第一章 【32】 雷鳴①
〈ロメオ視点〉
「だって私は……貴方の、ママですから」
教会の、大聖堂に飾られた。
聖母の絵画と、見間違えるほどに。
穏やかに形作られた、聖人……マリアンの。
凄絶なる、微笑みであるが。
(……っ!)
あどけない容姿の少女から。
こぼれ落ちた。
信じがたい言葉を、耳にして。
(な、なんというっ……)
その場に居合わせた、浄火軍の兵士は勿論。
勇聖教会から派遣された神官……ロメオは。
殊更に。
筆舌に尽くし難い衝撃を、受けていた。
何故ならば。
(聖人様が……あのような穢れを、産み落とした……?)
自分たち。
勇者に選ばれた、真人の民とは。
無能な亜人どもを従え、導く。
上位の存在であり。
彼らに価値を、与えるため。
種を授ける、ことはあっても。
その逆など、絶対に。
あり得ない。
真人の胎は、同胞を育むためにあるべし、というのが。
勇聖国の、常識である。
それなのに。
「……くっ……ひゃっ」
凍りついた、空気の中で。
「くひゃひゃひゃひゃっ! ほ、ホントにい!? ホントのホントに、オマエ、亜人なんかを、孕んじゃってたのお!?」
ただ一人。
哄笑する聖浄騎士……ダリアだけは。
聖人の言葉を、有りのままに。
受けて入れているようだった。
「ど、どういうことですか、ダリアさん!?」
「……いやね、ボクもこればっかりは、半信半疑だったんだけどさあ! 白豚の実験中に、不具合が、起きちゃったみたいでね! 胎のなかで勇者様を宿していたはずの人工生命体が、真人から亜人に、存在変異しちゃったってウワサが、あったんだよお!」
「……っ!?」
おそらく、それは。
聖人に固執していた、ダリアだからこそ。
嗅ぎつけることができた。
禁忌として、封印されて然るべき。
浄火軍の、機密情報である。
「で、でも、まさかさあ! それをわざわざ、産み落として、ここまで育ててるなんて……誰が、想像できるってハナシだよねえ!? 有り得なさすぎでしょおっ!? きゃははははっ!」
当たり前だ。
神聖なる聖人が、亜人の仔を。
胎に宿しただけで、大問題なのに。
それを処分することなく。
あまつさえ、産み落として。
ここまで育てているなどと……
(せ、聖人様は……お気が、触れてしまわれたのですか……っ!?)
正気ではない。
狂気の沙汰だ。
ここにきて、ロミオは。
目の前の、泥だらけの聖人が。
得体の知れない、怪物のように見えてしまう。
「た、たしかにさあ! あのブタを、壊しているときに、体内魔力の感じからいやまさかって、思ってたんだけどさあ……本当にあれが、失敗作の末路だなんて、そんなの、面白過ぎない!? きゃははははっ!」
兵士たちによって、拘束された。
血塗れの豚鬼を。
呪詛魔法で、侵食する際に。
ダリアが覚えていたという、違和感が。
事前情報と、組み合わさることで。
聖人の、信じ難い発言を。
肯定するに、十分な。
判断材料となったらしい。
「……え? え? ということは、もしかしてさあ? オマエって、アレを産むために、わざわざ浄火軍を、脱走したのお? 命令通りにアレを廃棄さえしていれば、少なくともオマエ『だけ』は、そのまま聖人の地位に、何食わぬ顔で居座っていられたっていうのにい……?」
「……」
「きゃははははっ! ね、ねえ、それっって流石に、お馬鹿過ぎない!? 亜人を孕んだショックで、脳みそが、パーになっちゃったのかな!? あきゃきゃきゃきゃっ!」
片手で腹を、抱えながら。
哄笑する、ダリアの言葉に。
(え、ええ……そうですよ! そうでなければ、有り得ません!)
このときばかりは、ロメオも。
心から、同意してしまう。
なにせ、勇聖国の民ならば。
誰もが羨むような、地位を捨てて。
軍命に背き。
教義に反してまで。
穢れを、産み落としたのだ。
挙句に、今日までこうして。
亜人どもと、手を組んでまで。
育てていたなどと……
(……なんと、悍ましい!)
ロメオの価値観では、到底。
受け入れられる、ものではない。
「そんな……ことが……」
「なんという……冒涜っ!」
「い、如何に聖人様とて、許されることではありませんぞ!」
周囲の兵士たちも、一様に。
嫌悪の表情を、浮かべていた。
「い、いひひひっ!」
そんな中で、ただ一人。
口元を裂いて、破顔するのは。
聖人の堕落を、心から歓迎する。
聖浄騎士である。
「いいよ! いいねえ! いいじゃん、オマエえっ! サイっコーだよっ!」
「……」
「おいおい、なんだよ、その目え? 痛いところをつかれて、ムッときちゃったのお? きゃはっ、なんだよオマエにも、そんな、人間みたいな感情が、あったんだねえっ! 酷いその負け犬ヅラ……とおっても、ステキだよおっ! きゃはははっ!」
「……いいから、早く」
ゲラゲラ、と。
品なく嘲る、聖浄騎士や。
「「「 …… 」」」
ロメオを含む、周囲からの。
嫌悪の視線を、全て無視して。
「彼を、解放してください」
聖人は、ただひたすらに。
人質の解放を、訴える。
「ぶあ〜かっ! そんなの駄目に、決まってるだろうがあっ!」
決定権を握る、ダリアは。
聖人の紅瞳を、覗き込みながら。
これみよがしに、赤い舌をちらつかせていた。
「うん、決めたよ! 決めた、決めちゃった! オマエとブタは、まとめて、ソラさまに献上して差し上げるんだ! そうやってオマエの罪を、白日のもとに、晒してやるからな! 覚悟しろよ!?」
「……」
「そうだよ……そうすれば、きっと、ソラさまも……目を、覚ましてくださる……っ! こんな……穢らわしい、売女なんて見限って、お役に立ったボクのことを、また、褒めてくださるよねえ……っ!」
「……ああ」
ふと、そこに至って。
泥だらけの、聖人は。
陶然とするダリアに。
はじめて、自分から。
視線を向けて……
「……成程。ようやく、思い出しました」
薄笑いとともに。
鈴を転がすような声音で。
「そういえば……貴方。とっくに飽きられていたのに、いつまでも未練がましく、あの変態に媚び諂っていた、行き遅れの年増ですか」
猛毒の棘を、顕とした。
「……あ゛?」
ダリアが表情を、凍りかせて。
空気が、一変する。
(えっ!? ちょっ、聖人様!? 急に何を、仰られているのですかっ!?)
思わずロメオが、後ずさるほどの。
背筋が泡立つ、緊迫感の中で。
淡々と。
美しき華が、毒を撒く。
「そうですか……あの変態は、未だに私に、ご執心なのですね……まったく、気持ちが悪い……」
「……」
「昔は聖令として、やむなく受け入れていましたが……今更あのような、下卑た性癖に、付き合って差し上げるつもりなど毛頭ありません。というかはっきり申し上げて、不快ですので、どうか貴方、私に興味が向かないように、アレの面倒を、ちゃんと見てやっていただけませんか? その様子ですと、まだ、好意を寄せていらっしゃるのでしょう?」
「……」
「まあ、その見た目ですと……アレの嗜好を満たすことは、難しそうですが……」
「……っ! は、はああ!? おっ、オマエ、急に何言ってんだよ!? 自分の立場、わかってるのか!?」
「それに……なんですか、その髪型? 全然似合っていませんよ?」
「う、うるさい! そんなの、オマエに関係ないだろッ!」
「ああ、そうですか。もしかして、貴方――」
そして、聖人は。
聖浄騎士を。
「――私が昔、アレにせがまれたものを、真似してらっしゃいます?」
あまりに容易く。
踏み躙る。
「そ、そんなこと――」
「――つまるところ貴方は、私に、なりたかったのですか?」
「……ッ!!」
抵抗など、許さず。
徹底的に、踏み潰す。
「……あっ……いや、ちがっ……」
「……ふふっ、それは、なんとも……滑稽、ですね」
誰もが羨む、永久花は。
その輝きに、憧れ、焦がれて。
やがて憎むしか、なくなった。
造花の努力を。
「あの変態のために、魔力改造のような献身まで、捧げておいて……結局やっていることは、私の、真似事とは……ええ……なんというか、本当に……ご苦労様、ですね?」
残酷なまでに、否定した。
(……うわあ)
第三者である、ロメオから見ても。
殺意が高すぎる、過剰蹂躙である。
「……」
そんなものを。
真正面から、叩きつけられて。
しばし絶句した、ダリアは。
「……くひゅっ」
破損した、空気球のように。
間抜けな音を漏らした……直後に。
「ふ、ふじゃけっ、ふじゃけるなアアアアアッ!」
限界まで。
目を見開いて……ズンッ!
聖人の、無防備な腹部に。
刺突剣を、突き刺した。
「うあああああアアアアアあああッ!!!!!」
「ちょっ!? ダリアさん!」
喉が張り裂けんばかりに。
口を開いて、絶叫するダリアを。
ロメオが慌てて、諌めるものの。
「うるさい黙れえッ!」
「……ひっ」
振り向いた、狂人の眼光は。
邪魔すれば殺す、と。
物語っている。
「大丈夫ッ! 殺しはッ、しないからッ! ああ、絶対に、殺してなんか、やるもんか! ――〈聖浄覚醒〉おおおおおッ!」
認識に刷り込まれた、言霊を用いることで。
魔力改造の際に、組み込まれた。
聖浄騎士専用の強化魔法が、発動。
「あっ……あアあああアア……ッ!」
己の魂を、代償として。
爆発的に膨れ上がった魔力が……ブオオオン!
覚醒した聖浄騎士の、右手首に。
光輪と、呼ばれる。
勇者や聖人が、勇聖因子由来の魔法を使用したときに、発生する。
環状力場を、形成した。
「呪って……やる……この、命を捧げて……オマエを、呪って、やるからなああアアア……ッ!」
ズッ……
ズズズッ……と。
刺突剣を伝って。
命を削る、聖浄騎士から。
聖人の身体に、悍ましい魔力が。
ドクンドクンと、注ぎ込まれていく。
「……ッ、かはあっ……くっ、ううううううっ!」
比例して。
ダリアの頭髪から、薄紫が抜け落ちて。
燃え尽きたような、灰色が。
全体を侵食していた。
「うううううううううっ!」
生命力を振り絞る、代償として。
急速に萎びていく、女の顔で。
ただ、狂気に染まった瞳だけが。
爛々と、輝いている。
「オ……マエ、なんて、魔力の使えない、不能にしてやる! それだけじゃないぞッ! 息をするだけで、死ぬほど苦しくて! 自分では二度と立ち上がれない、子どもも産めない、人から憐れまれるだけの、惨めな木偶人形にしてやるんだ! 絶対に、生まれてきたことを、後悔させてやる――っ!?」
憎悪の赴くままに。
己の魂を削った、呪詛を。
無抵抗な聖人に、刻み込んでいた。
聖浄騎士であるが……
「……ぷっ」
またしても。
気味が悪いほど、唐突に。
怒りに塗れていたはずの形相に。
嘲笑が、混じっている。
「だ、ダリアさん……?」
「……ぷっ……くくっ、くきゃきゃきゃきゃっ!」
側から見ていて。
不安を、覚えるほどに。
怒りと喜びが、激しく入り乱れていた。
(と、とうとう本格的に、壊れてしまいましたか……?)
その手綱を、強制的とはいえ。
握っている、ロメオとしては。
背筋に冷や汗が、滲むものの。
「お、おいおい! おいおいおい、アンタ、マジで!? マジでそんなこと、しちゃったのかよお!?」
どうやら、底知れぬ憤怒を。
上書きする、狂喜の理由は。
「た、たしかにさあ! オマエが、そんなナリで、いったいどうやって、あのブタを産んだのか、ちょっと不思議だったんだけど……まさかそんな、自分の『子宮』ごと、あれを『転移』させったっていうのお!?」
刺突剣が、突き刺さった。
聖人の胎に、あるようだった。
(んなっ!? そ、そのような……っ!)
おそらくは。
出産に適さない条件や、環境下で。
それに臨まざるを得なかった、小さな聖人が。
自らの魔法で。
自らの一部を。
内から外へ、転移させるなど。
男性の身では、想像すら及ばない。
狂気の発想である。
(……ッ!)
無意識のうちに。
理解の及ばない、怪物から。
ロメオは数歩、後退していた。
「なるほど……なるほどねえっ!」
一方で。
体内への魔力干渉によって。
対象の状態を、看破したダリアは。
さらに、笑みを深めている。
「その髪が、白くなっちゃったのも、そのときの後遺症だよねえ! っていうかなんだよ、これ!? 体内の魔力経路が、メチャクチャじゃないか! そりゃ内臓を、無理やりにぶっこ抜けば、魔力経路だってズタズタになるか! しかもそれを当分、放置していたみたいだし……これじゃあご自慢の魔法だって、今じゃ全盛期の半分も、使えないんじゃないのおっ!?」
「……っ」
「図星っ!? ねえ、図星でしょ!? きゃははははっ! 馬っ鹿だねえ、白豚あっ! ガキのために、女を捨てるだなんて!」
「……ッ! お黙り、なさいッ!」
何かが、琴線に触れたのか。
聖浄騎士の、今更な挑発に。
珍しく、聖人が反応する。
「貴方、にっ……なにが、わかるものですかっ! 我が子を……宿したことも、ないくせにっ!」
ようやく、噛み付いてきた。
聖人の、剣幕に。
「えー? ああ、はいはい、いるよね、そういう、ガキを産んだ女の方が偉いって考えの、馬鹿女あ」
ニチャア……と。
愉悦を、曝け出す。
「でもさあ、その結果がコレなんだけど、そのことについては、どう考えてるのお? ブタを孕んでえ、国を裏切ってえ、そのうえ自分で自分の身体を、こんなふうに、壊しちゃってさあ……今だって、本当なら格下のボクなんかにい、好き勝手されてるんですけどお? それでもオマエは、自分の行いを、正しかったって、本気で思ってるワケえ?」
「当然、です! あの子は私の……全てです!」
「きゃははははっ! 痩せ我慢もそこまでいくと、大したもんだねえっ!」
女性として。
重大な損失を負った、聖人に対して。
このうえなく、優越感が満たされたのか。
先ほどよりも、正気を取り戻した様子の聖浄騎士が。
勝ち誇った笑みを、浮かべていると……
「……ぶっ、ぎイいいいいいいっ!」
それを、否定するかのように。
ロメオたちの背後で。
獣が、咆哮した。
(……っ!?)
驚きに、振り返れば。
ロメオの視線の先では……
「な、なんだこの豚野郎!?」
「急に息を、吹き返して――」
兵士たちによって、両脇から。
拘束されていたはずの豚鬼が。
「――ぶぎイいいいいいッ!」
更なる雄叫びを、撒き散らして。
左右からの拘束を、力づくで。
振り解くと……
「おぶフッ!?」
「そんなっ――グハあッ!」」
兵士たちの身体に。
次々と魔技を、叩き込んでいく。
「はあっ!? う、うそっ!? なんでボクの呪詛が、無効化されているのっ!?」
突如として。
息を吹き返した、豚鬼の姿に。
ダリアもまた、目を剥いていた。
「テメエ……俺の、オフクロから、その薄汚い手を離しやがれえええええッ!」
一方で、気炎を吐く亜人は。
聖浄騎士に、一直線。
突撃している。
「んみゅっ!?」
何故か。
その光景を目にした、聖人が。
本日一番の驚愕を、浮かべているものの。
「……クッ!」
背後から迫る脅威を。
ダリアとて、無視はできない。
呪詛魔法を一時、中断して。
刺突剣を、引き抜きながら。
「しつ、こいんだよおっ! ブタあああああッ!」
「ブギいイイイイイッ!」
肉薄した豚鬼に。
対応を、余儀なくされると
ギギキキキイイイッン……ッ!
重なる金属音が、木霊した。
(だ、大丈夫! 状況は何も、変わっていません!)
ロメオとて、予想外の事態に。
動揺を、覚えてはいたものの。
だからといって、形勢が。
不利になった、という。
わけでもない。
(落ち着いて……慎重に、対処するのです!)
護身用の戦棍を、構えながら。
念の為、両者との距離をとって。
冷静に状況を、俯瞰する。
(いったいどうやって、あの亜人が、呪詛魔法を解呪したのかは不明ですが……だとしても、個の力量はいまだに、ダリアさんが優っているはずです!)
たとえ、どれだけ大量の魔力を。
消費していたとしても。
擬似聖人とも呼べる、聖浄騎士が。
手負いの亜人に、劣るなどとは。
考えられない。
「お、おい!」
「俺たちもいくぞ!」
「え、ええ、聖浄騎士様を、援護しましょう!」
さらに周囲の兵士たちや、魔術士も。
ダリアの援護に、回ろうとしていた。
(……念の為、私は障壁魔法でも、張っておきましょうかね)
ただ一人。
戦いの場から、距離を置くロメオが。
詠唱とともに、魔術を展開していると……
ズガアアアンッ!
一際大きな、音を立てて。
「マリアンから離れろ、クソ女ッ!」
豚鬼が繰り出した、渾身の一撃が。
「……チッ、なんだよクソブタっ!? そんなのママのおっぱいが、恋しいのかあっ!?」
刺突剣で防御した、聖浄騎士を。
反動で大きく、後退させていた。
「――でかした、ヒビキっ!」
直後である。
森の奥から、雷鳴の如き。
男の大声が、轟いたのは。
【作者の呟き】
主人公の頭に響いた『声』の正体は、しばらく伏せさせていただきますので、ご了承くださいませ。




