第三章 【29】 二日目 混線①
〈ヒビキ視点〉
「あ、あの……大丈夫ですか、アニキ?」
交易都市の一大風物詩である、公開試験の、二日目である。
先日から引き続き。
本日もまた、早朝から。
試験の舞台である交易都市は、普段以上の賑わいを、見せており。
そうした、試験観戦を目的とした人々によって生じる人垣を、掻き分けながら。
他の受験生たちから、やや遅れて。
本日の集合場所に顔を出した豚鬼に向けて。
心からの気遣いを、浮かべるのは。
身の丈二メートルを超える、巨漢の牛鬼……タウロドンであり。
「なんか妙に、やつれてません? ちゃんと昨日、寝ましたか? 目の下にクマできてますよ?」
指摘する、その言葉通りに。
まだ試験は、始まってすらいないというのに。
朝からすでに疲労感を滲ませている、豚鬼に向かって。
「おやおや、ヒビキ氏〜? 昨日のあの流れで、昨晩はオビイ嬢と、かなり盛り上がっちゃった感じですか〜? かーっ、羨ましい限りですねえボロロロろおッ!?」
息をするように、下卑た邪推を吐く。
片眼鏡の賢鬼……モリイシュタルの、鳩尾に。
「年中盛ってるのは、頭がお花畑なお前だけだピョン。その腐った脳みそを邪念ごと吐き出して、少しは中身を入れ替えるといいピョンよ」
すぐ近くにいた兎人の少女……ミミルが。
鋭い一撃を、叩き込んで。
速やかに、教育的制裁を与えていたのだが。
「は、はは……大丈夫だから、俺のことは、気にしないでくれ」
そうした彼らの関心を寄せられた、豚鬼は。
苦笑を浮かべて、言葉を濁すしかない。
なにせ。
(言えねんだよなあ……ラックさんの娘さんであるラーナちゃんが、昨晩から、行方不明になってるだなんて……っ!)
昨日に、発生した盗難事件に。
紆余曲折の末、ひとまずの区切りをつけて。
予定よりもかなり遅めの帰宅となってしまった、ヒビキたちであるが。
滞在している宿屋で待っていたのは。
出迎えの言葉……などではなくて。
酷く狼狽した鬼人女将……ユーナからの。
失踪した孫娘の、所在を求める。
悲鳴に近い、嘆願であった。
(あれから今朝までしらみ潰しで街中を探してみたけど、けっきょくラーナちゃん、見つからなかったし……)
当然ながら。
顔見知りである看板娘の失踪を知った、豚鬼たちは。
食事を摂ることすら忘れて、すぐに失踪した鬼人幼女……ラーナの、姿を求めて。
夜の交易都市へと、飛び出していき。
その過程で偶然、鉢合わせとなった。
帰宅の途中であったラーナの母親……リーナもまた。
本日も職場まで弁当を届けに来ていたという、娘の失踪を。
知るところとなったために。
彼女を加えた、豚鬼率いる捜索隊が。
心当たりをしらみ潰しに、探し回ってみたものの……
捜索の結果は、芳しくないものと、なってしまったのだった。
とはいえ。
(……でも、やれることはやったんだ。あとはもう、ギルド会長に任せるしかないか)
そうした関係者たちによる、懸命な捜索活動が。
全く身を結ばなかった、というわけでなくて。
とくに不幸中の幸いと、呼べるのが。
最後にラーナの姿が目撃されたという、彼女が昼間に弁当を届けるため赴いていた、冒険者ギルドでの出来事である。
すでに深夜と呼べる時間帯が、近かしかったため。
最低限の照明だけが灯された、〈導きの灯火〉の拠点にて。
ここ数日は、街中が公開試験に熱中しているため。
依頼が激減していることから。
食堂が併設されている受付広場には、普段は屯しているという冒険者たちの姿が、ほとんど見受けられたなかったものの。
一方で、普段以上の書類仕事が舞い込んできているらしい、事務職のギルド職員たちは。
まだ少なくない人数が、残業に従事していたために。
ヒビキたちとともに、ラーナを探しながら。
とうとう退勤したギルドまで、引き返してきてしまったリーナが。
そうした同僚たちを、片っ端から捕まえては。
行方不明となった娘の目撃情報を、尋ねていると……
『……おやおや? こんな時間に、随分と慌ただしそうだね。何か問題でもあったのかな?』
そこでまたしても、偶然に。
昨晩も遅くまで残業していたという童顔会長……ライト・キャンドルと。
『リーナさん? いったい、如何がなされたのですか?』
その片腕とされる精人秘書……ミーアレイに。
ばったりと、遭遇することで。
ラーナの失踪という、異常事態を。
意図せず共有することに、なったのだった。
『……なるほど、ね』
そしてリーナの雇い主である、童顔会長は。
明確に職業倫理に違反している、狼狽しきった様子の母親を、その場で責めることなどせずに。
『よしわかった、これも何かの縁だ。微力だけど僕たちも、ラーナくんの捜索に、加えてもらっても大丈夫かな?』
むしろ事情を知ったあとは、積極的に。
鬼人幼女の捜索に、協力してくれたわけであるが。
その一方でやはり……
彼には、組織を束ねるものとして。
守らなければならない線引きが、あるようで。
『……でも、本当に申し訳ないんだけどこの一件は、せめて公開試験が終わるまでは、一部の冒険者……具体的にはラックくんには、伏せさせてもらうよ?』
至極、申し訳なさそうな表情で。
そんな言葉を口にする、童顔会長曰く。
都市を挙げた、公開試験において。
試験官という依頼を受注した、冒険者は。
参加者たちの試験結果は勿論のこと、その成果を対象した莫大な金額の動く賭場などへの、情報漏洩を防ぐために。
たとえ、如何なる理由があろうとも。
公開試験が終わるまでは、外界から隔絶された状態で。
所属するギルドの監視下に置かれるという旨が。
契約内容に、明記されているのだという。
つまり。
『あの親馬鹿なラックくんが、愛娘の失踪を知れば……そりゃあ、ねえ?』
Aランク冒険者として。
相応の良識と良心を、持ち合わせてはいるものの。
根幹に烈火の気質を持つ、あの赤鬼が。
こうした緊急事態においては、世間体よりも。
自らの最優先要案件を、優先させることなど。
火を見るより明らかであるし。
そしてこの公開試験中に、衆目のもと。
迂闊にそんな真似を、晒してしまえば。
ギルドの信頼以外にも、多くの関係者が被害を被ることは、想像に難くない。
たとえ後で、彼からの信頼を損ねることになるとしても。
全体の損得勘定を鑑みて。
一時的にそれを避けようとする、ギルド会長の選択は。
ヒビキとしても、理解が及ぶものであるし。
またかつては赤鬼の伴侶であった、受付嬢としても。
普段は邪険にしている彼に、こんなときにばかり頼ることには、抵抗があったのか……
『……はい、わかりました。会長のご指示に、従います』
葛藤の末に、上司のそうした意見を。
呑むかたちとなったのだった。
『まあこの状況だと、仮にラックくんが捜索に加わったところで、目に見えるような進展があるとは思えないし……これは完全に気休めだけど、いちおう僕の「占い」でも、ラーナくんはまだ無事だっていう結果が出ているから、さ。ここでヤケになったりせず、落ち着いて、今はとにかく使える手札を使って、できることからひとつずつ、やっていこうじゃないか』
けれども、童顔会長の。
冷血ともとれる、そうした対応は。
なにも、自分たちの立場を守りたいがゆえの、無責任なものではなくて。
『……ふむ。あながちその占いとやらは、間違っていないのかもしれないぞ』
豚鬼からの信頼が厚い女蛮鬼も、また。
童顔会長の意見を、肯定していたように。
最低限の『根拠』があってこその、判断であった。
なにせ。
『こうしてポチマルの嗅覚でも、行方を追えないのだ。となるとあの娘は、閉ざされた部屋にでも、閉じ込められているのかもしれないな。いや、むしろ本当に誘拐されているのだとすれば、逃げ出さないようにそう扱われていると考えるほうが、自然だろう』
同日に起きた、盗難事件においては。
八面六臂の活躍を見せた銀狼……ポチマルの。
優れた嗅覚を、もってしても。
此度の失踪した幼女の行方を追えなかったという事実から、逆算して。
導き出された推測は……ある意味では。
価値のある人質の身柄を、保証するものであり。
『うん、その可能性も、十分に有り得るよね。だからここは癪だけど、下手に事を荒立てずに、あちらからの反応を待つのも、ひとつの手だと思うんだ。勿論こっちはこっちで可能な限り、目立たないように手は回してみるけどね』
とにかく焦って短慮だけは、控えるべきだと。
念押ししてくる、童顔会長は。
『まあこっちは、そんな感じでは動いてみるからさ……キミたちはもういい加減に、試験会場に行きたまえよ。ラーナくんの身を案じる気持ちはわかるけど、キミたちにはキミたちの、やるべきことがあるのだろう?』
未練タラタラな豚鬼を、強引に。
試験会場へと、送り出したのであった。
(……わかっている。頭じゃちゃんと、わかってんだよ。きっとこの状況であれ以上、俺がジタバタしたところで、事態は好転なんかしないだろうし、そっちにかまけて試験を蔑ろにしちゃいけない立場だってのも、ちゃんとわかっちゃいるんだよ!)
そのような経緯で、完徹状態のまま。
断腸の思いで、鬼人幼女の捜索を、一時切り上げて。
本日の試験会場へと、足を運んだ豚鬼であるのだが。
(でも仮に……ラーナちゃんが、何者かに誘拐されているとして……だとしたら、犯人の目的はなんなんだ?)
やはり心は、そう簡単に。
割り切ることなど、できないわけで。
(奴隷売買を目的にした誘拐なんかじゃなければ、誘拐や監禁っていう手間暇をかけている以上、なんらかの目的があるはずだけど……でもそれを知ろうとするには結局、犯人の反応待ちになっちまうんだよなあ、チクショウッ!)
寝不足気味な頭の片隅では、どうしても。
グルグルと、答えの出ない鬼人幼女の行方を、案じてしまい。
(……ダメだダメだ、切り替えろっ! これで試験をしくじったら、目も当てられないし、俺ひとりがどう足掻いたところでラーナちゃんを見つけられるわけがないんだから、やっぱりここは、割り切るしかないんだよ!)
意味もなく、何度も頭を振って。
後ろ髪を引かれる自分を、無理やりに納得させつつ。
「……それで」
少しでも気持ちを切り替えようと。
ヒビキは先ほどから気になっていた、自分たちのすぐ近くに控える、とある人物に声をかけたのだった。
「えっと……グレイさん、でしたよね? なんで貴方がここに?」
【作者の呟き】
〈注〉以下ネタバレ〈注〉
今度こそ出番かと期待するシリアスさんには申し訳ありませんが、すでにコメディさんが後方腕組みでスタンバイしてますので、消えた幼女の安否についてはご安心ください。