第一章 【01】 転生
〈ヒビキ視点〉
前世においてシバ・ヒビキと呼ばれていた青年が、『こちらの世界』での始まりを回想すると……
行き着くのはおぼろげな記憶。
記録の底。
原初の澱。
ぶくぶくと、水底から湧き上がる気泡のように。
自我が浮上していき、やがて世界を覆う境界へと到達。
水面を突き破る。
(……っ!? ……っ!)
途端に外部の刺激を感じて、思わず目蓋を見開いた。
流れ込む情報の奔流。
「……ぷっ」
衝撃に驚いて。
本能のままに、泣き喚ぶ。
「ぷぎゃあああ! ぷぎゃあああっ!」
それを何度か繰り返して……
新たな世界の『洗礼』を受けた後で。
記憶に刻み付けられたのは。
今でも一番に思い出すのは。
こちらを見つめる少女の、慈愛に満ちた微笑みであった。
「はいはい、よしよし。大丈夫ですよ〜。ママがいますからね〜」
まさしく、陽だまりのように。
頭上から降り注ぐ、温かみに溢れた言葉を浴びながら。
率直に述べるならば、そのときのヒビキは未だ微睡のなかにあり、夢の中で「ああ……これは夢だな」と半ば目覚めているときのような、意識はあっても自我が曖昧な、明晰夢と呼ばれる状態であったため、視覚情報以外の何かを感じることはなかったのだが。
それでもあとになって、思い返してみると……
この世界の始まりにおいて。
自分を迎えてくれた少女は。
自らを『ママ』と名乗り、当時のヒビキが口にする意味のない訴えに、真摯に向き合ってくれた彼女は。
それはそれは……なんとも、見目麗しい。
可憐な色白の美少女であった。
「……おや?」
ろくに焦点の定まっていない、下方向からの視線を受けて。
見上げる視界で小首を傾げる少女は、ざっと十歳を超えた程度であろうか。
まだ『幼い』と形容して、間違いない外見の少女である。
陽光を受けながらサラサラと揺れる、白い大海原のような直毛の白髪。
シミ一つ見当たらない雪花石膏の白肌。
大きく見開かれているのは紅玉の瞳であり、縁を飾る睫毛が、驚く程に長い。
すっと筋の通った鼻梁には気品があり、可憐に咲く薄桃色の唇は、堪えきれない喜色を形作っていた。
それら優れた個々の部品が。
美の神によって、ひとつひとつ丁寧に。
精密な均衡を保って。
配置されることによって生まれる、天使のような純白の美少女。
それが今、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、自分のことを見下ろしているのだ。
(……ん?)
そのことに、ヒビキは違和感を覚えた。
微かな反応に、少女も目敏く気づいたらしい。
もとより喜色に満ちていた笑顔に、驚きが追加される。
「あ、いま、私を見つめてくれました!? ほら、ほらほら! 見えますか!? ここですよ! ママですよ~?」
「……あー」
意味のない音を口から漏らしつつ。
ぼんやりとした頭で、少女の笑顔を見上げていると……
「……ぬ、まことで御座るか、マリアン殿。どれ、ちと某にも見せてくだされい」
ずい、と。
次に視界に入ってきたのは、大きな影だった。
「あ、ちょっとテッシンさん! 邪魔しないでください!」
「ふはは、固いことを申されるな。少しぐらい良いではないか」
などと、少女の不機嫌をものともしない大男は、無精髭を生やした壮年の男性である。
見た目や肌具合から察するに、年齢は四十の半ばほど。
浮かべている表情に敵意はないが、眼光が異様に鋭く、対峙する者の背筋を自然と正すような凄みがあった。
マリアンと呼ばれた白髪の少女よりも頭四つぶんは大きな身体は、全身隈なく鍛えられており。
両腕を覆う籠手。
両足を包む脛当。
胴体を守るのは漆黒の地金に金箔が施された軽装鎧であり、腰元には大小ひと振りずつの『刀』を佩いていた。
(なん……だ? こいつら……?)
茫洋と輪郭のはっきりしない世界に、紛れ込んだ。
白の貫頭衣を着た、白髪紅瞳の少女と。
東洋風の衣服と装備を身につけた、大男は。
いずれも見覚えのない人物であり。
すわ親子かという想像も浮かんだが……
(……なんだ、あれ……つの……?)
しかし大男には、少女にはないものがあった。
それは頭角。
額の両脇から皮膚を貫いて天へと伸びる『二本角』であり、肌色もまた、西洋人らしい少女の色素が薄いそれとは異なり、男は東洋人のような象牙色である。
流石に当時はそうした論理的な思考で結論に至ることはなかったが。
それでも直感として。
なんとなく、理解していた。
おそらく彼女と彼は、親子ではない。
それどころか同じ種族ですらない。
人と鬼。
二十年以上をニホンという国で過ごしてきたヒビキの常識では、考えられない組み合わせだ。
(……え? ……なにこれ、やっぱり、ゆめなのか……?)
思考が安定しない。
自我が定まらない。
波打つ水面のように、自己と世界の境界が曖昧だ。
(……だめだ……もう……なにも、かんがえられない……)
気まぐれに浮上していた意識が。
再び水底へと、沈んでいく。
そうしたヒビキの内面における、変化に反して。
ただ無意味に頭上を見つめ続けていた無垢なる瞳に、それを見下ろす大男が、愉快そうな笑みを浮かべた。
「くかかっ、良し、良し、良き面構えだ。年端もいかぬうちから某を睨み返すとは、中々の肝の座りようよな。きっとこの御仁は鍛えれば、良き武士になれるで御座ろう」
「ちょっとテッシンさん! だからあんまり顔を近づけないでください! この子が怯えて泣いてしまったらどうするつもりですか!? 殺しますよ!」
「ぬはは、それもまた一興よな」
「んもうっ!」
少女の物言いなど意に介さず。
興味深そうに。
こちらを覗き込んでくる大男だが。
「……ぷひー」
すでにそのとき自我を手放したヒビキの意識は、別のものへと移動していた。
「ぷぎー、ぎー」
「……あっ♡ こらこら、ダメですよっ♡ めっ♡」
「あむあむ」
こちらを見下ろす都合上。
先ほどから頬に当たっていた、少女の白髪。
紅葉のような掌で掴んだそれを、口に含んで。
あむあむと、歯の生えそろっていない口腔で、咀嚼する。
当然ながら美しい白髪は唾液に塗れ、生理的な不快感を伴うはずなのだが、それでも少女は笑っていた。
ダメダメと、言葉では躾を行いつつも。
本当に、嬉しそうに。
心から幸せそうに、微笑んでいた。
「……むう、その様子ではもしや、腹を空かしておるのではないか?」
「……っ! ああ、なるほど!」
大男の指摘によって。
少女は笑顔を崩し、狼狽を見せる。
「ご、ごめんなさい、気づくのが遅れてしまって! すぐにご飯をあげますから……テッシンさんは、あっちへ行ってください!」
「うむ」
頷いた大男が、その場を離れると。
「……んっ」
少女は躊躇うことなく自らの胸元をはだけさせた。
「流石に……外は、少し冷えますね……」
などと、小言を漏らしつつ。
内側からの液体を滲ませた胸巻きを外すと、全体的に色素が薄い少女において、そこだけは色が濃いめである突起が、外気に晒されることでピクンと震えた。
「ぷぎー! ぷぎー!」
すると視覚か。
あるいは匂いか。
はたまた本能かなのか。
とにかく『何か』を察したヒビキが、喚き始めると。
によによと、少女の笑みが深まった。
「はいはい、お待たせしてしまいました。たっぷりと召し上がってくださいねっ♡」
「あむ、あむ、んくっ」
「……んっ♡ よしよし、いい子いい子♡」
それは彼にとって、必要な行為。
少女も当たり前と認識している、生理現象。
とはいえこれより数年後に。
当時の記憶を思い返せるようになったヒビキが、羞恥のあまり悶え苦しむようになるのは、また別のお話であった。
【作者の呟き】
初手搾乳プレイ。
こういうのは後になるほど触れにくくなるから、初っ端にぶち込んでおいたほうがいいですよね!(ただ書きたかっただけ)