表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪された公爵令嬢ですが、幼馴染の彼と幸せになってもよろしいですか?  作者: ぱる子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/63

第43話 絶望の淵

 大夜会の熱気が、一瞬のうちに絶望へと呑み込まれた夜。


 先ほどまで光輝く舞台だった王宮の大広間は、今や大混乱の修羅場と化した。わたしを(かば)おうとして刺されたユリウスは、衛兵たちに急ぎ担がれ、裏手の応急処置室へ運び込まれる。あのときの血の匂いと、彼の身体がぐったりと倒れ込む衝撃――すべてが脳裏に焼き付いて離れない。


「ユリウス……嘘でしょう……!」


 王太子殿下の夜会会場の裏手には、一応の医療スペースが設けられている。滅多に使われることのない治療道具が引っ張り出され、真夜中にもかかわらず医師たちが呼び寄せられた。衛兵や侍従が右往左往し、あたりには血を洗うような消毒の臭いが漂っている。薄暗いランプの照明だけが頼りで、まるで悪夢の中に迷い込んだ気分だ。


 そんな空間の中心で、わたし――フェリシア・ローゼンハイムは、我を忘れて取り乱していた。


 先ほどの大広間で、コーデリアが短剣を振りかざし、わたしを狙おうとした瞬間。ユリウスが身を挺してわたしを守り、彼の脇腹に刃が深々と突き刺さった。ほんの数秒の出来事が、まるで永遠の地獄のように思える。いま、彼は意識の薄れたままで、医師たちが必死に止血を試みているところだ。


「ユリウス、ユリウス……返事して、お願い……行かないで……!」


 わたしは彼の血まみれの体に(すが)りつき泣き叫ぶ。ドレスの袖にもべったりと血がついているのに、お構いなしで彼にしがみついている。医師たちが「フェリシア様、処置できません!」と声を荒らげて制止しようとしても、わたしはどうしても離れられない。もし腕をほどいてしまったら、ユリウスの魂までもどこかへこぼれ落ちてしまいそうなのだ。


「フェリシア様、我々に任せて……! 放していただかないと、止血が難しいのです!」

「いや……そんなの……わたしが離れたら、ユリウスが死んじゃうかもしれないじゃない……! お願い、早く、どうにかして……!」


 嗚咽(おえつ)が混じり、自分が何を言っているのかさえわからなくなる。周囲にはハンナがいて、わたしの肩を必死につかんで「フェリシア様、落ち着いて!」と叫んでいるが、耳に入らない。


 医師の一人が苦渋の表情で、衛兵に合図を送る。衛兵たちがわたしの腕をほどこうとするので、わたしは抵抗するけれど、ハンナが泣きそうな顔で必死に(さと)す。


「フェリシア様、ユリウス様を助けるためなんです……! どうか、一瞬だけでも医師の方々に場所を譲って……!」

「ハンナ……でも……わたし、怖いのよ……このまま離したら、ユリウスが……!」


 嗚咽(おえつ)交じりの声で答えている間にも、ユリウスの瞳は閉じたまま微動だにしない。かすかに息をしているのかどうかも、恐ろしくて確かめるのが怖い。でも、もしかしたら今すぐ脇腹を圧迫してやれば、血は止まるかもしれない――そんな必死の思いが頭をめぐるけれど、わたしは医師ではないのだ。


「フェリシア様、わたしも胸が張り裂けそうなくらい心配です。でも、今は医師を信じるしかありません!」

「信じて……助かるなら……こんなに……!」


 わたしは叫びながらも、ついに衛兵たちの力でユリウスから引きはがされる形になった。すると医師たちがすぐさま傷口に薬布を押し当て、止血の手当てを始める。血が(あふ)れ出しそうになるのを必死に食い止めているのがわかるが、医師の表情は厳しい。


「かなり深いな……。手を尽くしますが、今すぐに意識を取り戻すとは思えない……」


 医師がぽつりとつぶやく。わたしにはその言葉がまるで死刑宣告のように聞こえ、頭の中で何かが崩れるのを感じた。ハンナの腕の中で、わたしは泣き崩れる。


「嘘よ……こんなの……わたしのせい……わたしがコーデリアを追い詰めて、ユリウスが刺された……! なんで……どうしてわたしなんかを……守って……!」


 冷徹な公爵令嬢として振る舞っていた自分が恥ずかしいくらい、今はただ泣くことしかできない。ユリウスを救うために必死に動いていたはずなのに、結果的には彼を危険に巻き込んでしまった。いや、彼が勝手に(かば)ったのだと割り切ることは到底できない。わたしを守りたいという強い意志を感じていたからこそ、その行動が余計に痛ましい。


「フェリシア様! 我々も何とか止血の処置をいたします。まだ諦めないでください!」


 医師が必死に声をかけ、次々と道具を取り出している。わたしはそれを見てうなずきたいが、涙で視界が滲んでうまく焦点が合わない。人々のざわめきが遠く聞こえ、まるで闇に沈むような感覚だ。

 

「ユリウス……目を開けて……ほんの少しでも……返事して……!」


 わたしは半狂乱になりながら床を這うように彼に近づこうとするが、衛兵とハンナが必死に止める。彼らの表情も辛そうで、わたしの気持ちはわかっているのだろうけれど、医師の手を邪魔しないようにするためには仕方ないのだ。


 しかし、わたしはそれでも彼を呼び続ける。涙が喉を詰まらせ、呼吸するのも苦しい。まさかこんなにも(むご)い光景を見ることになるなんて、数刻前のわたしは思いもよらなかった。


「しっかりして……あなたが死んだら、わたしはどうしたらいいの……? あなたがいない世界なんて……耐えられない……!」


 声が枯れていくのを感じながらも、誰にも止められないほどに叫ぶしかない。あれほど完璧を装ってきたわたしが、こんなにみっともなく取り乱す日が来ようとは――。周囲の貴族や衛兵たちも、わたしのあまりの狼狽に衝撃を受けているようで、静かな涙を浮かべる人までいる。


「……動脈を損傷しているかもしれない、意識が戻るかどうかは正直微妙だ……」


 医師の冷静な声がわたしを突き刺す。ユリウスがこのまま息絶えてもおかしくない、そんな厳しい現実を突きつけられているのだ。心が何度もえぐられる。わたしは声を失いかけながら、どうにか無理やり言葉を吐き出す。


「そんな……助けて……お願いします、お願いします……どんな方法でもいいから救って……!」


 もう、公爵令嬢という立場も、名誉も、すべてどうでもよかった。わたしがコーデリアを追い詰めたことに後悔はないが、ユリウスを危険に巻き込んだ責任がのしかかる。彼を救えるなら、何だって差し出せると思う。それくらいに、わたしは切羽詰まっていた。


「フェリシア様……落ち着いて……」


 ハンナが涙声でそう言いながら、わたしの髪や肩をなだめるように撫でてくれるが、わたしの心は深い暗闇に沈むばかりだ。視線の先では、血を洗い流そうとする侍従や、医師を手伝う衛兵たちが必死に動いているけれど、そのどれもが遠く感じる。


「ユリウス……ユリウス……答えて……!」


 かすかに、彼の唇が動いた気もする。でも、声はもう聞こえない。意識が完全に落ちてしまったのだろうか。医師が「心音が安定しない!」と焦りを露わにするたび、胸が裂かれそうになる。


「嫌……嫌よ……こんなの……」


 わたしは声を殺して泣きながら、ただ祈る。もし神がいるなら、どうかユリウスの命を奪わないでほしい。わたしを守ろうとした彼の勇気を無駄にしないでほしい。こんな結末は認めたくない――必死の思いで目を閉じても、闇のなかで彼の血まみれの姿が浮かんでしまう。


 医師が短く何かをつぶやき、周囲に追加の指示を出す。どれほど時間が経ったのか、よくわからない。夜会の喧騒もどこか遠のいて、この応急処置室だけが別世界のように息づいていた。わたしの涙の先には、まだユリウスの生死がわからない残酷な現実が横たわっている。


「……ユリウス、わたし、わたしがあなたを……死なせたりしない……」


 声にならない誓いを胸に、わたしは絶望の底に沈みつつも、かすかな希望を捨てることができない。ハンナも同じように祈るようなまなざしで彼を見つめている。


 こうして、かつての夜会の喧騒は嘘のように消え去り、医師たちの必死な処置の中で、わたしは人目もはばからず大粒の涙を流すばかり。貴族たちがあれほど気にしていた名誉や体面など、今のわたしにとっては一切どうでもいい――ユリウスの命が救われるなら、それ以上は何も望まないのに。


(どうか……生きていて……。たった一度でいいから、もう一度目を開けて、わたしに声を……)


 強くそう念じるのに、彼の瞼は閉ざされたまま。医師の横顔には険しい影が映り、静寂とざわめきが交互に耳を打つ。わたしはただひたすら泣きながら、彼の名を呼ぶしかなかった。


 この夜会は、わたしの名誉を取り戻すはずの場だった。けれど、その代償があまりにも大きいとしたら――いったい、わたしはどうやって生きていけばいいのだろう。


 そんな苦悶に満ちた問いを抱えたまま、わたしはユリウスの命の行方がわからない暗闇の中で、絶望と祈りのはざまを彷徨(さまよ)い続ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ