第一章 【31】 目覚め③
〈ヒビキ視点〉
何度も。
何度も。
何度も。
殴られて。
蹴られて。
踏み躙られて。
「……ッ」
それでもすぐに、立ち上がって。
「……彼を、解放してください」
同じ言葉で。
揺るがぬ決意で。
ただ一心のみを、貫こうとする。
泥だらけの只人……マリアンの姿を。
(……ッ!)
全身を蝕む、呪詛魔法によって。
指先ひとつ、満足に動かせない豚鬼……ヒビキは。
ただ、見ていることしかできなかった。
(……なん、で……)
手足の感覚は、酷く曖昧で。
そのくせ熱く、火照っており。
少し、動かそうとしただけでも。
ゴリゴリと、神経を鑢で削がれるような。
特大の激痛が、全身を襲う。
(なん、で……だよ……)
骨も何本か、折れているのか。
呼吸をするだけで、内臓が軋む。
血を流し過ぎて、意識は朦朧としており。
少しでも気を抜けば、そのまま闇の底へと。
転がり落ちてしまいそうだ。
(なん……で……そこまで、するんだよ……?)
それでも、ヒビキは。
「……ッ、お前、まだ、そんなことを……ッ!」
「……」
何度倒れても、立ち上がり。
狂気に囚われた、聖浄騎士に。
毅然と抗う、マリアンの姿から。
目が、離せない。
「……だからッ! ボクを、無視するなあああああっ! ボクを、見ろっ! ボクを思い出せ! ボクを忘れるな! ボクに怒れ! ボクに恐怖しろ! ボクに、媚びて……謝れよおおおおおッ!」
不快な叫びに、脳を揺さぶられて。
ふと、途切れそうになる意識を。
必死に、繋ぎ止めながら。
心の中で、問いかける。
(なんで……アンタは、そこまでして……俺のことを……俺のことなんて、もう、放っておけばいいじゃねえか! 俺がアンタに、いったい、何をしてやったっていうんだよ!?)
少なくとも。
ヒビキがマリアンに、与えたのは。
理不尽な、痛みだけだ。
それも無意識ではなく。
自覚的に。
悪意、とまではいかなくとも。
心の底に堆積する、仄暗い感情を。
半ば、八つ当たりのようにして。
無抵抗な、マリアンに。
散々と。
一方的に。
叩きつけてきたのだ。
(こんな……俺、なんかのために……っ!)
自分のために。
自分を、守るために。
ちっぽけで、臆病で。
出来損ないで、醜くて。
不器用で、可愛げがなくて。
それなのに人一倍、我が強くて。
誰かに、認めてもらいたくて。
居場所を、許してもらいたくて。
怖くて、自分から踏み込もうとしないくせに。
寂しくて、自分から距離を置こうともしない。
矛盾して。
鬱屈した。
面倒極まる性格の、ヒビキを。
マリアンが、身を賭してまで。
守ろうとする、理由など……
(……)
もはや。
たった一つしか、思いつかない。
(……)
ただ、それが。
本物なのか。
本当に信じても、いいのかどうか。
確かめるのが、怖かった。
(……)
また、手を伸ばして。
欲しくて。
焦がれて。
求めた、それを。
呆気なく、振り払われてしまったら……
(……)
今度こそ、ヒビキは。
二度と、立ち直れないだろう。
今までのように、虚勢すら張れなくなって。
不可逆的に修復できない、致命的な亀裂が。
心に生じてしまうという、確信が。
その一歩を、踏み出すことを。
常に、思い留まらせていた。
(……)
それでも、こうして。
命の瀬戸際にまで、追い詰められて。
(……)
仲間である、狐人との問答で。
自分の弱さと、本心を。
自覚して。
(……なあ、アンタは……)
余計な雑音が、入り込む余地などない。
この状況だからこそ。
皮肉なことに、ヒビキは。
心の底から湧き上がる、衝動から。
目を背けずに。
逃げることなく。
向かい合うことが、できていた。
(……アンタは、本当に……俺のことを……)
いつだって。
マリアンはそれを、口にしていた。
マリアンはそれを、示し続けてきた。
ただ、ヒビキがそれを、拒んでいた。
恐れて。
怖がって。
傷つくことを、躊躇って。
いとも容易く、差し出されたそれを。
受け取ろうとは、しなかった。
ただそれだけの話だ。
(こんな、俺なんかのことを……)
でも本当は……ずっと、欲しかった。
本当かどうか、確かめたかった。
今度こそ、その存在を。
信じてみたかった。
だから。
「……なん、でだよ」
怖いけど。
苦しいけど。
ズクンズクンと、心臓が。
張り裂けそうなくらいに、恐ろしいけど。
それでも。
「……なんで……アンタは……」
確かめたい。
確かめずには、いられない。
でないと、ヒビキは。
図体ばかりが大きくなった、肉体の内側で。
蹲って、怯えている。
小さくて弱い、泣き虫が。
立ち上がって。
前を向いて。
歩き出すことが。
できない、から。
「……こんな、俺なんかのために……そこまで、してくれるんだよ……?」
そのために。
肉体が訴える苦痛など、無視して。
初めて自分から、問いかける。
手を伸ばす。
確かめようとする。
暗闇の中で、彷徨う迷子が。
ようやく見つけた、灯火を目指して。
泣きながら、駆け出していくと……
「……ふふっ」
全身が、泥まみれなのに。
それでも美しと、感じてしまう。
天使のような少女が、微笑んで。
「だって私は……貴方の、ママですから」
やはり、欠片も迷うことなく。
陽だまりのように。
暗闇から抜け出した少年を。
優しく、迎え入れてくれたのだった。
(……ッ!)
その瞬間……ズドンッ、と。
ヒビキの芯を、貫いた。
あまりの衝撃に。
滞留していた澱が。
全部まとめて、吹き飛んで。
迷いが、晴れて。
覚悟が、定まって。
意識が、澄み渡っていく。
(……だったらッ!)
心が軽い。
そして、燃えるようだ。
かつてないほどの、魂の燃焼。
今までヒビキが、目を背けてきた……
触れようとしなかった、心の瘡蓋が。
ベリベリと、音を立てて。
剥がれ落ちて、いくような。
奇妙な感覚がある。
そして魂の奥から、流れ込んでくる。
膨大な『何か』が。
ヒビキの内側を、満たしていく。
充溢する魔力。
いや、これは……
それよりも、もっと深い……
世界を構成する、三位層。
その最下層とされる、根源世界の……
【……はあ。やれやれ】
すると、脳内に。
不思議な声が、響いた。
(……ッ!?)
【ようやくだね、ヒビキくん。これでやっと、「初めまして」って、挨拶ができるよ】
(は、はあっ!? おいおい、なんだこれ……魔法……いや、幻聴か!?)
脳内に響く、有り得ない『声』に。
咄嗟に反応しまった、ヒビキだが。
【いやいや、僕は僕さ】
キイイインッ……と。
思考に、電流が走るなり。
視界から色が、抜け落ちて。
周囲から音が、遠ざかっていく。
【幻覚なんかじゃなくて、ちゃんと僕は、「ここ」にいるよ】
肉体強化の、魔能によって。
体感時間が引き延ばされえる、感覚とともに。
ヒビキの言葉に応じる声音には。
確かな『意志』が、感じられた。
それが、比喩などではなく。
己の『内側』から、放たれていることを。
何故か。
自然と。
受け入れてしてしまう。
(……ッ、一体どういうことだよ、これ!?)
まるで。
ようやく抜け出した。
昏くて深い、穴の奥底に。
溜まっていた闇が、拭われることで。
見通せるようになった、深淵から。
何者かが……じっ、と。
こちらを、見つめているような……
【……本当に。随分と、焦らしてくれたよねえ】
そんな、ヒビキの狼狽など。
どこ吹く風で。
【正直、このまま最後まで「こちら」に出てこられないんじゃないかと、ヒヤヒヤしていたんだよ?】
捉え所なく。
飄々と。
(なっ……だ、だから、誰だよテメエ!? 一体何者だ!?)
【ん? 僕が何者なのかなんて……それ、今必要な言葉かい?】
(――ッ!?)
声の主は。
確信へと、踏み込んでくる。
【悪いけど、時間は有限なんだ。今の不安定な状態じゃ、僕もいつまでこうして「こちら」に干渉できるかわからない。答えが欲しいのなら、問いは絞っておくれよ】
(……確かに、な)
自分の内側に響く。
声の正体などよりも。
今のヒビキには、優先すべき事柄があった。
(だったら……お前なら、アイツを、助けられるのか?)
それは、白黒の世界の中で。
たった一人、抗い続ける。
偉大な少女のこと。
【いいや。僕じゃ無理だね】
声は即答した。
【ただし】
と、続けて。
【僕が「こちら」に直接手出しはできなくても、キミの背中を。押してあげることくらいはできるよ?】
こちらを試すような、物言いに。
(上等だ)
即答する。
元より、迷いはない。
(だったら今すぐに、力を貸しやがれ。対価が必要なんだってんなら、なんだってくれてやるからよお!)
【オーケイ、交渉成立だ】
ヒビキの示した、覚悟に。
声は、軽やかに応じた。
【……っていうかヒビキくん。たしかにこれから、キミの器をちょっと弄らせてもらうけど……僕のこと、悪魔か何かだと勘違いしていない?】
(悪魔でもなんでもいいさ! 俺に、アイツを助けるための力を、くれるんならッ!)
【……うん、いい返事だ。どうやら完全に、吹っ切れたようだね】
(応ともよ! 今まで散々と、クソ迷惑かけちまったんだ! それを取り戻すには、それ以上に……アイツに、俺は、恩返ししなきゃなんねえ!)
それこそ、人生を費やしてでも。
ヒビキは、与えられた愛に。
報いなければならないのだ。
であるならば。
(今から俺は、アイツの……マリアンのために生きる、マザコン豚鬼だッ!)
【……いやこれ、なんか変な風にキマってない? 大丈夫?】
今まで、無理やりに。
遠ざけていた、反動なのか。
振り戻しの幅が、エグかった。
(ンなことどうでもいいから、早くしろ! 時間ねえんだろ!?)
【ん、それはそう】
ギュルギュルと。
体内に渦巻いていた、膨大な魔力が。
指向性を、与えられて。
整然と、組み上げられていく。
【僕のほうも、あんまり、余裕はなさそうだから……無駄口は、これくらいにしておこうか】
心身を犯していた、呪詛魔法が。
莫大な魔力と、精緻な制御によって。
淘汰され。
上書きされていく。
【キミが順調に、この世界を生き抜いてくれれば……また、いずれ、こうやって対話できる日が、やって来るはずさ】
魂が、燃え上がって。
鎖を、引きちぎって。
枷を、焼き払っていく。
(んぎっ、ぎイいい……ッ!)
【だからね、ヒビキくん……】
体内を吹き荒れる、魔力圧に。
歯を食いしばって、耐えていると。
【……絶対に、彼女を……あの、気高き女性を、守ってあげておくれ】
真摯な声音で。
投げかけられた、言葉に。
(ンなもん、あったり前だッ!)
ヒビキは、やはり。
即答してみせるのだった。
(なんつったって俺は、マザコン豚鬼だからな! オフクロに手を出すクソ野郎は、たとえ悪魔や神様でも、容赦しねえぞッ!)
【作者の呟き】
ようやくあらすじを回収!
主人公が無事、マザコンに目覚めました。




