第一章 【18】 作戦会議②
〈ヒビキ視点〉
ヒビキがこの異世界に転生を果たしてからの、六年間余り。
前世の記憶を取り戻してからは、五年ほど。
その間に。
どれだけ、理不尽に拒絶しても。
辛辣に冷たく、あしらおうとも。
結局こうして、最後まで。
行動を、共にしてきた。
今世の母親である少女……マリアンに対して。
(……でも……そんなコイツに、俺は……)
最初に抱いた感情は。
八つ当たりのような、憎しみだった。
しかしこの勇聖国で、半ば強制的に。
数年間にも渡る、共同生活を過ごすうちに……
マリアンの、直向きさと、愚かさ。
気高さと、幼さ。
狂気にも似た、信念と。
それを貫くことができる、強さなどを。
間近で見せつけられてきた、ヒビキは。
(……っ!)
感謝。後悔。鬱憤。反発。
期待。諦観。親愛。否定。
もはや自分でも、真意を掴めない。
複雑な感情を、抱いていた。
「ですが! それはそうとして!」
そうしたヒビキの、心の揺らぎを。
知ってから知らずか、マリアンは。
「テッシンさん!」
ヒビキに注いでいた視線を。
グルリと、反転させて。
「やはりこのような博打は、危険過ぎますよ!」
自分たちを野次馬していた大男……テッシンへと、向けていた。
「今からでも遅くはありません! ここは慎重を期して、実行の日にちを、改めるべきです!」
完全に、想定外の出来事である。
浄火軍の派遣という、異常事態に直面して。
脱出計画の、一時中止を訴える。
マリアンであるが。
「……いいえ、マリアン殿。それは承服できかねます」
首を、横に振ったのは。
テッシンの従者である狐人……カエデであった。
「カエデさん!? しかし――」
「――マリアン殿の危惧は、ごもっともです。ですがもしも……仮に、此度の派遣が、単なる偶然ではなかった場合、今回以降の敵方の動きが、此度の規模を下回るという保証など、ありません」
「……っ! それは……っ!」
「そうでなくてもこの森には、すでに多くの『囮』を、ばら撒いております」
少しでも、浄火軍の足を止めて。
転移魔法までの、時間を稼ぐために。
今までは隠し続けてきた、自分たちの痕跡を。
この森には、あえて。
いくつも、残しているのだ。
「あれらがある以上は、今後、敵が追跡の手を緩めることはないでしょう」
「そ、そんなもの! 今からでも私が飛んで、回収してきますよ!」
たしかに。
マリアンが所有する、空間魔法のひとつ。
視認による、空間把握や。
魔道具などによる、座標を用いて。
空間を転移する〈空間跳躍〉を用いれば。
今からでも、森のあちこちに残した囮を回収することは、可能なのかもしれない。
「ですがそれはそれで、相応の危険が生じることは、否めません。どちらにせよ賭けにでなければならないのなら、土壇場での無計画な変更は、むしろ愚策であると、具申させていただきます」
「……っ!」
魔力を大量に消費する、魔法とは。
魔力探知に察知され易いことは、常識である。
通常時ならば、まだしも。
こうして敵勢力が、散らばっている現状で。
不用意な行動は悪手である、と。
危険を訴える、カエデの言い分は。
もっともである。
はずなのに。
「カエデさん……貴方はそれで、本当に、よろしいのですね?」
「……ええ、問題ありません」
女たちの間に漂う、奇妙な緊張感。
(……?)
意図がわからずに。
ヒビキが首を、傾げていると。
「――それならば、ヒビキくん!」
マリアンの紅瞳が……グワッ、と。
ふたたび豚鬼に、固定された。
「不測の事態が起きたときは、迷うことなく、この共鳴板を使ってくださいね! どこにいても、ママが即座に、駆けつけますので!」
「お、おう……」
「というか、特に用事などなくても、ママを呼びつけてくださって構わないのですよ!? 喜んで、駆けつけますからね!?」
「いや、それはいいから……ちゃんと自分の持ち場を、守ってくれや」
「了解です!」
ビシッ、と。
見事な敬礼を、とりつつ。
「あの……あと、『お守り』は? ママが作ったお守りは、ちゃんと身につけてくれて、いるのでしょうか……?」
「……まあ、一応な」
マリアンに、催促されて。
掲げてみせた、ヒビキの手首には。
白糸で織り込まれた、刺繍編輪が。
しっかりと、結ばれていた。
「……っ! ありがとうございますっ!」
それを目の当たりにした、マリアンが。
目に涙を浮かべて、頭を下げてくる。
「……いや、なんでアンタが、礼を言うんだよ? 普通逆だろ?」
「だ、だって、ヒビキくんがママのプレゼントを身につけてくれるだなんて……ママ、本当に嬉しくて、嬉しくて……っ!」
「……」
「叶うことならいっそ、その腕輪に生まれ変わって、永遠にヒビキくんを、肌身離れず見守り続けたいくらいですっ!」
「……あれ? なんか、上手く外れねえな……キツく結び過ぎたか?」
「み゛ゃああああっ! ダメええええっ!」
わりと本気で。
編輪を外そうとする、ヒビキであるが。
「これ、ヒビキよ。独断で皆の輪を、乱すでない」
「そうですよ、ヒビキ殿。せっかくマリアン殿が、ご厚意で用意してくださった、縁起物なのですから、粗末に扱ってはなりません」
「そうですぞ、ヒビキ坊や。なにせ古来より、乙女の体毛を用いた飾りには、破邪の力が宿りますからなあ。それが聖人のお御髪ともなれば、効果は、覿面でしょうて」
同じ編輪を、手首に嵌めた。
テッシン、カエデ、ハクヤからも。
それぞれに制止の言葉を、向けられて。
「……ぐう」
前世がわりと、単独傾向で、あったため。
実は『仲間とお揃い』という道具に憧れていた、転生者は。
同調圧力に、屈してしまう。
「……っていうかこれ……いや、薄々は、察してはいましたけどね? これってやっぱり、コイツの、髪の毛なんですね……」
「はいっ! たっぷりと、魔力と願いを込めて、編み込みました!」
「……」
「あ、もちろんヒビくんのミサンガは特別製なので、ママの愛情がたっぷりですよっ♡」
「…………」
その所為だろうか。
心なしか、ねっとりと。
手首に巻いた編輪が、這い寄るように。
絡みついてくるような、錯覚を覚えてしまう。
(……なんか、変なもんが混じってたりして、呪われたりしないよな?)
前世においては。
そうした倫理観が高い、義妹から。
度々に『兄さん、女からの手作り品なんて、私以外からは軽率に受け取っては駄目ですよ?』『危険ですから、一度渡してくださいね?』『しっかりと検閲したうえで、処理しますので』などと、注意を促されていたものだ。
(でもコイツのこういう、キモい言動も、これでいよいよ、見納めか……)
今日という日を、終えてしまえば。
おそらくマリアンとは、もう二度と。
顔を合わせることは、ないのだろう。
(だったら、まあ……無理矢理だったとはいえ、色々と、世話になったんだ。これくらい貰っておいても、バチは、当たらねえよな?)
そうした思惑が、あるからこそ。
マリアンもまた、こうした手製のお守りを。
用意したのかもしれない。
「……つーかよお」
とはいえ、そこは。
天邪鬼な、自覚のある。
転生者で、あるからして。
素直にお礼の言葉を、口にはできずに。
代わりにいつもの、皮肉が漏れた。
「その長ったらしい髪、いい加減に切れよ。邪魔じゃねえのか?」
「えっ……そ、それはまあ、ヒビキくんが切れと言うのなら、切りますが……」
すると、いつもの軽口なのに。
マリアンが……あわあわ、と。
妙に動揺した態度を、みせて。
「……そ、そんなに、お気に召さないでしょうか……?」
不安げに、紅瞳を潤ませて。
しおらしく、反応を窺ってくる。
「ヒビキ殿。髪は女の、命です。それはあまりに配慮を欠いた、発言ですよ?」
これには同性である、カエデが。
怒気で、狐尾を膨らませつつ。
口を挟んできて。
「然りですぞ、ヒビキ坊。髪というものは、儂らのような術者にとって、大事な魔力の保管庫でもあります。それを断てと物申すは、些かに、乱暴な物言いで御座ましょうて」
さらに、魔術士である精人の翁……ハクヤに。
釘を刺されて。
「全く、この馬鹿弟子は殆に、女心がわからぬと見える」
そのうえ、お前にだけは言われたくない師匠……テッシンからも。
追撃を、受けてしまっては。
「い、いやべつに俺は、そういうつもりじゃなくて……」
ヒビキとしても。
たじたじに、なってしまうわけで。
「で、でしたら……に、似合うで、しょうか?」
足首まで届く長い白髪を、掬い上げながら。
モジモジと、照れるようにして。
上目遣いで問うてくる、マリアンが。
(こ、コイツ……っ!)
あざとい、とは思うものの。
尋常ではない、可愛らしさを。
否定できる、空気ではない。
「……っ!」
咄嗟に、目を逸らせば。
「……ヒビキ殿?」
撤退など、許すまじと。
目を細める、カエデの微笑みがあって。
「ヒビキよ。想いとは、言葉にせねば伝わらぬものぞ?」
「ふぉっふぉっふぉ。道理ですなあ」
テッシンや、ハクヤもまた。
完全に、野次馬の顔なので。
(チ、チクショウめ……っ!)
逃げ場など存在しない、ヒビキは。
ようやく、観念したのだった。
「……っ、あ、ああ、似合ってるよ! 似合ってるし、普通にキレイだと思うから、その髪、大事にすればいいじゃねえか!」
「……っ! はいっ、ありがとうございます! ヒビキくんに褒められたこの髪は、もう一生、切りません!」
「……いやマジで、そういうトコだぞ? 冗談だとしても男はホント引くからな、そういう発言」
「でしたらいっそ記念に、全部ヒビキくんに、差し上げましょうか?」
「いらねえよ! 何だよその、猟奇的な発想! そんな大量の毛束もらって、一体俺に、どうしろっていうんだよ!?」
「えっと……マフラーでも、編みますか?」
「いやだよそんなの。なんか勝手に、ギュッと締まってきそうで怖い」
「そんなことしませんよ! ただそっと、抱擁する程度です! たぶん!」
「ほら、自我を持っちゃってるじゃん! 完全に呪物じゃん!」
「呪いではありません! 込められているのは、あくまでママの愛情です!」
ふんすと、鼻を鳴らして。
「ですが、お守りはあくまでお守りなので、それに頼ることなく、身の危険を感じたら迷わずに、ママを呼んでくださいね! どこにいても、どんなときでも、すぐに駆けつけてみせますので!」
「……」
どれだけ拒絶しても。
どんなに手酷く傷つけても。
お構いなしに。
どこまでも真っ直ぐに。
ズカズカと、土足で。
人の心に上がり込んでくる、マリアンを……
「……ああ、そうかよ。勝手にしな」
「はい! 勝手にします!」
ヒビキは、やはり。
直視することが、できなった。
⚫︎
……あれから数年が、経ったのち。
今でもヒビキは、後悔している。
何故、もっと。
あのときの自分は、マリアンに。
優しくすることが、できなかったのか。
どうして愚かな息子は、偉大なる母親の愛情に、応えようとしなかったのか。
全ての後悔は、過去からやってくる。
そしてどんなに、嘆いたところで。
過去というものは、変えられない。
だからこの後の、惨劇は。
自分が一生、背負うべき罪なのだと。
ヒビキは、いつまでも。
己の愚かさを、悔いていた。
【作者の呟き】
最後にちょっと不穏な独白を挟みましたが、大丈夫です。
ママは不滅です!(断言)




