第三章 【19】 一日目 昼休憩②
〈ヒビキ視点〉
「ヒビキよ。本当に、心当たりはないのか?」
「……いや、心当たりなんて、ないですヨ……?」
「アニキ……? 本当に、大丈夫なんですか……?」
「あ、ああ、問題ないって。たぶん。きっと。おそらくは」
あくまでこちらを心配してくる、美しき女蛮鬼……オビイと。
巨漢の牛鬼……タウロドンに。
己のちっぽけな自尊心を守るため。
勝手に追い込まれている豚鬼が、心苦しさを覚えながらも、嘘をつくと。
「……そうか。ならいいのだが」
現在ヒビキたちのいる食堂には、自分たちの他にも、衆目があるために。
基本的に、種婿を立ててくれる花嫁は。
これ以上、この場でことを荒立てるつもりはないようで。
ひとまずは、言及を控えてくれたのだが。
「……」
とはいえ、言葉では否定されても。
あまりに不審な、種婿の態度から。
花嫁は、何かを察しているのだろう。
「…………」
ただ『じと……っ』と、無言のままに。
横手から頬に突き刺さる、視線が痛い。
「……っ! ん、ちょっとトイレ、行ってくるわ!」
そうしたオビイの圧力に、耐えられるなったわけではないが。
視界の端で追っていた『彼女』も。
無事に、食堂を抜け出したようなので。
急いで弁当を胃袋に詰め込んだヒビキは、おもむろに食事をとっていた長机から立ち上がって、そんな言葉を口にした。
「お? だったらアニキ、オレもご一緒しますよ?」
「い、いやいや、いいからいいから! 今回は大きいほうだから! それに付き合わせるのは、流石に恥ずいって!」
「ちょっとヒビキ氏〜? 食事中にお下品ですよ〜?」
「顔面が下品なお前のほうが不快だピョン」
「それもうただの悪口いいいいいっ!」
相変わらず仲の良い冒険者たちを、その場に残して。
「……ヒビキ?」
「じゃあちょっくら、行ってきまーすっ!」
訝しむオビイの視線から、逃れるように。
強引に食堂から離脱したヒビキは、いそいそと。
食堂のある一階に設けられた厠……を、通り過ぎて。
突き当たりにある階段を上がって、階層を跨ぎ。
二階の隅にある、人気のない部屋へと向かった。
(……おっ。ホントに開いてる。このまま中に入って、待っていればいいのかな?)
事前に指定されていた部屋は、施錠がされておらず。
誰もいない部屋で、手持ち無沙汰となったヒビキは。
ひとまずは、手近な椅子に腰を下ろして。
ぶふーと、長い息を吐き出したのだった。
(しっかし……オリビアさん、いったい何の用事なんだろ?)
ヒビキが、身内に嘘をついてまで。
こうして人気のない部屋に、足を運んだ理由は。
午前中の試験で顔見知りとなった一角鬼の少女……オリビアの。
要望ゆえであった。
(ちょっとあの場では言いにくい内容だから、昼休憩中に一人で抜け出してきて欲しいって、言われたけど……)
こうしてわざわざ、呼び出されたとはいえ。
流石に、その内容が。
本日顔見知りとなったばかりの彼女が、自分なんかに好意を寄せているからだなんて、自惚れるほどに。
色呆けはしていないと、ヒビキは自負している。
むしろそうした『好意』の感情は。
女蛮鬼の森里では、四六時中浴びせられていたために。
たとえどれだけ、上部を取り繕うとも。
あのときオリビアの抱いていた感情が、そういった類のものではないと、直感的に判断できていたのだ。
そう、あれはもっと、切実で。
大切なものを、守るために。
覚悟を決めた、決意の表情だった。
だからこそヒビキはほとんど初対面である彼女の申し出を、断ることができずに。
こうして言われるがまま、空き部屋へと足を運んでみたのだが……
(……来ねえな)
五分ほどが経過しても。
待ち人が訪れる気配がない。
(もしかして入れ違った? いやでもちゃんと、オリビアさんがジェリーさんと一緒に、食堂を出るのを確認してから、すぐに俺も後追いしたわけだし……だとしたら、入る部屋を間違っちまったとか?)
一度、疑念を抱いてしまえば。
答えを持ち合わせない不安は、見る間に膨れ上がっていく。
このまま、自分はここにいていいのか。
他の部屋も確認したほうがいいのか。
そもそも昼休憩は有限なのだから、身内から怪しまれる前に、もう食堂へ戻ったほうがいいのではないのか。
(あともう五分だけ待ってみて……来なかったら、悪いけど今回は諦めてもらおうか)
実際に時間を割いて、いちおうの義理は果たしたのだから。
たとえこちらに何かの手違いがあったのだとしても、それはもう、納得してもらうしかない。
そう自分に言い聞かせて。
豚鬼はさらに五分ほど、部屋に居残ったのだが……
結局、そのあとも。
待ち人が部屋を訪れることは、なかった。
⚫︎
「ご、ごめんなさい! わ、わたしのほうに、急に、用事が入っちゃって……っ!」
その後、定刻となり再び組み分け別に移動した、本日最後の試験会場にて。
一角鬼の少女は、ヒビキと顔を合わせるなり。
開口一番に、頭を下げてきた。
「あ、ああ、なんだ、そういうことですか」
如何に、謝罪をされたとはいえ。
実際に、時間を消費して。
それを無駄にされ。
そのうえこちらに、落ち度がなかったともなれば。
否応なく、不満の感情を抱いてしまうのが。
人間というものである。
それはヒビキとて、例外ではない。
(……でもなあ。本当に用事ができちまったんなら、ま、仕方ねえか)
とはいえ予定とは、往々にして。
予想外の事態に、見舞われるものであるし。
少なくとも彼女はこうして、謝罪の意を示しているのだから。
それ以上の責任を求めるのは、ヒビキの倫理観としては、過剰に分類される行動である。
よって。
「……まあ、そういうこともありますよね。それより問題のほうは、大丈夫なんですか?」
「え? あ、はい……そ、そっちも、何とか、なりました……」
「そうですか。それなら良かったです」
今世の見た目よりも、ずっと精神年齢が大人である豚鬼が。
自分の半分ほどしか生きていないであろう少女に、寛容な態度を見せると。
それをどう受け止めたのか。
「……っ!」
額から伸びる一本角を、避けるようにして垂れた。
長い前髪に隠れている、少女の瞳が。
大きく、揺らいで。
「あ、あのっ! その、え、えっと、その……」
「……ん? どうか、しましたか?」
「えと、その、ですね……」
「……?」
やけに狼狽したの様子を見せる少女に。
意味のわからない豚鬼が、じっと答えを待っていると。
「…………そ、その、じつは、わたし――」
「――リズ、いつまでグズついてるでチュか?」
ふたりの間に、割り込んできたのは。
彼女の幼馴染である、鼠人……ジェリーであった。
「もうすぐ試験の順番が回ってくるでチュよ? ちゃんと持ち場につかないと、減点されちゃうでチュ!」
「あっ……ちょ、ちょっと待って、ジェリーちゃん……っ」
いまだに躊躇う様子を見せる鬼人少女の背中を。
グイグイと、小柄な少女が強引に押しながら。
「待たないでチュ。もうアチシらは、進むしかないっチュよ」
「……っ!」
「そういうことなのでヒビキくん、バイバイだチュ〜っ!」
「え、ええ。お互いに、後半も頑張りましょう」
遠ざかってく少女たちの背中に。
豚鬼が、声をかけると。
「……っ! うん、ごめん、ごめんね、ヒビキくん……っ!」
相変わらず、目元は前髪に隠れたまま。
振り返ったオリビアが、そんな言葉を口にしたのだった。
(……ん。なんか妙に、申し訳なそうにしてたけど……)
最後までこちらに頭を下げていた少女の態度に。
後ろ髪は、引かれるものの。
自分とて、このあと試験があるのだし。
そうやって彼女たちばかりに、構っているわけにもいかない。
仕方がないと、割り切って。
ヒビキは気持ちを切り替えた。
(……あと、いねえな。例のゲス野郎。何個が空席あるから、トイレにでも行ってんのか?)
だが、それはそれとして。
大事な花嫁にちょっかいをかけた不届者の、顔くらいは覚えておこうと。
試験会場を見渡せる位置に設けられた、特別観戦席に、視線を走らせる豚鬼であるが。
残念ながらそれらしい人物を、見つけることはできなかった。
(まあいいや。そのうち戻ってくるだろうし、ひとまずは目の前の魔術測定に、集中するか!)
こうしてやや、消化不良な気持ちを抱えつつも。
豚鬼は本日最後の、測定試験に。
集中していくのであった。
【作者の呟き】
シリアスさん「……お? おおっ?」




