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断罪された公爵令嬢ですが、幼馴染の彼と幸せになってもよろしいですか?  作者: ぱる子


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第51話 身分の壁

 あれからさらに数日が経ち、ユリウスの容体は安定しはじめていた。傷の痛みはまだ激しく、ベッドから身を起こすこともままならないけれど、意識が戻って危険を脱したのは間違いない。


 わたしは相変わらず朝から晩まで王宮の傷病棟に通い詰めて、彼のそばに付き添っている。王太子アルフォンスや貴族たちも見舞いに来てくれるけれど、正直なところ、わたしにとってはいまの彼が生きていてくれることだけが何よりの喜びだった。


「ユリウス、痛みの具合はどう? 医師からもらった薬、少しは効いてきた?」

「うん……少しずつ楽になってる感じがする。早く動けるようになりたいな」


 まだ長時間身体を起こせない彼は、ベッドをゆるく傾斜させて寄りかかったまま、穏やかな笑みを浮かべていた。顔色も先日までに比べるとずいぶん良くなってきている。それでも、ふとした拍子に痛みが走るのか、ときどき眉をひそめる仕草を見せる。


 わたしは彼の枕元に小さな椅子を寄せ、看護師から渡されたフルーツ入りの薬湯をスプーンでそっと口元へ運ぶ。いつかまでの夜会を思えば、床一面に広がったあの血の光景が嘘のように感じられる平和なひと時。ユリウスの視線に気づくと、わたしは自然と微笑んでいた。


「焦りは禁物よ。医師も言っていたでしょう? 安静第一だって。無理をして、また傷が開いたらどうするの」

「わかってる。けど、毎日君が通ってくれてるのに……何もできない自分が歯がゆいんだ」

「そんなこと言って……あなたが刺されたとき、わたしは何もできずに泣いてばかりだったのよ。あなたがいてくれるなら、これくらい当然だわ」


 わたしがそっと笑うと、ユリウスは少し照れくさそうに視線をそらす。大怪我を負ってからまだ日が浅いというのに、こうして再び彼と会話ができることが嬉しくて仕方ない。すると、廊下から軽やかな足音が聞こえてきて、扉の向こうにハンナの姿が見えた。


「フェリシア様、ユリウス様。失礼いたします……ちょうどよかったです。レオポルド公爵様とエレオノーラ公爵夫人がいらっしゃいました」

「父様と母様が?」


 ハンナの言葉に、わたしは思わず姿勢を正す。父様と母様は以前もユリウスを見舞いに来てくれたけれど、あまり長居はさせまいと気を遣ったのか、短時間で退室してしまった。今回も少しだけ立ち寄るのかしら。


 扉を開け放つと、奥からレオポルド公爵とエレオノーラ夫人が姿を見せる。二人とも少し疲れた表情をしているが、わたしと目が合うと微笑みを浮かべた。ユリウスは痛みをこらえながら上半身を少し起こし、頭を下げようとする。


「レオポルド公爵様、エレオノーラ様……ご無沙汰しております。お見舞い、ありがとうございます。お恥ずかしい姿で……」

「いいのよ、ユリウス様。あまり無理をなさらないでね。あなたが助かったと聞いて、どれだけホッとしたか……」


 母様が心からの安堵をにじませる。父様は公爵の威厳を保ったまま、わずかに息をついてうなずいた。


「まさかここまで大怪我を負うとはな……だが命があって何よりだ。フェリシアを守ってくれたと聞いたときは驚いたが、ありがとう、ユリウス・アッシュフォード」

「いえ、そんな……あのときは僕が動く以外、考えられませんでした」

「ふん……」


 父様は短く返すものの、その視線にはかすかな感謝が浮かんでいた。わたしはこのやりとりを見て、胸をなでおろす。ユリウスのことで一時はどうなることかと思っていたけれど、両親は彼の行動にそれなりの敬意を払ってくれているようだ。


 母様は少しだけ顔をほころばせながら、ユリウスを気遣うように声をかけた。


「フェリシアったら、あなたが目を開けるまでまともに眠らなかったのよ。こうしてお話しできるようになって、本当によかった……。だけど、その……」

「家格の差の問題、ですよね」


 ユリウスが、母様の言葉を読み取るように答える。やはり、わたしたちが最終的に直面するのは「公爵家と子爵家」という大きな壁だ。父様が目を伏せながら低く言った。


「正直、複雑だ。わが公爵家の令嬢であるフェリシアが、子爵家の人間と結ばれるのは容易ではない。だが、フェリシアがこれほど君を想っていることも事実……今さら見ぬふりはできん」

「父様、母様……ごめんなさい。でもわたしは、どうしてもユリウスと一緒にいたいんです。家のこともわかっているけれど、彼が生きていなければわたし……」


 切実に伝えたわたしの言葉に、ユリウスは力を込めるようにこちらの手を握った。まだ痛みがあるはずなのに、その表情は少しも弱気になっていない。彼は深呼吸してから、はっきりと口を開く。


「僕は、必ずフェリシアの隣に立てるだけの男になります。子爵家の身分に安住せず、家の力を強化して公爵家の皆さまに堂々と認めてもらえるように努力します。ですから、もう少し時間をください。どうか……」


 弱々しい身体とは裏腹に、ユリウスの瞳には揺るぎない決意の光が宿っている。わたしはその横顔を見ていて胸が熱くなり、思わず涙が浮かびそうになる。


 母様はしばらく黙り込んでいたが、やがて唇に柔らかな微笑をたたえて言った。


「あなたがそこまでおっしゃってくださるなんて……フェリシアのことを大事に思ってくれてるんですね。本当に命まで賭けて守ってくださったうえに、これからも努力すると……」

「ええ。僕は、フェリシアが望むなら何だってやります。無茶だと言われても、この傷が治り次第、すぐに動き出すつもりです」


 ユリウスが軽く笑う。その声にはまだ疲労がにじんでいるのに、どこか心が晴れやかにも感じられた。わたしは自分の手を握る彼の指先に、改めてそっと触れる。


 父様は腕を組んで軽く(うな)り、わずかに目を閉じる。きっと貴族社会の常識では受け入れがたい部分もあるのだろう。けれど、フェリシアを深く想うユリウスの誠実な姿勢を目の当たりにしては、厳しい言葉も紡ぎづらいのかもしれない。


「まあ……何にせよ、まずはお前の身体をしっかり治すことだ。それから、あらためて話し合おう。公爵家と子爵家の距離は相当あるが、フェリシアの想いも尊重してやりたい。私が騒ぎ立てることはしないが……軽々しく認められるわけでもない。それだけはわかってほしい」

「はい。承知しています。ありがとうございます、レオポルド公爵様」


 ユリウスがまた身を起こそうとして危なげな動きをするので、わたしは慌てて「動いちゃだめ」と肩を押さえる。彼が小さく苦笑し、ベッドに身体を預け直すと、病室の空気が少し和やかになった。


 決して問題がすべて解決したわけではないが、少なくとも両親が「全否定」をするでもなく、ユリウスとわたしの気持ちをきちんと聞いてくれたことは大きい。横に立つ母様も複雑そうな笑みを浮かべながら、頭を小さく縦に振った。


「それではフェリシア、ユリウス様。私たちは一度失礼しますね。きちんと休息をとっていただかないと傷が治りにくいわ」

「はい、ありがとう、母様。父様も……」

「ふん。余計な気遣いはするな。……だが、フェリシア、お前もあまり無理をしないように。少しは自分の体調にも気を配れ」


 父様がそう言い残し、母様とともに病室を後にする。ハンナが深く一礼して扉を閉じると、白く静かな空間にわたしとユリウス、それに控えの看護師だけが残った。


 わたしはユリウスのほうを振り返り、見ていると心がじんわり温かくなる。この人が命を懸けて守ってくれたからこそ、今わたしはここにいるのだ。その事実が愛しさと感謝をいっそう深めていく。


「……よかったね。父様も母様も、思ったより柔らかい表情だった」

「まだ完全に認められたわけじゃないけど、拒絶されなかっただけでも進歩だね。君を守るためなら、どんな苦労も惜しまないよ。フェリシア……本当に、好きだ」


 ユリウスの声がかすかに震え、わたしは胸が締めつけられる。彼はまだ傷の痛みに耐えているはずなのに、心までは折れていない。


 わたしはそっと、その手を握り返す。


「わたしも……あなたがいなきゃだめだって、はっきり気づいたの。今度こそ絶対に離れない。身分差のせいで諦めるなんて、考えたくもないわ」

「うん。君がそう言ってくれるなら、俺も躊躇(ちゅうちょ)せず前に進める。身体が動くようになったら、必ず改めて誓うよ。『フェリシアを幸せにする』って胸を張って言うために、早く治さないとな」


 力強い決意を聞いて、わたしの目が少し潤む。夜会のあの惨劇を思えば、いまのわたしたちがどれだけ幸せか痛感する。もちろん、これから先に待ち受ける課題は山積みなのはわかっている。王太子やコーデリア絡みの処罰、公爵家の将来との兼ね合い……。それでも、彼がこうして命を取り留めて、想いを重ねられるのなら、わたしは何度でも立ち上がれる気がした。


「そうよ、早く治して。わたし、ずっと側にいるから。眠っているときにだって離れないわ。あなたが目を覚ましたら、またいろんな話をして、笑い合って……そうやって未来を切り開きましょう」

「ありがとう。じゃあ、少しだけ眠ろうかな。君がいると安心できて、すぐに良くなる気がするよ」


 ユリウスがそっと瞼を閉じるのを見届けて、わたしは小さくうなずく。ベッド脇の椅子に腰かけたまま、彼の手を離さないように静かに見守る。看護師さんが気をきかせてカーテンを少し引き、室内に柔らかい光が差し込む。


 こうして、新たに浮上した「身分の壁」という課題を前にしながらも、わたしたちはたしかに一歩を踏み出した。父様と母様が示したかすかな理解が、わたしに希望を与えてくれる。もちろん貴族社会のルールは一筋縄ではいかないだろう。けれどユリウスが生きている、そしてわたしたちの想いは通じ合っている――その事実がすべてを前向きにしてくれるのだ。


「どんな困難があっても、きっと乗り越えられる。あなたとなら……」


 わたしは小さくつぶやき、穏やかな寝息を立てはじめたユリウスの顔を見つめた。彼の存在を感じるたびに、以前の自分では想像もできなかった強さが湧いてくる。あの血塗られた夜会が嘘のように、目の前には優しい光が射し込み、わたしたちを包み込んでいた。


 ユリウスが回復に向かい始めたのと同時に、わたしも今度は家と向き合う覚悟を決めなければならない。公爵家の一員として、娘の幸せを望みながらも貴族社会の現実を知る両親とどう折り合いをつけるのか。まだ答えは見つからないけれど、彼とならきっと成し遂げられると信じている。


 優しい陽光が王宮の傷病棟の窓辺を照らし、わたしは微笑みを噛み締めた。命を賭けてわたしを守ってくれたユリウスに報いるためにも、今度はわたしが立ち上がる番だと感じている。いずれにせよ、もう一人で泣き崩れることはない。


 ――こうして、大きな危機を脱したばかりのわたしたちは、新たな課題に立ち向かう準備を始める。子爵家のユリウスと公爵家のわたし。その身分差という高い壁は決して小さくはない。けれど、お互いの想いがあれば越えられないはずはない――そう強く心に誓いながら、わたしはユリウスの寝顔を見守り続けるのだった。

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