第62話 未来への扉
朝の陽光が穏やかに差し込む大聖堂。石造りの壁には彩色豊かなステンドグラスがはめ込まれ、差し込む光とともに神秘的な輝きを放っている。バージンロードの左右には美しい生花が飾られ、参列者のざわめきが静かに広がっていた。
今日はついに、わたし――フェリシア・ローゼンハイムが、ユリウス・アッシュフォードとの結婚式を挙げる日。長い苦難を乗り越えた末に迎えるこの瞬間を、一度でいいから完璧に刻み込もうと、わたしは朝から心を落ち着けるように過ごしてきた。
「遂に、この日が来たのだ」という実感は、教会の静まり返った空気を感じ取るほどに、胸の奥で強く震えている。
「フェリシア様、よろしいですか。ドレスの最終確認を……」
バックステージとも言える控室で、侍女ハンナがわたしの純白のウエディングドレスの裾を丁寧に整える。豪華なレースとパールがあしらわれたそのドレスは、王太子殿下の助言もあり、特別な仕立て屋で仕上げてもらった逸品だ。
鏡に映った自分の姿を見ても、これが本当に自分だとは信じられないほど美しく飾られていて、頬が熱くなる。けれど同時に、心は喜びでいっぱいだ。
「ハンナ……ありがとう。こんなにも素敵なドレスを、わたし、何度夢に描いたか分からないの」
「わたしこそ感無量です。フェリシア様がここまで幸せになられるなんて……。今日、絶対に感動で泣いてしまいます」
「もう、泣くのはわたしのほうよ。ハンナが支えてくれなかったら、こんな幸せな式を迎えられなかったもの」
ハンナが「とんでもありません」と頭を下げる。そんなやり取りをしていると、ガウンに身を包んだ母エレオノーラ夫人が控え室に顔を出した。母は目を潤ませつつ、わたしの姿を見て静かに微笑む。
「フェリシア……なんてきれいなのかしら。あなたが生まれたころは、まさかこんな形であなたの花嫁姿を見る日が来るなんて……本当に感慨深いわ」
「母様……。わたし、いろいろ迷惑ばかりかけてきたけど、やっとここまでたどり着けたのね。ありがとう」
「いいえ、あなたが自分の意志で幸せをつかんだからこそ、この日を迎えられたのよ。それに公爵家としても、あなたの笑顔が見られれば何より嬉しい。さあ、バージンロードへ……父様が待っているわ」
わたしは深呼吸し、控室を後にする。目の前には豪奢な扉が待ち構え、その先には大勢の参列者が待つ式場だ。わたしがドアの前で立ち止まると、そこには父レオポルド公爵がかすかな苦笑を浮かべて待っていた。
「フェリシア、よくここまで来たな。……さっき、ユリウスがすごく緊張している様子だったぞ? お前と同じように落ち着かないと言っていた」
「父様……。わたし、あなたをこんなに困らせたけど、最後はこうして送り出してもらえて幸せ。おかげで自信が持てたわ」
「バカを言うな。親が娘を送り出すのは当たり前だろう。――それに、あの青年の努力には目を見張るものがあったからな。お前が誇りに思う相手なら、私も誇りに思いたい」
「うん……ありがとう。父様、大好きよ」
父が目元を少し潤ませるのを見て、わたしも胸が熱くなる。あの日、王太子との破談や陰謀に巻き込まれたときは、親子関係がどうなるか分からなかったけれど、すべて乗り越えて、今こうして結婚式当日に手を取ってもらえるなんて……。
オルガンの音が始まり、扉がゆっくり開かれる。中から差し込む光が眩しく、わたしの目には赤や白の花が飾られた教会内の風景が飛び込んできた。荘厳な音楽が静かに鳴り響く中、父の腕を借りながら、わたしはバージンロードを歩み出す。
――ドキ、ドキ、ドキ。
心拍が激しくなるのを感じながら、わたしは一歩ずつ前へ進む。左右の参列席には、多くの人々が並び、こちらを見守っている。貴族たち、わたしとユリウスの友人たち、そして王太子アルフォンス殿下の姿さえもある。
視線を奥へ向ければ、祭壇の前に立っているユリウスの姿が見える。彼も礼装の姿で、少し緊張した面持ちを浮かべているが、わたしと目が合うと自然な笑みを浮かべてくれた。その笑顔を見た瞬間、先ほどまでの緊張が氷のように溶けていく。
「フェリシア……」
ユリウスが小さく唇を動かしたのがわかる。声は届かないけれど、「君は本当に美しい」とでも言われているように感じ、頬が熱くなる。
バージンロードの中ほどまで来ると、父がそっと手を離し、ユリウスの手へわたしの手を導いてくれた。
「ユリウス・アッシュフォード。わたしの娘を、どうか頼むぞ」
「はい、必ず幸せにします」
その宣言にわたしは涙が溢れそうになるのをこらえ、ユリウスと指を絡め合う。視線を交わし合っただけで、互いの胸が切ないほど満たされるのを感じた。
祭壇の前へ進み、神父の前に並んで立つ。左右の席から友人や家族、貴族たちが静かに見守る中、わたしたちは誓いの言葉を交わす。長い苦難を乗り越えたあとだからこそ、その言葉の一言一句が深く胸に染みわたった。
「わたしは、ユリウス・アッシュフォードと共に生きていくことを誓います。どんなときも、あなたを愛し、支え、二人の未来を大切にしていきます」
声が震えないように必死だったけれど、思わず嗚咽が混ざりそうになる。ユリウスもその言葉を受け止め、深い呼吸のあと、わたしに向けて答える。
「フェリシア・ローゼンハイムを、一生愛し、守り抜くことを誓います。子爵家や貴族社会の問題があろうと、あなたを大切に思う気持ちは変わりません。苦難も喜びも、共に歩んでいきたい」
その瞬間、わたしの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。わたしとユリウスはそれを隠そうともせず、互いの手をしっかり握り合う。神父が「では、指輪を」と促し、わたしはあらためてユリウスの手元を見る。
先日、夜会の後の庭園で受け取った指輪。そして新たにユリウスが用意してくれたもう一つのペアリング――それらを交換することで、わたしたちの誓いが永遠になるのだ。
「フェリシア……愛してるよ。これからの人生、ずっと君と一緒だ」
「ユリウス……わたしも。ずっと、ずっと、あなたを愛し続ける。指輪、ちゃんと受け取ってね」
指を絡ませ、指輪を交わすと、周囲からわっと大きな拍手が巻き起こる。高い天井にまで届くような歓声と拍手。そのまま神父が「おめでとうございます」と声を響かせ、わたしたちが背を向けて人々を見渡すと、祭壇の大扉が開け放たれた。
戸外からまばゆい日差しが流れ込み、二人で堂々と外へ歩みを進める。参列者たちが続々と後に続き、フラワーシャワーを手にして待ち構えているのが見えた。色とりどりの花びらが風に乗って舞い上がり、わたしとユリウスに降り注ぐ。
「おめでとう、フェリシア!」
「ユリウス様、末永くお幸せに!」
友人たちが手を振り、ハンナが目を潤ませながら「フェリシア様、本当におめでとうございます!」と叫んでいる。父様と母様も少し離れた位置でそっと拍手を送り、王太子殿下さえも笑顔でうなずいてくれている。
甘く香る花びらが大量に舞い散る中、ユリウスはわたしの腰にそっと手を回し、ぐっと抱き寄せる。
「フェリシア……今、世界で一番幸せかも」
「わたしもよ、ユリウス。あなたと結婚できるなんて……ずっと夢だったんだから」
頬に浮かんだ涙はもう拭うことなく、わたしたちは互いに満面の笑みを交わす。ここが、すべての困難を乗り越えて迎える最高の瞬間――貴族たちに正式に認められ、公爵夫妻や王太子の祝福を受けて堂々と結ばれる時だ。
花びらのシャワーが降り止まない中、わたしとユリウスは式場の大階段を下りていく。あまりに華やかで、息を飲むような光景。下からは「ブラボー」「素晴らしいカップルだ!」という声がいくつも響いてきて、まるで、今この瞬間だけは世界のすべてがわたしたちを中心に回っているかのようだ。
(そうだ、今この瞬間だけは遠慮なんてしない。わたしはわたしの幸せを精一杯受け止めたい)
わたしは心の中でそう思いながら、ユリウスと共に階段を下り切ると、再度振り返って周囲に頭を下げる。あふれる拍手と祝福が雨のように降り注ぎ、この地上に生まれた最高のカタルシスをわたしたちは味わい尽くす。
そうして昼下がりの陽光の中、フラワーシャワーを浴びながらの結婚式が、ひとつの大団円を迎える。苦難や陰謀があったからこそ、この幸福が際立つのだと思う。わたしはユリウスの手を握り、強く想う。――これからもずっと、あなたと一緒に歩んでいきます、と。
「フェリシア……愛してるよ。これから先も、何があっても離さない」
「わたしも……愛してる。ずっと、ずっと、あなたの隣で生きていくわ」
そうささやき合い、笑い合うわたしたちに、降りしきる花びらが美しい虹のように舞い踊る。拍手と歓声が最高潮に達したとき、わたしたちはまるで世界の頂点にいるかのような幸せをかみしめていた。




