第60話 祝福の時
楽隊が奏でる軽快な曲が、夜会場の最終楽章を告げるように一段と盛り上がる。先ほどまでわたしとユリウスは、二人きりで束の間の時間を過ごしていたが、いつの間にかフロアの中央へ戻っていた。周囲には目を輝かせた貴族たちが大勢集まり、ステージ上で司会役の貴族が高らかに声を上げる。
「さあ、皆さま。今宵の主役であるフェリシア・ローゼンハイム様とユリウス・アッシュフォード様に、改めて大きな祝福の声を――!」
その声の合図と同時に、ホールに鳴り響く拍手の嵐。大勢の貴族が手を叩き、わたしたち二人に笑顔を向けている。色とりどりのドレスやタキシードに身を包んだ人々が、満面の笑みを浮かべながら視線を投げかけるさまは、まるできらめく星々に包まれたように夢のような光景だった。
司会役の貴族がさらに声を張り上げて言う。
「皆さま、どうぞ拍手喝采をもって、二人の晴れやかな未来をお祝いください! ローゼンハイム公爵家の令嬢フェリシア様、そしてアッシュフォード子爵家のユリウス様の正式なご婚約を、ここに――!」
言い切るが早いか、わたしの手を引いてユリウスがステージの前方へそっと導く。中央のシャンデリアの下、わたしとユリウスは並んで立った。わたしは金銀の飾りが施された美しいドレスをまとい、ユリウスはやや控えめな礼装ながら、どこか誇らしげな表情を浮かべている。
「フェリシア、手を……いいかな?」
「ええ、もちろん」
ユリウスが優しく手を伸ばし、わたしはためらわずにその手を握り返す。わたしたち二人はこうして公の場で正式に婚約を承認され、堂々と人々の前に姿を見せることができたのだ。それだけで胸がいっぱいになり、また涙が浮かびそうになる。
司会役の合図で楽隊が緩やかな曲を奏で始めると、会場中から溢れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。「おめでとう」「末永くお幸せに!」と、口々に声が飛び交う。光の渦のようにわたしとユリウスを中心に祝福が渦巻き、心が熱くなるのを感じる。
「フェリシア……大丈夫? また涙が……」
「うん、もう隠せないわね。でも、これは嬉しい涙だから……」
頬を伝う涙を拭おうとしないまま、わたしはユリウスを見つめる。彼も潤んだ瞳で微笑みを返す。ほんの少し前まで重傷を負っていた人とは思えないほど、強い意志と幸福感がにじみ出ているのがわかる。
最前列には父レオポルド公爵と母エレオノーラ夫人が並んで立っていて、わたしと目が合うと静かにうなずいてくれた。その表情はまだどこか照れが混ざったようにも見えるが、間違いなく祝福してくれているのがわかる。
ハンナやわたしの友人たちも、少し離れたところで手を振りながら「フェリシア様、ユリウス様、おめでとうございます!」と声をかけてくれている。ハンナなんて、目尻に涙を浮かべてハンカチを握りしめているほどだ。
「ユリウス……見て、みんなが笑顔でわたしたちを祝福してる……。あんなに厳しかった世間の目が、今は温かいわ」
「うん、王太子殿下の後押しや、君たち公爵家の理解のおかげだ。でも、それだけじゃなくて、フェリシアが自分で行動して、コーデリアの陰謀を暴いたからこそ、みんな納得してくれたんだと思うよ」
「そんな……わたしだけじゃないわ。あなたがいなければ、わたしは自分で動こうなんてできなかった。……あのとき、あなたが体を張って守ってくれたから、今わたしはここにいるのよ」
「ふふ……ありがとう。でも、今はもういいじゃないか。生きて一緒に婚約を喜べるなんて、最高に幸せだよ」
そうささやき合うわたしたちの姿を、ホールの人々は微笑ましそうに見つめている。王太子アルフォンス殿下がその様子を見てにっこり笑い、わたしに向かって「おめでとう」と小さく唇を動かす。わたしはわずかに頭を下げて感謝を示した。
司会役の貴族が促すと、拍手はさらに勢いを増していく。
「さあ、皆さま、もう一度大きな拍手を! ローゼンハイム公爵家のご令嬢と、アッシュフォード子爵家のご子息の幸福を、心からお祝いしましょう!」
わたしたちが手をつないで壇上に立つと、割れんばかりの拍手が再びホールを震わせる。まばゆいスポットライトがわたしたちに降り注ぎ、振り返ると友人たちが笑顔で手を振っている。母様は目を潤ませながら拍手していて、父様は深くうなずきつつ笑みを浮かべてくれている。王太子殿下も横で穏やかに拍手を送っている。
何度も涙が溢れそうになる。苦しかった日々、コーデリアの陰謀、ユリウスが倒れた絶望……それらがすべて報われる今を迎え、体の奥から熱い何かが込み上げる。
「ユリウス、わたし、こんなに幸せでいいのかしら……。まだ信じられないの」
「俺もだよ。ずっと見守るだけだったけど、今はこうして君の隣で、人生を共にすると誓えるんだから……まるで夢のようだ。でも、これが現実なんだ、フェリシア」
「ほんと……。ありがとう、ユリウス。わたし、あなたを一生大切にするわ。王太子殿下や父様たちにも感謝しなくちゃね」
「うん。みんなに心からお礼を言おう。俺たちを祝福してくれてるんだから、笑顔で応えたい」
二人で顔を見合わせ、そこで笑顔がこぼれる。わたしは軽くドレスの裾を引き上げて、王太子殿下や両親、そして会場のみんなに向けて会釈をする。ユリウスも胸に手を当てて深く礼を示した。
夜会のフィナーレを飾る、圧巻の祝福の波。賛辞や拍手は絶え間なく降り注ぎ、このまま朝になっても拍手が鳴り止まないのではと思うほどだ。わたしはなぜか笑いがこみ上げて、ユリウスの腕を軽くつかむ。
「ねえ、ユリウス……。こんなにたくさんの人たちがわたしたちを見てるのに、不思議と怖くないの」
「俺もだよ。ずっと人目を気にしていたのが嘘みたいだよね。でも、これが二人で立つってことなんだろうね。君が隣にいてくれるから、何も怖くない」
「わたしだって、あなたがいてくれるだけで勇気が湧く。さっきまで涙もいっぱい流したけど、今はもう、笑顔でいられそう」
「そうだね。だって、これからは共に歩む未来が待ってるんだから」
そうささやき合うと、まるで合図を受け取ったように音楽が一層盛り上がる。ラストの曲がかかり、周囲の貴族たちが「おめでとう!」と声を掛けながらフロアを開ける。わたしとユリウスは、軽く視線を交わすとわずかにステップを踏み出す。
夜会のフィナーレを彩るダンス。今までは王太子と踊るはずだったわたしが、こうしてユリウスと手を取り合い、堂々と踊れる日が来るなんて――胸の奥に湧き上がる幸福感を噛みしめながら、わたしは踊りのステップを踏む。周りから拍手と温かい視線が降り注ぐのを感じた。
これまでの苦難が報われるような瞬間。あらゆる障壁を乗り越え、わたしたちは公に「婚約者同士」として祝福される立場になった。この幸せを失わないように、これから先も支え合って生きていく。それが今のわたしの唯一の願いであり、喜びだ。
「ユリウス……本当に、ありがとう。わたし、これから先、あなたと一緒に幸せになりたい」
「俺もありがとう、フェリシア。どんな問題があっても、もう二度と離さない。ずっと隣で守り続けるよ」
その言葉を聞いた瞬間、また涙が滲む。けれど、それはもう悲しみの涙ではない。わたしは微笑みながら、ぐっと涙をこらえた。
ダンスの締めくくりには、さらに盛大な拍手が響き渡る。わたしたちは手を取り合い、もう一度会場を見渡す。そこには、公爵夫妻のほのかな笑み、王太子殿下の柔らかな拍手、侍女ハンナの満面の笑顔、そして友人たちの祝福――どれもが温かく、わたしたちを受け入れてくれている。
「これで本当に『正式な婚約者同士』として、みんなに認めてもらえたのね」
「そうだね。これからが本当のスタートだと思う。君を幸せにするために、俺はもっと努力するつもりだ」
「ふふ、わたしも努力するわ。あなたと共に生きる道を、一緒に歩んでいくために」
夜会のフィナーレ――輝くシャンデリアの下で、わたしたちは高揚感に包まれながら視線を絡ませる。遠くで誰かが「いよいよ結婚式かしらね」とささやく声が聞こえ、わたしは思わずユリウスと顔を見合わせて笑い合った。
次はいよいよ、わたしたちの未来を誓う日がやってくるのだろう。想像するだけで胸が高鳴る。けれども、今この瞬間は、ただこの幸福を噛みしめたい――わたしたちを包む祝福の拍手と温かい光に酔いながら。




