第三章 【31】 二日目 混線③
〈ラック視点〉
「ね〜え〜、リーダー? もういい加減に、許してやりなよ〜? ヒーくんが可哀想だよ〜?」
「ハオ。べつにヒビキ、悪いこと、していないネ。ボスの八つ当たり、見苦しいヨ」
「う、うっせえなあ! べつにあんなボケカスのこと、なんとも思ってねえっつーの!」
公開試験の二日目にして。
早くも、退場者が出てしまったことで。
一部には波紋が広がっているようだが……
それでも全体としては、間もなく始まる試験に向けて意欲を燃やす受験生たちが集っている、待機広場の光景である。
初日とは異なり、受験生たちが持ち込む手荷物や魔道具、使役獣などの検閲があるために。
すでにそれを終えた者たちには。
運営側からの、思惑もあって。
こうして長めの待機時間を、強いてしまっているわけだが……
そんな彼らを、ただ放置しておくわけにもいかないため。
いちおうの巡回警備をしている試験官たちの中に、冒険者ギルド〈導きの灯火〉に所属する〈無礼悪鬼〉の面々……青鬼のキール、緑鬼のバオ、赤鬼のラックらの、姿があった。
「え〜? でもさ、でもさ〜? 昨日の一件だって、ヒーくんたちとっても活躍して、ギルドに貢献したっぽいんだしさあ〜? ここは先輩として、カンヨーな心意気? ってやつを、見せる場面なんじゃないのかな〜?」
「だいたい昨日の野次は、大人気ないにも、ホドあるネ。アトで話聞いて、ワタシ、吃驚ヨ。会長や監査官の前でまで野次飛ばすとか、大人のすること、違うネ。フォローしてくださった皆サンに、感謝感謝ヨ」
「だあああああもうっ、うっせえなあ! いいだろ、別に!? とくにお咎めはなかったんだし、今もわざわざこうして、ツラ拝みに出向いてやってんだからよおっ!」
そもそもからして。
多少の縁が、あったため。
それなりに目をかけてやっていたというのに。
そうした自分の好意を裏切って、陰でコソコソと愛娘にちょっかいをかけていた、あの豚鬼が悪いのだ。
(エステートの種豚だかなんだか知らねえけど、チョーシこきやがって!)
とはいえ、駆け出しの冒険者が。
ひょんなことからその実力を、評価されて。
周囲に持て囃されることで、浮かれた言動をとってしまうことは。
そう珍しい、ことではない。
というか、ある程度の高みにいる冒険者であれば。
誰もが一度は経験する、通過儀礼とさえ言えるだろう。
であるなら、だ。
(そうやって伸びた鼻っ柱あ叩き潰してやんのも、冒険者たちの役割だろうがよおっ!)
どうせ一度増長した若者は。
物腰穏やかな賢者が、どれだけ正論を諭したところで。
聞く耳を持つはずなど、ないのだから。
だったら手っ取り早く、格上である先輩の冒険者が。
実力で思い知らせてやるのが、冒険者の流儀というものだ。
よって期待の新人にこそ、より一層に厳しく接するべしという方針が、ラックの中にはあるために。
今の自分の行動が、それに矛盾しているとは思わない。
(だいたいあのブタ野郎、オレ様にチキってんのか、ラーナとの付き合いをコソコソと隠しやがって! それが気に食わねえ!)
とはいえ……そこに。
少しばかり。
個人的な感情が混じっていることも、否定はしないが。
というか。
(男なら誰が相手であれ堂々と、女に手え出せってんだ! そしたらオレ様が即座に、ブッ潰してやるのによお!?)
いちいち相手の顔色や立場を伺いながら、女を口説こうとする輩など。
ラックは同じ男として、認められない。
まあ仮に、素直に白状したとしても。
愛娘を溺愛する赤鬼とは、確実に、一悶着が発生するのだが。
それでも、面倒毎を厭うて、周囲に隠れたまま女に手出しするような輩よりは、よっぽどマシだ。
(ったく、マジで見損なったぜ、あのボケカスがあっ!)
とはいえ……とはいえ、だ。
誰にでも、少なくない過ちがあることは。
赤鬼自身としても、認めざるを得ないところではあるし。
たしかに、キールやバオたちの指摘するように。
先輩冒険者。
あるいはAランク冒険者としても。
取るべき対応や、責任というものがある。
それに一応は……あまり効果があったようには見えなかったが……昨日の試験中に、少しばかりの『お仕置き』をしたという事実があるわけだし。
その後、これは完全に偶然だが。
先日の試験後に、更衣室で発生したという盗難事件において。
巻き込まれた豚鬼が。
ギルドにとって、高評価につながる対応をみせたらしいので。
罪と徳を、相殺して。
許しを与える口実もできてしまったために。
ラックとしてはまだまだ、消化不良が否めないものの……
(……オレ様は、大人だからな。人生の先輩として、素直に謝るなら、ちゃんと許してやんねえとなあ)
流石に愛娘との、お付き合いを。
認めるつもりはないが。
というかまだ年齢一桁後半の幼女に、そういうのは、早すぎると思うのだが。
少なくとも結婚までは、清い関係を厳守してもらうし。
もうあと二十年くらいは、父親として、娘との想い出をたくさん作っていきたいのだが。
そういうあれこれは。
ひとまず、横に置くとして。
先輩冒険者として、生意気な後輩に。
汚名返上の機会を与えてやらねばと。
赤鬼とて、そう考えてはいるのだ。
だから。
(とっととラーナとの関係をゲロって、しこたまボコらせやがれ、ボケカスがあっ)
本来なら、あちらから出向くところを。
こうしてわざわざ、自らの時間を割いてまで。
鬱憤の元凶である、豚鬼のもとに。
足を運ぶ、ラックたちであるのだが……
「……ん? おやおや〜? なんだろ、あれ? ヒビキくんたち、いったい何やってんの〜?」
「オビイ嬢? と、知らない男ネ」
ガヤガヤと、好き勝手なことを言いながら。
赤鬼に同行していた、青鬼と緑鬼が。
首を傾げる視線の向こうに。
(んだあ、ありゃあ? あの肌色と鬼角は、森雄鬼か?)
何やら周囲の参加者たちから距離を置かれ、集団から浮いてしまっている、豚鬼一行の姿があって。
そのうちの一人である、美しき赤髪の女蛮鬼が。
両手と両足を、大の字に広げて。
堂々たる無防備を晒す、森雄鬼の胴体に。
ズドッと、一切の遠慮が見受けられない、一撃を見舞うことで。
森雄鬼がその場に、両膝をついて。
悶絶している、意味不明な場面に。
遭遇してしまうのであった。
⚫︎
〈ヒビキ視点〉
ヒビキと森雄鬼の青年……グレイとの。
肉体交流的な一幕から、やや時間を置いて。
なんとか体調を回復させた、森雄鬼が。
ちょうどそこに、銀狼を伴って合流してきた女蛮鬼……オビイに向かって。
先ほどと同じ口上を、述べたことで。
「ぐふう……かはっ! くうっ……さ、さすがオビイねえや、大した一撃だんべ……っ!」
「……お前こそ、微動だにしなかったな。見事だ、これにてオビイ・メラ・ライズの名にかけて、此度の一件は完全に水に流すと、種婿と一族に誓おう」
「か、感謝するっぺよ、オビイねえや……それに、ヒビキどん……っ!」
全く遠慮のない一撃を、即座に叩き込んだ女蛮鬼と。
その隣に並ぶ、顔を引き攣らせた豚鬼に。
再び顔を青ざめさせた、森雄鬼が。
自分の意を汲んでくれたことへの、感謝を述べるものの。
「……いやこれ、明らかにやりすぎじゃねえ? 完全に過剰報復じゃねえの?」
それを半ば強制的に、受け取らされたヒビキとしては。
試験前からすでに、息も絶え絶えな有様のグレイに。
もはや罪悪感すら、覚えていた。
「なに言ってんすか、アニキ!? 危うく犯罪者にされかけたんですから、むしろまだ、甘いくらいっすよ! むしろもう一、二発くらいは、いっとくべきですって!」
そんな兄貴分に、なお追加の制裁を求めてくる。
鼻息荒い牛鬼……タウロドンや。
「それにしてもオビイ嬢は、ヒビキ氏と違って、惚れ惚れするほど一切の迷いがなかったですねえ……あはは、ざまあ森雄鬼っ! これに懲りて、イケメンなら誰もが手加減してくれるなんて、思わないことですねえっ!」
地面に両手をついて悶える、美形の森雄鬼を見下ろしながら。
愉悦の哄笑を漏らす賢鬼……モリイシュタルに。
「……お前はマジで、彼の爪の垢でも煎じて、少しはあの漢気を見習うべきだピョンね」
そんな冒険仲間に、ありありと蔑みの視線を注ぐ。
軽装の兎人……ミミルと。
「グルルルルッ、ワンッ!」
それに肯定の意を示す銀狼……ポチマルたちによって、形成された。
人垣の、外側から。
「……いやお前ら、いったい何やってんだよ? 試験前に減点くらいてえのか?」
唐突に姿を現した、先輩冒険者であるラックや。
「う〜ん、みんな朝から、元気だねえ!」
「有り余る若さ、若人、特権ヨ」
それに続いて顔を覗かせてくる、キールやバオの、登場によって。
「っ!? ら、ラックさん!?」
ヒビキが露骨に、表情を凍らせたことで。
「……ああん?」
そうした豚鬼の態度に、ピクリと。
赤鬼の眉尻が、跳ね上がった。
「……こ、これは違うんです! 誤解なんですよ、ラック氏!」
そうした赤鬼の反応に。
すかさず揉み手を捏ねまくる賢鬼が、前に出て。
卑屈な笑みを浮かべながら、弁明の言葉を口にする。
「これは僕たちが一方的に、暴力を振るったとかじゃなくて、むしろこれは、彼自身が望んだことなんですよっ!? ……ですよねっ、グレイ氏!? 貴方からもちゃんと、説明してください!」
「お、おう、その通りんだあ……これはオラが、ヒビキどんらにお願いしたこったべよお……っ!」
そうしたモリイシュタルの、物言いを。
グレイ自身が、肯定してみせたことで。
「んんん〜? いまいち状況が読めないんだけど、つまりいったい、どういうこと〜?」
「ワタシたちにもわかる説明、お願いネ」
「ウッス、バオさん。つまりですねえ……」
改めて説明を求められた、タウロドンが。
手短かつ、簡潔に。
状況説明をしている間も……
「……」
じっと、物言いたげな赤鬼の視線が。
冷や汗をかく豚鬼の頬には、突き刺さっており。
(ななな、なんでラックさんが、このタイミングでっ!? まさかもうラーナさんのことを、聞きつけていたりするのか!?)
こちらを窺うような視線から。
一瞬、そのような想像が頭を過ぎるものの……
(……いいや、それはない! ラックさんの性格なら、この件を知った瞬間に、街中に飛び出して行っているはず! でも、だったらあの、何かを待っているような視線はどういう意味………………はっ! まさかラックさん、確証はないけど何らかの情報を耳にして、俺から裏どりしようとしているのか!?)
ならばこうした、ラックの不可解な態度にも、説明がつくし。
であるならば。
尚更に。
自分がその疑念に、致命的な決定打を、叩き込むわけにはいかない。
(言えねえ……ここで俺が口を滑らせて、ラックさんを暴走させることだけは、避けねえと……っ!)
例えあとから、事が露見して。
赤鬼から恨まれることになっても。
現時点ではそれが、ギルドを含めた全体の対応であるし。
何よりも長期的に見れば、彼自身のためでもある。
そうした諸々を加味して。
この場では泥を被る覚悟を決めた、豚鬼が。
出来うる限りの、にこやかな笑みを浮かべて。
先輩冒険者に声をかけてみた。
「ラックさん、おはようございます。先日はどうも、お世話になりました」
「……おう。まあな」
その、下手に出ているようにも見える、ヒビキの態度に。
何を感じたのか。
ラックの表情に、不快が浮かぶものの。
「……ふむ。流石に今朝は、昨日のような暴言を吐かないのだな。ということはあれはやはり、度が過ぎたヒビキへの激励という解釈で、間違いないのか?」
先日に聞き及んでいたものとは明らかに異なる、そうしたラックの対応に。
疑念を抱いていたらしいオビイが、割り込んで。
さっさと話を進めてしまう。
「……ああん? まあ、そんなところだ。それともそこのボケカスは、それが不服だってのかあ?」
「い、いえいえいえ! そんなことは、滅相もありませんよ!」
「……念の為に言っておくが、本当にヒビキは昨晩も、お前の陰口など一切叩いていないからな? そこは邪推してくれるなよ?」
「はっ、そりゃ結構なこって。……ただなあ、ボケカス」
そうして矢面に立とうとするオビイを。
強引に、押しのけて。
「テメエ……オレ様に何か、言うべきことがあるんじゃねえか?」
向けられた、その質問に。
ビクンと、豚鬼の心臓が、飛び跳ねたのだった。
【作者の呟き】
シリアスさんがもう、息をしてしませんねえ……。