第一章 【22】 聖浄騎士②
〈カエデ視点〉
(……いったいアレは、どういう状況なのでしょうか……?)
仲間と潜伏してきた、大森林において。
拠点の西側を見張っていた、狐人のクノイチ……カエデが。
不自然な動きを見せる、浄火軍の幌馬車を。
発見したのは。
正午を過ぎた、頃合いだった。
(……)
もとよりカエデは、斥候を始めとした。
隠密を得意とする、クノイチである。
森に潜み、景色に紛れることなど。
お手のもの。
そうして身を、隠しながら。
倒木などを利用して、道を塞ぎ。
魔獣を誘導して、進路を逸らしつつ。
担当区域に散らばる、浄火軍の捜索部隊を。
拠点に、近づけさせないようにと。
暗躍していたのだが……
(……負傷者、ですか?)
森に潜む、カエデの視線の先で。
停車している、浄火軍の幌馬車。
その横手には。
「……あああ、痛てえ……痛えよお……っ」
顔の下半分を、鮮血で染めて。
苦悶を漏らす、浄火軍の男と。
「ああクソ、血が止まらねえぞ!? おいカール、もっと治癒魔法をかけてやれって!」
「やや、やってますよお! でも何故か全然、効かないんですって!」
「とにかく包帯! あと止血剤だっ!」
男を治療しようと、慌てふためく。
浄火軍の、兵士たちがいて。
幌馬車を挟んだ、その反対側には……
「……全く、いい加減にしてください! 貴方がつけた傷は、通常の治癒魔法が効かないことを、知っているでしょう!? もう彼は、役に立ちません! いったいどうするつもりですか!?」
声を荒げて、叱責する。
勇聖教会の、神官らしき青年と。
「……だって……あいつが、ソラさまを、侮辱したから……」
眉根を寄せて、不満げな表情を浮かべる。
露出過多な鎧を纏う、女騎士の姿があった。
(……仲間割れ、でしょうか?)
状況から察するに。
彼らは、身内で諍いを起こして。
立ち往生している、といったところか。
(しかし一体、何故に?)
もしこれが、ただの旅人であるならば。
そういうこともあるかと、見過ごすが。
生憎と相手は、訓練を受けた軍人であり。
しかも任務中に、そうした迂闊な問題を。
生じさせるなど、常識では考えにくい。
(……気に、なりますね)
不審を覚えたカエデが、ひとまず。
情報を集めようと、距離を詰めたのは。
ごく自然な、成り行きであった。
(……何事も、なければよいのですが)
そんなクノイチの、胸中には。
一抹の不安が、滲んでいる。
(……先日から、どうにも嫌な流れです)
目の前の、不自然な光景もそうだし。
そもそもの、今回の不可解な浄火軍の派遣だって、そうである。
予期せぬ展開。
意図せぬ事態。
立て続けに発生する、想定外に。
まるで悪戯好きな、何者かの手のひらで。
弄ばれているかのような、錯覚にすら。
陥ってしまうのだ。
(そのようなこと……あるはず、ないのですが……)
しかし、たとえどれだけ周到に。
入念に、計画して。
十全に、準備していても。
往々にして、この世には。
ここ一番という、本番において。
生じる、『揺らぎ』というものが。
確かに、存在している。
そしてそれが、当事者にとって。
吉となるのか。
凶となるか。
答えは、事態の結末に至るまで。
わからないのだが……
(……)
そっと、自らの腹に。
手を添える、カエデは。
微かでは、あるものの。
不安の予兆を、覚え始めていた。
(マリアン殿には、見抜かれてしまっているようですが……)
本人も、自覚しているように。
このとき、カエデの胎内には。
小さな命が、宿っていたのだ。
(……これは拙の迂闊が、招いたこと。お館様にご迷惑など、かけられません……っ!)
なにせ、大和国の密偵が。
勇聖国での、潜入任務を始めてから。
すでに六年余りを、超えている。
その間に、任務の性質上。
仲間たちは、どんどんと目減りしていき。
そのぶんだけ、物資の調達が。
困難となっていった。
であればこそ。
調達する物資に、優先順位をつけるのは、当然であり。
この旅路の、終盤で。
避妊用の薬草を、切らしてしまったのは。
完全に、カエデの不手際である。
そのことを、わかってたうえで……
敬愛してやまない、主人から。
求められることが、嬉しいあまりに。
夜伽を拒まなかった、結果など。
自己責任以外の、何物でもない。
少なくともカエデは、それを言い訳として。
此度の任務から、外されることを。
望んでなど、いなかった。
(……大丈夫、問題ありません。この程度のことで、お役目に支障など、きたしません)
だから、誰にもそれを告げることなく。
今、この場所にいる。
そして役目を、引き受けたからには。
十全にそれを、全うせねばならない。
(……もう少し……近くに……)
不自然な、動きを見せる。
探索部隊の動向を、探るため。
カエデは慎重に、気配を殺して。
静かに距離を、詰めていった。
『……おオん……』
待機を命じられた、番犬のように。
幌馬車の上には、手足を畳んだ人造天使が、鎮座しているのだが。
使役者である、眼帯の魔術士は。
苦痛に呻く仲間の、治療に。
かかりきりであるため。
カエデの接近に、気付いた様子はない。
「……うう……痛え……痛えよお……」
「しっかりしてください、ビルドさん! ……そ、それで、他の部隊は、どうなっているのですか?」
「それがよお、ここにきて急に、なんか森のあちこちで、黒兎どもの痕跡が見つかってるんだとよ!」
「だから俺たちも、探索を続行しろ。その程度での離脱は認められねえとさ! クソがっ!」
地面に横たわる男を、囲みながら。
通信用の魔道具で、仲間と連絡をとっている、兵士たちは。
ひとまず、置いておくとして。
問題なのは……
(……反対側の二人……とくに女のほうが、危険ですね)
あえて、目を凝らさずとも。
斑ら髪の女騎士から、見て取れる。
悪寒を伴う、悍ましい魔力。
(あれは……あまりにも、不吉です)
生物が、自分という『器』の内側で。
魂の色に染め上げた、体内魔力とは。
保有者の、性格や性質が。
滲んでしまう、ものである。
そして遠目からでも、わかるほどに。
積年の恨み辛みを、煮詰めて凝縮したような、禍々しい魔力が。
青白い素肌を晒す、女騎士からは。
ふつふつと、漏れ出していた。
(あれは……只者ではありません。一体、何者……?)
もう少し。
もう少しだけ。
せめて何か、手がかりを掴まないと。
その一心で、カエデは不穏な空気に満ちる、現場へと。
静かに、距離を詰めていく。
そしてついに……
(……っ!? あの、印は!?)
カエデは、女騎士の胸元に刻まれた。
紅十字と天秤を、掛け合わせた印を。
発見して、しまうのだった。
(浄火軍の、強化人間……聖浄騎士ですかっ!?)
浄火軍の、機密情報として。
関係者である、聖人の少女から。
聞き及んでいる、情報によると。
あの十字天秤を刻まれた、聖浄騎士とは。
少女も加担していた、『人造勇者計画』の一端。
適正のある、素体に。
魔力的な強化処置を、施すことで。
その性能を、勇者や聖人といった高みにまで。
昇華させようという試みで、あるらしい。
とはいえ……
未だそれは、研究段階であり。
少なくとも、勇聖国で長年に渡り。
情報収集を続けてきた、カエデたちは。
その人体兵器を、実用段階にまで。
確立させたという、情報は。
入手していない。
(それなのに……何故に、あのようなものが、此度の捜索に参加して……っ!?)
開発段階の、強化人間までをも投入した。
此度の軍事行動が、通常でないことなど。
火を見るよりも、明らかだ。
(よもや浄火軍は、それほどまでの確信を持って、此度の捜索を……否っ! であればもっと大量に、あれらを投入して、然るべきです!)
少なくとも。
カエデの担当する、区域において。
あのような、異物を。
この場所以外で、目にした覚えはない。
(となるとあれは、偶然に、この作戦に投入された試験品……? いや、仮にそうだとしても、その場合は、この場がそうした『実験場』に選ばれた意味が、あるということになります)
なんにせよ。
あのような、異なる存在を。
わざわざ投入してきた、浄火軍が。
この軍事行動に、一定の思惑を含ませていることは。
間違いないだろう。
(となると、やはり此度の部隊派遣は、拙たちの存在を嗅ぎつけたうえでの行動……? いやしかし、だとするとこの程度の規模では、戦力的に、釣り合いがとれません。兵士たちの士気も、さほど高くはないようですし……となると、彼女は保険? あるいは何か他の、目的でも? とうかそもそも、いったい何故に、彼女は仲間を攻撃しているのですか? よもや実験中に、暴走したとでも?)
グルグルと、目まぐるしく。
いくつもの可能性が、頭を過ぎるものの。
答えを導き出すには、情報が。
やはり、不足している。
わからない。
ただ漠然とした、不安だけが。
胸の中で、膨らんでいく。
(……とにかく、この場を一度離れてから、皆と情報を共有するべきですね)
ただ、なんとなく。
戦士としての勘も。
女としての直感も。
この場にいることは不味いと、訴えていた。
(……離脱、しましょう)
誰にも、悟られないうちに。
カエデはその場を、離れようとして……
「……あー、もうっ、一体どうして、くれるのですか!」
その、矢先であった。
「こんな不始末、どう言い繕ったところで、間違いなく責任を問われてしまうではないですか! 貴方の所為で! 私の評価に、傷がついてしまうんですよ!? ねえ、わかってます!? 聞いていますか、ダリアさん!?」
「あー、あー、もう……わかったよお。うるさいなあ、静かにしてよお……」
「誰の! 所為で! 声を荒げていると、思っているのですか!?」
「あああああ、もうっ、わかったわかった! わかったから、そんな、怒鳴らないでよお……」
神官から、散々と。
叱責されていた、聖浄騎士が。
「そうやって、怒られるの、イヤなんだよお……それに、ボクもすこしは、短気だったかもって、思うからさあ……」
抜刀した、刺突剣を。
軽く地面に、突き刺して。
「……だからちょっとだけ、ボクも、まじめにお仕事、してあげるよお」
体表から溢れていた、魔力を。
体内へと、収束させていく。
魔法を用いる、前兆だ。
(……っ!? これは、不味い――)
変化を察して。
目を見開いたカエデが。
ほとんど反射的に、手印を組んだ。
「……主よ、我に暗闇を見通す瞳を、与え給え……〈真なる瞳〉っ!」
ほぼ同時に。
詠唱を、口にしながら。
聖浄騎士が、己を中心として。
全方位に放った、探知魔法に対して。
(――っ!)
それを、先読みしていたカエデが。
詠唱の代わりに、高速で。
幾度も手印を、組み替えながら。
探知魔法を掻い潜るための、隠蔽魔法を。
発動させようと、試みるが……
(……っ!)
己の胎に宿る、小さな息吹。
命として呼ぶには、まだあまりに未熟なそれが。
魔法に必要となる、体内魔力の流れを。
ほんの僅かに、乱してしまった。
(しまっ……!)
結果として、生じたのが。
隠蔽魔法が展開するまでに、生じる。
一秒未満の、遅延であり。
その一瞬が……明暗を。
分けてしまう。
「……」
全方位に放った、探知魔法の。
反応を、確認して。
「……あはっ」
稚気を孕んだ、笑い声とともに。
聖浄騎士は、伏せていた顔を上げた。
「……えへへ……もしかして、今日のボクって、ついてるのかなあ?」
そして……グルンッ。
森の一点に、向けられた視線は。
確実に、異物の存在を、捉えていた。
(……見つかった!)
その瞬間に、脱兎の如く。
カエデは潜伏を諦めて、離脱を試みた。
(なんたる不覚っ! 逃げ切れるか!?)
そして、森を駆け。
己の未熟を悔いながら。
うっすらと感じていた、現状の『揺らぎ』が。
自分たちにとって、不利な方向に。
一気に、傾いてしまったことを。
ひしひしと、感じてしまうのだった。
【作者の呟き】
この世界では『保有魔力差の大きい男女間では子宝が恵まれ難い』という常識があるため、そのあたりも、カエデさんが油断した一因であったりします。




