後のヒビキに問いかける。
「……して、カナデはどうした? あやつがこの状況を、見過ごしているとは到底思えぬが……」
「……すんません、師匠。カナデさんは一旦、他の場所へ避難してもらっています」
「ぬ、左様か」
長年の付き合いで、言葉の意味を察してくれたテッシンは。
油断なく敵を視野に入れたまま、弟子に語りかける。
「それは……臣が、世話になったな。主人として礼を言う。忝ない」
「そんな! カナデさんは、俺も身内だと思っていますから! そんなお礼なんて必要ないですよ!」
「だとしても、奉公には報いを与えるのが、武士の在り方で御座る。丁度良い、ヒビキよ。おぬしにこれを下賜してしんぜよう」
そう言って。
腰元から引き抜いた小太刀を、テッシンはヒビキに投げ渡してきた。
「っ!?」
ずっしりと。
見た目以上に重く感じられる黒塗りの鞘には、黄金の装飾が施されており。
真円の中に描かれた菱形の、左上部と右下部がそれぞれ上と下に伸びて外円部に届き、簡易的な雷の記号を模したとされるそれは、テッシンの家が代々掲げる稲妻家紋であった。
「し、師匠、これは……」
「おぬしは某から技を学び、こうして死地を切り抜け、生き様を示した。故にこれからは一人前の、武士を名乗るがいい。おぬしが望むならライヅの家名を名乗ることを、某が許す」
「……っ!」
それは……この世界において。
ヒビキが生きていた前世よりも、遥かに重い意味を持つ言葉であった。
それほどまでに。
時折、理不尽な言動に不満を抱くことはあれど。
尊敬している男から、信頼を託されて。
ヒビキは胸の震えを、抑えることができなかった。
「師匠……お、俺っ、俺はあ……っ!」
「気を抜くな、ヒビキ。死地は脱したが、未だ窮地であることに変わりはない。おぬしにはまだ、成すべきことがあるはずだ」
「う、うっす! すいません、師匠。そいつを……マリアンを、預かります」
「うむ」
「……くそっ……逃すもんかよ……クソッタレどもが……っ!」
手負の獣ほど怖いと言うが。
片腕を失ってもなお、憎悪に囚われた女騎士は、微塵も狂気を薄れさせずにこちらを睨みつけてくる。
「あれは某に、任せておけ」
テッシンがそれを牽制し続ける間に。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!」
彼が小脇に抱えていた少女を受け取るが、ヒビキの呼びかける声に、彼女が応える様子はない。
「ひとまず、手持ちはこれだけだ。遠慮なく使え」
「ありがとうございます!」
自由になった片手でテッシンが投げ渡してきた小袋には、即効作用のある回復薬などが収納されていた。
すぐにそれを開封して、少しずつ、マリアンの口に含ませると……
「……ごほっ、こほっ!」
弱々しく、咳き込むものの。
ほんのわずかに、少女の瞳に輝きが戻ってきた。
「大丈夫だマリアン、ゆっくりでいいから、落ち着いて飲んでくれ」
「……い、今……」
「あっ? なんだ、なんて言った!?」
囁くような、少女の声に。
思わず豚鬼が、緊張によって凶悪さが普段よりも増し増しとなった豚顔を寄せると。
「……今、なんと……? もしかして、私の、名前を……?」
「……っ!? い、今はそんなこと、どうでもいいだろ!?」
無意識を指摘されて、かあっと、赤面してしまう。
「……お願い……ですから、もう一度だけでも……私の……名前を……」
「だから今はそんなこと言ってる場合じゃねえだろ、マリアン! あとで気が済むまで呼んでやるから、とにかく薬を飲んでくれよ!」
「……ああ……また……ヒビキくんが、私の名前を……ママ、嬉しくて、死んじゃいそうです……っ!」
「それここで言っちゃうの!? さてはテメエ、実はまだ余裕ありやがるな!」
「……えへ」
とは言うものの。
蒼白となった顔色と、肌に浮かぶ大量の球汗。
不規則に上下する胸元と、異様な熱を帯びた身体から。
彼女が未だ、女騎士の心蝕魔法に冒されているのは明らかであり。
(……くっ! 俺たちに心配をかけまいと、あからさまな痩せ我慢しやがって……っ!)
事情を知らなければ、本当にただ空気を読まずに喜んでいるようにしか見えない少女の微笑みに、ヒビキは尊敬の念すら覚えてしまった。
「とにかく、今はもう無理はするな! 師匠!」
「どうだ、ヒビキ。なんとかなりそうか?」
「ひとまず意識は戻りましたけど、それ以上はちょっと、無理そうです!」
自身も身をもって体験したからこそ、断言できるが。
あの女騎士が用いる呪詛魔法は、通常のそれとは明らかに格が違う。
このまま楽観など、到底できない。
「で、あるか」
戦士としての勘で、それを察しているからこそ。
テッシンは元凶である彼女を、仕留めることなく、あえて生かしているのだろう。
そして気丈なマリアンが、空元気を見せている間に。
なんとしても早急に、診断をしてもらう必要がある。
そのためには。
「やはり、爺に診てもらうしかあるまいな。ヒビキよ、よもや場所は見失っておらぬだろうな?」
「大丈夫です、問題ありません!」
魔力の扱いに長け、魔術への造形も深い、仙人然とした精人の老人のもとへ、彼女を送り届けなければならない。
互いの見解が一致した、ヒビキとテッシンは。
それ以上の言葉を交わす必要もなく、それぞれの取るべき行動に移ろうとして――
「――ふあーはっはっはあっ! 逃さぬぞ、悪党どもめ!」
そんな二人を、見咎めるように。
頭上の空から、降り注ぐ男の声があって。
「んなっ!?」
「何奴っ!?」
咄嗟に見上げれば……はるか上空に。
二体の人造天使に抱えられた、男の姿があった。
【作者の呟き】
〈朗報〉ママに確変入りました!(歓喜)




